6/30/2013

とかく住みにくい人の世のバイブルとしての落語

物心ついてから初めて、落語を見て来た。
毎週土曜日の21時30分〜23時に、新宿3丁目にある演芸場「末広亭」では、深夜寄席といって新進気鋭二つ目の公演がたった500円で聞ける。(→新宿末広亭「深夜寄席」
(上野にある鈴本演芸場では毎週日曜日に「早朝寄席」が10時〜11時30分に開催されている。こちらも500円→上野鈴本演芸場「早朝寄席」


新聞のコラムでは、時折、落語の噺が引用されていたりする。
記憶にあるのは2013年5月5日の朝日新聞朝刊コラム『天声人語』の一節。以下引用。

いったん懐を飛び出した金はもう俺のものではない。落とした財布を届けられた大工は、そういって受け取らない。届けた左官も引き下がらないから、大げんかになる。南町奉行、大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁きは…。落語の「三方一両損」である。
江戸の職人は目先の金に頓着することを潔しとしない。そんな二人の意地の張り合いがおかしい。エッセイストの中野翠(みどり)さんはかつて古今亭志ん朝でこの噺(はなし)を聞き、泣きそうになったと言っている。人間には損得とは別に大切なものがある。「損得がわからないバカでもいいんだ、と」(『この世は落語』)
人の心はややこしい。二心(ふたごころ)という言葉もある。ひとつの頭の中で天使の声と悪魔の声が交錯したりする。
損するより得する方がいいと、誰もが簡単に割り切るわけではない。見えもあれば、利他心もある。
(後略) 
そもそも落語ってなんだろう、そんな疑問からすこしだけ勉強してみれば、オチ(サゲともいう)のある噺から、落とし噺となり、のちに落語という名称でよばれるようなったものだという。
つまり、「おもしろい、滑稽な話であること」、「オチがつくこと」なんかが落語の定義になる。それでも、読み聞きする落語から感じられる面白さは、テレビで話題の芸人さんが演じるコントやお笑いとは一味ちがう良さがあった。

今日、初めて生で噺を聞いて感じたその「良さ」とは、「日本人に生まれてよかったな…」、そんな気持ちを掻き立ててくれる場面が何度もあったことである。
上方落語を話す人の関西弁とちょっとぼけた感じ、「ヒ」を「シ」と発音してべらんめえ調となる江戸言葉、どの時代にもいるであろう色ものに夢中になる殿様や間抜けに金儲けを考える若者が出てくる古典落語、つかみの世間話はスカイツリーに関する笑い話や時事のこと。
時空を超えた日本のエッセンスが落語のテーマ、噺家の所作、演芸場の雰囲気、いたるところに見られて、噺に引き込まれた。

落語って、例えて言うなら日本人のバイブルのようなものではないかと思った。
ちょっとだけ古くさいんだけれど、その中にとても大切なメッセージ、ラクに生きるためのヒントが詰まっている、そんな教典のような存在。<智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい>夏目漱石『草枕』の冒頭にあるような住みにくさや生きにくさを感じたときに、フッと肩の力を抜けさせてくれるもの。

まだまだ落語経験はすくないのだけれど、また観に行って経験を積みたいと思う。20代、30代、40代…年を経るごとに、同じ噺から感じることも変わってくるだろう。その違いを楽しみにしながらも、いまの感性を大事にして、色々と感じ考えたい。
そのための、落語。なんだか粋でいいんじゃないか。


6/26/2013

日本の夏が恋しくなる

東京の空が夏模様をおびてきた。
突然降りだした夕立がアスファルトを濡らしたり。
見上げた空に夕焼けと青空が入り交じっていたり。
街灯の上にまだ未熟な入道雲と陽射しが輝いていたり。
夏がすぐそこに迫っていることを感じる日々が続く。



3ヶ月の留学出発まで1周間となった。
7月、8月、9月という夏の盛りに、いざ日本から離れることになると、あんなに湿っぽくて嫌だと思っていた日本の夏がなぜだか恋しくなってくる。去年好きな人と観に行った花火大会や夏祭りに今年は行けないんだなぁ…とか、仲の良い友達と海に行くこともできないのか…とか。
「夏」がキーワードの映画、音楽、絵、イベント、思い出が脳裏をよぎる。


