トルコの北部にある街、サフランボル。オスマン朝時代の古い町並みと独特の木造家屋が世界遺産になっており、その町に今も人々が住み暮らす。石畳の坂道がはりめぐらされた風景が気に入って、そんなに大きな町ではないのだけれど僕はその街に4日間滞在をした。
僕が宿泊していたホステルも昔からの伝統家屋を改築したもの。綺麗に彫り込まれた壁や天井の装飾は本当に手が込まれていて、簡素な雰囲気だけれど、好印象だった。街の人々も素朴で優しかった。
僕が宿泊した宿で、1人のアメリカ人と出会った(名前は失念しまった…)。白髪でどこかくたびれた風情を漂わせている大柄の白人男性。遅い時間に帰った宿のテラスで1人ビールを飲んでいた。「こんにちわ」と声をかけ、「何処から来たの?」「何日間この街に滞在してるんだい?」そんな他愛もない旅人同士の社交辞令である会話を交わしながら一緒にポツポツとビールを飲むことになった。(ちなみに、イスラム教国家・トルコの保守的な田舎町でも、場所によってはアルコールは手に入る。ただし、おおっぴらに外で飲んだりすることはなんとなく憚られる)
話を聞くと、彼は僕の3倍近い歳をとっており、アメリカ中西部出身の人だった。結婚もしておらず、アメリカでエンジニアをしながら1人気ままに暮らしていて、お金が溜まっては世界を旅しているという。
僕がSan Franciscoに留学をしていたんだと伝えると、彼の少しくたびれたような目に灯が点った、そんな気がした。
「サンフランシスコ、カリフォルニアか…。懐かしいな、私はカリフォルニアを歩いて横断したんだ。有名なトレイルがあってね」
「あ、知ってる。パシフィック・クレスト・トレイルでしょ?僕の人生の夢の1つなんですよ、そこを歩くことが」
「そう、パシフィック・クレスト・トレイル。よく知ってるね。私もそこを歩くことにずっと憧れていてね、30歳になったときに、 働いていた会社も付き合っていた人との関係もすべて断ち切って、歩くことにしたんだ。その年は雪が深くて、踏破したのは私だけだったんだ」パシフィック・クレスト・トレイルはアメリカの南端、メキシコの国境から カリフォルニア・オレゴン・ワシントン州を突き抜けてカナダまでに至る総延長4000km以上のトレイル。冬場に山脈を歩くことはほぼ不可能なので、1年で踏破するとなると半年以上のまとまった時間やお金が必要となる。毎年300人以上が踏破を挑戦するが、その多くの人が金銭不足や時間が足りず(山に本格的な冬が到来してしまう)に、諦める。
「…凄い。 でも、今まで築き上げたものをすべてなくしてまでいくことの価値はあったの?」
「…どうだろう。トレイルを歩くために僕は仕事をほっぽり出してしまった。そんなにたくさんのお金いまでも稼げていない。子供もいない。寂しい人生になってしまったのかもしれない…
でもね、私はそのトレイルを歩いたことを後悔は全くしていないよ。夢が叶ったんだ。あの1年間が、私の人生で一番楽しかったと断言できる…シエラ・ネバダ山脈からの風景は今でも目を閉じると見えるんだ。
綺麗だった。本当に綺麗だったよ…」
"It was beautiful. It was so beautiful..."目をつむり、噛み締めるように彼はそう言った。酔いのせいだろうか、彼の目が潤んでいるように見えた。僕の心にも、何か、こみ上げてくるものがあった。
その後もしっとりした会話を少し交わし、翌朝が早いという彼と固い握手をして、別れた。
今日のブログのタイトルになっているのは、今、まさにそのパシフィック・クレスト・トレイルを歩いている僕と同年代の友人の連載『ロングトレイル奮闘記』、その初回のタイトルから引用させてもらった。
(→『ロングトレイル奮闘記』井手祐介)
サフランボルで出会った彼も、就活より大切なものを求めてトレイルを歩くことを決めた井手君も、そしてすべての年代のすべての人が、大なり小なり、同じような悩みや苦しみを抱えてる。やりたいことと、やるべきことの違いの葛藤、理想と現実のギャップ、挑戦している人と立ち止まっている人の違い…捨てる勇気、捨てない勇気。
僕は捨てる勇気はそんなに持っていない。だから、捨てて走り出している人を見たり彼らの経験談を聞くと、とにかく羨ましかったり悲しくなったりする。僕だけではなくて、きっと多くのひとが同じような感情を持っていると思う。
「失うものが少ない大学生のうちに、色々とやっておきなさい」多くの大人がそう僕達に言う。それはでも、どのくらいのことをやればいいのだろうか。本当にそうなのだろうか。
就職に悩む友達と話をする機会が多かった。僕も、来年はそんな立場になっているかもしれない。
「就活の第一波しっぱいしちゃってさ、これからの中小企業受けようか、留年しようか、もっと旅しようか、悩んでるんだよね」やりたいことを追求するために、失うものは確かに学生には少ないけれど、だからといつまでも自由を謳歌するべきものなのだろうか。大人になるってことは、そういう苦しさや悲しみと一緒に育つことなのではないだろうか。いつまでも子供のままでいいのだろうか。
なんの答えもない、ブログとなってしまった。けれど、そんな考えが頭をめぐった。
サフランボルで出会った彼は、きっと今も旅をしている。
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