6/05/2013

石碑に刻む、ブログに刻む

歴史は繰り返す。

まったく同じ現象・事象でなくとも、構造的に同じことは人々の記憶からその出来事が薄れたが最後、再び繰り返される。特にそれが失敗に関わる記憶=歴史であると、人間の自己治癒能力のために、風化が早くなるように感じる。だから大切なことは、記憶、思い、感情が残っているうちに、どこか自分の頭とは違うところに、しっかりと刻むことを心づけて、時折それを振り返ること。それは決して国という規模の歴史だけではなく、僕達ひとりひとりの人生の歴史、日々の出来事であったとしても。


『大津波記念碑』
3.11の大震災のあとに何度もメディアで取り上げられたので知っている人も多いかもしれない。大津波が襲った三陸海岸に面する岩手県宮古市に実在するこの石碑は、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の後に、朝日新聞社の義援金によって建てられた。石碑には以下のような言葉が刻まれているという。
大津浪記念碑

高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな

明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
(wikipedia-大津浪記念碑)

 過去の大震災のときに到達した津波の位置を示し、「此処より下に家を建てるな」と警鐘を鳴らす。もう80年も前のこと。今回の3.11大震災では、この石碑の言いつけを守った人々と守らなかった人々で、悔やんでも悔やみきれない差が生まれた。生死の差である。


副専攻で履修しているジャーナリズムのクラスで、日本テレビ報道局社会部の清水潔さんは今日この石碑を取り上げ、メディアとはこの石碑のようであるべきだと強い口調で言っていた。その言葉に僕は強く同感した。ネット、新聞、写真、映像…その他にも多くの媒体がメディアという一言でくくられて、それらの優劣が語られているけれど、その本質となっているのはこの石碑と同じ事。どれだけ大切なことを残して伝えられるか。歴史を刻み、その後も警鐘を鳴らし続けられるかということ。数あるメディア媒体と情報の中で、はたしていくつのメディアがこの石碑と同じ価値を提供し続けていられるのだろうか。


僕は、twitterを用いて情報発信をすることをやめた。Facebookを使って頻繁に近況を更新することもやめた。その理由はいろいろとあるのだけれど、その中の1つが、SNSでは未来への伝達性、アーカイブ力が弱いから。すごく悲しいこと、すごく嬉しいこと、そういったことを人々は共感を得たくてSNS上に投稿する。感情を刻み込むという役割としては間違った方法ではないと思う。けれど、未来の自分がそれらの投稿を後からじっくりと読み返す姿があまり思い浮かばなかった。そして気がついた。ネットやSNSは未来志向のメディアにはなりづらく、刹那の喜びや悲しみを吐露するための現在志向のメディアにしかならないのではないかと。


僕は、僕が大切だと思ったことや気付きや感情を、このブログで書き綴ることにしている。もう少し洗練された文字にするべきだなとか、簡潔に書くべきだなとも思うのだけれど、それはこれからの課題。今はとにかく心の琴線に触れたできごとを書き記し、アーカイブにして残しておきたい。未来の僕のために、未来の僕にとって大切な人のために。


「大津波記念碑」に込められた思いと同じ種類の気持ちを、この石碑の役割を、僕はこのブログにしっかりと刻み込んでいきたい。そう思った。



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