周囲の友達がサマーインターンシップに向けて本格的な選考を受けていたり、夏の学会発表に向けての準備をしている様子を聞いて、焦りを感じることも多い。自分だって遊びに行くわけではないのだけれど、「日本でしっかりと研究するべきなんじゃないかな」とか、「インターン参加できなくて就活遅れをとったらどうしよう」とか、そんな不安が少なからず僕を襲う。

今回はふらっと旅に出るわけではなくて、アサインされた研究室に所属して研究を行うという明確な目的がある。それでも、なんとなく旅人気分が抜けず(実際プログラムの前後1週間ほどはふらふらするのだけれど)「まぁ、着替えさえあればなんとかなるかな、荷造りは前日で大丈夫」なんて若干適当に考えてしまっていたりする。

数えてみれば、残りの人生で夏はあと50回とか60回とか、それぐらいしかない。
たった一夏、されど一夏。
「たった」の一言に甘えていても、「されど」の一言に囚われすぎてもいけない。
留学をすることは自分が決めたこと。日本の夏が恋しくなるかもしれないけれど、それ以上に充実した日々を過ごすために、行けて良かったと思うために、本気で勉強も遊びも楽しみたい。
夏の思い出はやってくるものではなく、自分自身でつくり上げるものだ。

夏や留学のときだけではなくて、出来るだけ毎日をそんなふうに、大切に過ごしていけるように。明日も頑張ろう。

6/21/2013

"Ich bin ein Berliner"

50 years after iconic JFK speech "Ich bin ein Berliner", President Barack Obama made a speech about "the world without nuclear weapon" in front of the Brandenburg Gate day before yesterday in Berlin. The world changed a lot in this fifty years. 

Berlin wall erected. Families, lovers, thoughts, informations... so many things were separated. Number of nuclear weapons in the world increased drastically. "Tear down this wall!" Ronald Reagan screamed. It falled down when I was born. Obama proposed reducing the American nuclear arsenal by as much as a third during his first visit to the German capital. And time goes by.

Remembering my stay in Berlin about two years ago, I was too amateur to know the world's histories and think about the world's future. Now, I'm studying world history by my self and I'm thinking a bit more of next 50 years. 

Standing in front of the world's historic monuments probably affected me to think about the world's tragedies and peace. 

"Ich bin ein Berliner"

Someday, I would like to go back to the city where so many world's honors try to scream out the importance of the future.


"Ich bin ein Berliner" (June 26, 1963)

"Tear down this wall!"(June 12, 1987)


"The world without nuclear weapons"(June 20, 2013)

6/19/2013

右傾エンタメ、日本と世界との距離感

最近のベストセラー「海賊と呼ばれた男」「永遠の0」、ドラマになった「空飛ぶ広報室」、映画化された「図書館戦争」。作家の石田衣良さんがこれらの作品を「右傾エンタメ」であると指摘、そんな記事が一昨日6月17日付け朝日新聞朝刊に掲載されていた。
読者の右傾化?不満の表れ?「愛国エンタメ小説」が人気 ― 朝日新聞デジタル
それに対する著者の1人やtwitter上の人の意見も噴出し始めている。
レッテル貼り?右傾エンタメが流行中!? ― NAVERまとめ
「別に、日本のことを愛せとか、そんなこと、思わないし」 
「単純に面白い作品として楽しんでいて、それを右傾化とか言われたら心外」
そんな意見もありそうだし、そのとおりであると思う。

けれど、昨今、仲が悪くなっている中国や韓国の人から見て、僕らがこういったエンタメに熱狂している様はどのように移るのかな…と考えた。
「日本の最近のベストセラーは軍隊ものばかり」 
「愛国主義、まずはエンタメから」
そんな心ない週刊誌の見出しが頭に浮かんだ。メディアは物事の事実を「わかりやすく」そして「ストーリー性のあるように」補色して伝える。先の衆議院選挙のときも、民主党に対する「NO」を叩きつける感情が強かったように思える投票傾向を、右傾化する自民党に「YES」を唱えているといった解釈に近い表現が紙面を踊らせていた。それに関する記事も書いた。
「日本はいい国だよね!」という妄想の崩壊?


