12/08/2012

自分自身の弱い心と向き合う

自分自身が、人よりも強いエゴをもっていることを認めなければいけない。そして、その強いエゴは僕の弱い心を刺激して、無力感やストレスをもたらす可能性がある。だからこそ、それを乗り越えるために、そのエゴと上手くつきあっていくために、悩むのではなく、考えて決断して乗り越えていける人間になりたい。


誰にでもエゴはある。自分自身のことを認めてもらいたい、もっとわかってほしい、そんな自己顕示欲だ。この気持ちは、ある時には人を成長させる大きなエネルギーとなり、ある時には人を悩ませる大きなカベとなりうる。
僕は、他人からどう見られているかということ、どう見せていくのかということを人一倍気にするタイプであると思う。これは「かまってちゃん」であるということではなくて、人から見られる自分自身の姿や、団体の中での自分という存在が、自分は意識をしていなくても誰かに影響を及ぼす可能性があると感じているから。僕たちは無人島で1人で生きているわけではない。自分自身の言動は常に誰かに見られている。そうであるならば、自分の身形(みなり)は清潔に、真っ直ぐにしておきたい。そして、他人のことをみてくれで判断はしないようにする。そう生きていきたい。


しかし、そうやって他人や社会の中での自分を意識するということは、他人のことも気にするということであり、エゴの強い僕にはときに無力感を喚起させる。特に、活躍している同年代や友達の存在なんかが、その気持に拍車をかける。

例えば、研究室で勉強や研究をしているときに、同じ分野を学んでいる友達の圧倒的な知識量や研究に打ち込んでいる姿をみて、そうなれない自分を悔やんだり、そこまで頭の回転が早くない自分を悲しく思ったり。
例えば、夏のインターンシップで一緒に活動していた友達が、ビジネスコンテストにどんどん参加して成果をあげていて、就職活動に必死で取り組んでいたりして、どうしてその場に自分がいないんだろうと悔しく思ったり。
例えば、ずーっと続けてきたテニスを僕はやめてしまったけれど、それを続けてきてた中学高校の同期や後輩が活躍している姿をみてみたり。

もちろん、彼らがそうやって何か活動をしている間に、僕だってただぼんやりしているわけではない。「何かをしよう!」と決断したからその道を離れたのだけれど、そうなれる可能性があったという気持ちが、心の中で無駄に「機会損失」を計上して、焦りと虚しさを起こさせる。
つまり、僕はまだ芯ができあがってないブレブレの人間であり、僕はなんでも出来るようになりたい強欲な人であり、僕は些細なことにも心動かされて自分の決断を信じることができない弱い心をもっているということだろう。


弱い心に襲い掛かってくる、無力感。
この気持ちを、僕は留学中やバックパック中に嫌というほど味わった。言語の壁、専門知識のなさ、日本に対する無知、世界に対する無関心、自分自身の努力の足りなさ、理想と現実…
なんだか全てにやる気が無くなって、消極的になって、ベッドの上でボーッとして一日が過ぎた日もあった。無知な方がよかったなぁって。辛いなぁって。


でも、2年前、僕は確かにそれを乗り越えた。目が覚めたら急に英語が上手くなってるなんて夢のようなことはないのだからと自分に言い聞かせて、英語の参考書をジャパンタウンで買い求めて勉強したり、飲み会には面倒でも必ず参加して交流を深めたり、所属してた学生団体での取り組みに注力したり。その結果は、まだまだやりきったなんて言えないけれど、徐々に出始めている。
成長って、決して一歩一歩すすむものだけではない。、三歩進んで二歩下がり、一瞬止まって横道それて、グルっと回って気づいたらちょっとだけ前進。そんなもん。そんな成長もきっとある。


何かを手に入れるということは、何かを失うこと。
そんな当たり前のことが、僕は未だにわかっていない。何を手に入れるたいのか、それによって何を失うのか。それが理解できないままであると、僕の弱い心は常に悩まされ続ける。
悩むのではなくて、考える人間になりたい。考えるというのはつまり、決断をするということ。「決断経験値」を積めば積むほど、人は強く賢くブレなくなる。決断とは取捨選択をすることであり、取り続けることだけではない。挑戦することだけではない。失うもの、諦めること、捨てることまでも考慮して初めて、「考えて出した決断」と言える。


悩む気持ちがあるときは、考えるチャンス。どうすればこの状況を打破できるのか、どうしてこうなってしまったのか、考えて、行動を起こすために決断をする。
例えば、ビジネスコンテストとかに参加したいなぁという気持ちがありつつできていない自分がいるのは、きっと夏のインターンでプレゼンターをやろうという積極性がなかったことや、偉そうな態度をとっていたことや、知識・スキルが欠落していたことが原因。この原因を解決しないと、ビジコンなんて参加できないし、一緒にやろうと友達から声をかけられもしない、声をかけても誰もふりむいてくれない。


目が覚めたら、英語ペラペラになれている自分はいなかったように、或る日急に理想の自分になっているわけではない。理想の自分に足りないスキルを他人が持っているからといって、羨むことなく、どれが自分の目指す姿なのかを見極めて、足りないスキルを手に入れるために今日からでもできることを少しずつ、手の届くことからでいいから取り組んでいきたい。


それが、自分自身の弱い心を向き合うこと。数年後に、「あ、オレって成長してんなぁ」って実感できること。そう信じて、今日もまじめに生きていきたい。

2 件のコメント:

  1. 竜之介!
    竜之介の価値観に魅了されてる人間は自分を含め数多く存在してると思うよ。Minorityだとかそう言う表現使うの良くないかも知れないけれど、自分の人生の中で出会った人間の中でも竜ちゃんは極めてMinority(笑)。大好き。
    この世界の捉え方だったり、持ってるベクトルの色だったり。

    個人的に思うのは、竜ちゃんが熱を入れて取り組んでる一つ一つは特殊だから、他の人に比べて共感は得られづらいのかな?だから”エゴ”ってやつを意識する事が自然と多くなるのかも
    ただ、その一つ一つから構成されてる竜之介自体にはみんなが魅了されて、憧れているのも事実:)
    見たこともない木で出来てるとても立派な森。そんな感じ。

    以上、誰よりも強いエゴを以て、みんなに着目されるベクトルに付いて行きがちなおかじゅんからでした!お前が羨ましいよ!

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  2. おかじゅん

    コメントありがとう!色々精力的に活動しているオカジュンから、こんなやさしいコメントもらえて本当に嬉しいよ!
    自分の場合、やっていることがマイノリティであるというよりは、まだやるべきことややりたいことが決まってない感じはあるんだよね。
    だから、実際に活動している人を見ると凄く羨ましくなるし、なんだか焦ってしまうんだけど、
    おかじゅんのアドバイス通り今はそうやって悩みぶれる時期なのだと考えてやれることやるべきことをこなそうと思う。
    まわりに流されるのも、俺は一つの才能であると思う。流されたり求められた場所で花を咲かせることができるのも、結局はその人のパワーだからね。
    研究、シュウカツ、勉強…お互いやるべきことややりたいこと色々あると思うけど、頑張ろうぜ!

    竜之介

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