6/08/2013

ランゲージマイノリティのヌルいビール

「今日はシモがランゲージマイノリティの立場だね」
騒がしいアイリッシュパブの中を飛び交う言葉。それを必死に目で追っている僕に剛が笑いながら言った。目の前では僕が一割も理解できない言葉でたくさんの人がコミュニケーションを取り、ジョークを交わし、笑いあう。「言葉を目で追う」は比喩でもなんでもない。その言語は耳で聞いて理解する言葉ではなく目で見て理解する言葉、手話なのだから。

高校からの付き合いの剛につれられて(というか勝手についていって)、手話で会話を楽しむ人々の集まりに参加した。毎月第一金曜日の夜に、新宿のアイリッシュパブに人々か集まる取り決めになっているらしい。「俺も久々に参加するんだ」と言う剛は(彼のことやマイノリティについては以前のブログ参照→マイノリティであることはハンディなのか、ユニークなのか。)、友人との再会を楽しんでいる。僕はビールを片手に握りしめ、壁によりかかりながら30人以上集まった難聴・Deaf・手話を使える人々の会話の様子を眺める。

3年前に留学で訪れたアメリカでの最初のハウスパーティーを思い出した。英語はできないけれど、とりあえず人が集まる場所に行かなきゃなにも始まらないと乗り込んだ飲み会で、僕はただひたすら「日本から来たこと」「英語勉強中だということ」それだけのことを会う人会う人に繰り返し、まくし立てられて何言ってるのだかわからないことに対しては作り笑いで適当にうなずき、疲れてきたらビールを1人で飲みながらソファに座り、人々を見ていた。孤独で悔しくて悲しかった。手のなかのビールはどんどんヌルくなっていった。

それから3年が経ち、英語で日常会話ぐらいならこなせるようになった。世界を旅していても、英語ができればほとんどの人と何かしらの話ができるし、ホステルで出会う旅人は英語を話すのになれている。そんなわけだから、言葉が通じない屈辱感をアメリカであれほど味わったのに、いつのまにか僕は言葉が通じない苦しさ、言語的少数派(language minority)であることの苦しさをすっかり忘れていたようだ。今日、久々に言葉が通じないことによって「お茶を濁す」改めて「ビールを少しヌルく」させた。

今日の集まりは、言葉を交わせなかったから楽しくない――そんなことはなかった。ものすごく楽しかった。アメリカで学んだAmerican Sign Languageが少し使えたこと、剛が通訳をしてくれたこと、そして何よりも周りの人々が手話を使えない僕のためにペンで文字を書いてくれたり口を読んでくれたりした。嬉しかった。僕はランゲージマイノリティであったけれど、僕の周りにはそのマイノリティとどのようにコミュニケーションを取ればいいかを熟知しているメジャリティばかりであったから、不自由は感じなかった。

終電の時間が迫ってきて、手話で「またね」と挨拶をして店の扉をあける。外の世界に出た瞬間に、僕は日本のランゲージメジャリティに戻った。そして彼ら―手話を使う僕の友達―はランゲージマイノリティに戻った。

ランゲージマイノリティの人々が日々飲むビールは、ヌルくなっていないだろうか。ヌルさ、苦さ、不味さを演出しているのはメジャリティである僕ではないだろうか。耳に届くたくさんの雑音と闘いながら、そんなことを考えながらの家路であった。


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