あらゆる国が自分のために行動する時代。国家資本主義の台頭。Gゼロの世界。
意識的であれ無意識的であれ、自分の国を好きになったり誇りに思うことが、他の国の人から非常識だと叫ばれ、バッシングの対象になりうるのだろう。

ある1つの事柄に対する時間軸の捉え方、視点の起き方、考え方や背景、それらが他者と全く一致するということはほとんどない。僕がどんなに頑張っても他の誰かと同じ思考回路を得られないように、国だって、独自の判断や認識で日々や過去の事実を解釈して血肉として、個性としている。


この世に真っ白な事実なんて存在しなくて、僕らが聞かされ教えられ語り継いでいくものは常に色が加えられた認識でしかないのかなぁ…と、そんな当たり前のことを改めて考えてみたり。

戦争で亡くなったご先祖様に向かって手を合わせたら、それは右翼なのか。軍国主義への回帰のように映ってしまうのだろうか。
海外に行く機会が僕らの世代は増えて、「あぁ、やっぱり日本はいい国だ…」って感情を抱くのは当然の事であると思うけれど、それが過去を美化していると言われて避難されてしまうのだろうか。


あと2週間でアメリカへ出発する。
短い時間ではあるけれど、少し保守的になりすぎているかもしれない自分自身の国との距離感、世界との距離感を一旦離れたところから測り直す良い機会になるかもしれない。



6/15/2013

お酒っていいよね

下戸の人に「お酒を飲め!」と強要する訳ではなく、宗教的に禁酒である国の人々を無下にするわけではない。でも、僕は、お酒は少しは呑めるほうがいいと思っている。

僕達の世代は、嬉しいことがあるとSNSを通じて報告する一種の「クセ」がある。
「内定頂きましたー!」
「◯◯で美味しいご飯食べてます^^」
「合格しました!」
大きいことでも小さいことでも、嬉しいことがあったらその気持ちをシェアしたいと思うのは人間の真理だろう。喜びは喜びを誘発することも多い。だから感情を伝えることは正しいことなのだろう。
でも、大人になると、時に、 感情をおおっぴらにしてはいけないときがある。はしゃいではいけないときがある。喜びの絶頂にいる人と悲しみのどん底にいる人が、隣り合わせになって同じ場を共有して生活せざるを得なくなるからだ。

大人への仲間入り、就職活動を終えた友人が多くいる。それと同じくらい、就職が決まっていない友人もいる。終わったけれど不満足な結果となっている人もいる。SNS上で自らの就職が上手くいったことを報告した友人の多くは、きっと悩んだと思う。まだ就職活動を続けている人がいるのに、「報告!」とかしていいのかな…と。悩んだ結果、報告をしないで我慢している人も多いように思える。自らの感情を抑えているようで、なんだか息苦しい社会だなぁ…と感じるかもしれない。

でも、考えてみればそれは大人として当然のことであると思うし、社会に出るとはそんな息苦しさの中を生きることなのではないだろうか。はしゃぐことなく、自らの喜びを押さえて悲しみの淵に立つ人のことを思えるようになること。喪に服している人のことを考えて自粛すること。僕が素敵だなと思う大人の人が備えている気質は落ち着きであって、それは決して感情を持たない冷たい人ではない。むしろ感性豊か、経験豊かだからこそ自らを抑えられている人こそが真の大人であるように思える。そうなりたい。

「まぁとにかく飲みに行こうか」
この一言は、喜びの絶頂にいる人にも、悲しみのどん底にいる人にも、平等に与えられている。そしてお酒を囲んだ場では、「はしゃがない」という社会的リミットが少しだけ緩和されて、喜びと悲しみの両極端にいる人同士を自然と近づけてくれる。眩しすぎる嬉しさの爆発を穏やかに、とげとげした悲しみのカドを丸くしてくれる。そんな役割をお酒は担えるように思える。

だから、お酒っていいよね。
普段我慢をしている人に色々とボーナスをくれるようなそんな飲み物。我慢しなくても酒は美味いけど、色々と考えて我慢して飲む酒のほうがなんだか「イイモノ」になる。

「酒は心の潤滑油」とは良く言ったもの。油でびっちょびちょになってたら意味が無いけれど、すこしギシギシしていると思ったら、ピトッと1滴心に垂らして、人生の回転をよくさせたい。

