10ヶ月を過ごしたアメリカをあと2時間で出発する。
今はボストンレーガン空港、イングランドへ向かう飛行機をロビーで待つ。
大好きな珈琲の傍らで起こった、毎日の小さな出来事。 アメリカはSan Franciscoで1年間生活をし、ヨーロッパを周遊。その後もフラッと気の向くままに。日本では定量的な学問に勤しむ傍らで、感覚的に生きることが大事だと思ってる。 考えたこと、感じたことの備忘録。
6/16/2011
6/12/2011
Crossing American Continent: Day6
電車でアメリカ大陸を横断する。6日目。
ボストンへ向かうAmtrakの中。
今度の電車は、イリノイ州シカゴから、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州を抜けていく、Lake Shore Imited号。
予定乗車時間は24時間。
ボストンへ向かうAmtrakの中。
今度の電車は、イリノイ州シカゴから、インディアナ州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州を抜けていく、Lake Shore Imited号。
予定乗車時間は24時間。
Terminal
シカゴでの滞在48時間を終え、再び電車に乗る。
飛行場も、長距離バス乗り場も、鉄道のターミナルも、そこにいる人たちには何か意味がある。
これから新境地へ向かう人、故郷に変える人、ただ移動する人、それぞれにストーリーがある。
街の中ですれ違う人からは感じることのできないそれぞれの人生、ストーリーが、ターミナルでは内面から外面から垣間見ることが出来る気がする。
飛行場も、長距離バス乗り場も、鉄道のターミナルも、そこにいる人たちには何か意味がある。
これから新境地へ向かう人、故郷に変える人、ただ移動する人、それぞれにストーリーがある。
街の中ですれ違う人からは感じることのできないそれぞれの人生、ストーリーが、ターミナルでは内面から外面から垣間見ることが出来る気がする。
6/11/2011
6/09/2011
Crossing American Continent: Day3
電車でアメリカ大陸を横断する。3日目。
昨日よりも、さらに寝付きが悪かった。眠っては起き、起きては眠り。
浅い眠りの中で何度も何度も夢をみたけれど、忘れてしまった。楽しい夢だったと思う。
昨日よりも、さらに寝付きが悪かった。眠っては起き、起きては眠り。
浅い眠りの中で何度も何度も夢をみたけれど、忘れてしまった。楽しい夢だったと思う。
6/08/2011
Crossing American Continent: Day2
電車でアメリカ大陸を横断する。二日目。
夜中に何度も何度も目が覚めた。眠っている間にネバダ州を越え、ウタ州に入ったようだ。州都ソルトレークシティーも知らぬ間に通り過ぎていた。
景色は依然として赤褐色の山肌、雪の残る森、拓けた草原を繰り返す。
夜中に何度も何度も目が覚めた。眠っている間にネバダ州を越え、ウタ州に入ったようだ。州都ソルトレークシティーも知らぬ間に通り過ぎていた。
景色は依然として赤褐色の山肌、雪の残る森、拓けた草原を繰り返す。
6/07/2011
Crossing American Continent: Day1
電車でアメリカ大陸を横断する。一日目。
使う電車はAmtrak、アメリカ全土を網羅している鉄道だ。
その中でも今回使うのは、San FranciscoからChicagoへと向かうCalifornia Zephyr号と言う名前の人気の路線。
所要時間は、約60時間。間違いなく人生最長の電車の旅だ。
使う電車はAmtrak、アメリカ全土を網羅している鉄道だ。
その中でも今回使うのは、San FranciscoからChicagoへと向かうCalifornia Zephyr号と言う名前の人気の路線。
所要時間は、約60時間。間違いなく人生最長の電車の旅だ。
6/06/2011
6/03/2011
Consulate-Genaral of Japan
自分が参加していた震災地への義援金ボランティア活動で集まった募金を、日本の総領事館に持っていった。
活動代表の友人が電話でアポイントメントをとったら、以前に面識のあった猪俣総領事に直接お会いしてお渡しするように手配していただけた。
活動代表の友人が電話でアポイントメントをとったら、以前に面識のあった猪俣総領事に直接お会いしてお渡しするように手配していただけた。
6/01/2011
Last week in SF
来週の月曜日に、San Franciscoを旅立つ。
この一週間が文字通り、last weekとなる。
サンフランシスコが、自分にとってこんなに思い入れ深い街になるとは留学前は思ってもいなかった。
先輩がここに留学しており、アメリカの中でも特に多様な街であるという情報だけで決定したこの街。
来た当時はスペルすらままならなかった記憶がある。
しかしここは、生まれ育った東京とは全く違う、極端に言えば正反対の性質を多く持つ街。
人々はみなリラックスしており、仕事や勉強よりも日々の生活や家族との時間の充実に重きを置く。
人種は本当に多様であり、Asian, European, American, Hispanicが入交る。バイリンガル、トリリンガルは当たり前。
この一週間は荷造り等に追われながらもなるべく外出して、ゆっくりと街を歩いたりバスに乗ったり。
聞きなれたバスのアナウンスも、ほら、英語、中国語、スペイン語の3ヶ国語だ。
この一週間が文字通り、last weekとなる。
サンフランシスコが、自分にとってこんなに思い入れ深い街になるとは留学前は思ってもいなかった。
先輩がここに留学しており、アメリカの中でも特に多様な街であるという情報だけで決定したこの街。
来た当時はスペルすらままならなかった記憶がある。
しかしここは、生まれ育った東京とは全く違う、極端に言えば正反対の性質を多く持つ街。
人々はみなリラックスしており、仕事や勉強よりも日々の生活や家族との時間の充実に重きを置く。
人種は本当に多様であり、Asian, European, American, Hispanicが入交る。バイリンガル、トリリンガルは当たり前。
この一週間は荷造り等に追われながらもなるべく外出して、ゆっくりと街を歩いたりバスに乗ったり。
聞きなれたバスのアナウンスも、ほら、英語、中国語、スペイン語の3ヶ国語だ。
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