少し飲みすぎたかな。


6/10/2013

『就活より大切な”今”を求めて』

ふと、トルコで出会ったアメリカ人との出来事を思い出した。

トルコの北部にある街、サフランボル。オスマン朝時代の古い町並みと独特の木造家屋が世界遺産になっており、その町に今も人々が住み暮らす。石畳の坂道がはりめぐらされた風景が気に入って、そんなに大きな町ではないのだけれど僕はその街に4日間滞在をした。
僕が宿泊していたホステルも昔からの伝統家屋を改築したもの。綺麗に彫り込まれた壁や天井の装飾は本当に手が込まれていて、簡素な雰囲気だけれど、好印象だった。街の人々も素朴で優しかった。









僕が宿泊した宿で、1人のアメリカ人と出会った(名前は失念しまった…)。白髪でどこかくたびれた風情を漂わせている大柄の白人男性。遅い時間に帰った宿のテラスで1人ビールを飲んでいた。「こんにちわ」と声をかけ、「何処から来たの?」「何日間この街に滞在してるんだい?」そんな他愛もない旅人同士の社交辞令である会話を交わしながら一緒にポツポツとビールを飲むことになった。(ちなみに、イスラム教国家・トルコの保守的な田舎町でも、場所によってはアルコールは手に入る。ただし、おおっぴらに外で飲んだりすることはなんとなく憚られる)

話を聞くと、彼は僕の3倍近い歳をとっており、アメリカ中西部出身の人だった。結婚もしておらず、アメリカでエンジニアをしながら1人気ままに暮らしていて、お金が溜まっては世界を旅しているという。
僕がSan Franciscoに留学をしていたんだと伝えると、彼の少しくたびれたような目に灯が点った、そんな気がした。
「サンフランシスコ、カリフォルニアか…。懐かしいな、私はカリフォルニアを歩いて横断したんだ。有名なトレイルがあってね」
「あ、知ってる。パシフィック・クレスト・トレイルでしょ?僕の人生の夢の1つなんですよ、そこを歩くことが」
「そう、パシフィック・クレスト・トレイル。よく知ってるね。私もそこを歩くことにずっと憧れていてね、30歳になったときに、 働いていた会社も付き合っていた人との関係もすべて断ち切って、歩くことにしたんだ。その年は雪が深くて、踏破したのは私だけだったんだ」
パシフィック・クレスト・トレイルはアメリカの南端、メキシコの国境から カリフォルニア・オレゴン・ワシントン州を突き抜けてカナダまでに至る総延長4000km以上のトレイル。冬場に山脈を歩くことはほぼ不可能なので、1年で踏破するとなると半年以上のまとまった時間やお金が必要となる。毎年300人以上が踏破を挑戦するが、その多くの人が金銭不足や時間が足りず(山に本格的な冬が到来してしまう)に、諦める。
「…凄い。 でも、今まで築き上げたものをすべてなくしてまでいくことの価値はあったの?」
「…どうだろう。トレイルを歩くために僕は仕事をほっぽり出してしまった。そんなにたくさんのお金いまでも稼げていない。子供もいない。寂しい人生になってしまったのかもしれない… 
でもね、私はそのトレイルを歩いたことを後悔は全くしていないよ。夢が叶ったんだ。あの1年間が、私の人生で一番楽しかったと断言できる…シエラ・ネバダ山脈からの風景は今でも目を閉じると見えるんだ。 
綺麗だった。本当に綺麗だったよ…」
"It was beautiful. It was so beautiful..."
目をつむり、噛み締めるように彼はそう言った。酔いのせいだろうか、彼の目が潤んでいるように見えた。僕の心にも、何か、こみ上げてくるものがあった。
その後もしっとりした会話を少し交わし、翌朝が早いという彼と固い握手をして、別れた。

今日のブログのタイトルになっているのは、今、まさにそのパシフィック・クレスト・トレイルを歩いている僕と同年代の友人の連載『ロングトレイル奮闘記』、その初回のタイトルから引用させてもらった。
(→『ロングトレイル奮闘記』井手祐介

サフランボルで出会った彼も、就活より大切なものを求めてトレイルを歩くことを決めた井手君も、そしてすべての年代のすべての人が、大なり小なり、同じような悩みや苦しみを抱えてる。やりたいことと、やるべきことの違いの葛藤、理想と現実のギャップ、挑戦している人と立ち止まっている人の違い…捨てる勇気、捨てない勇気。

僕は捨てる勇気はそんなに持っていない。だから、捨てて走り出している人を見たり彼らの経験談を聞くと、とにかく羨ましかったり悲しくなったりする。僕だけではなくて、きっと多くのひとが同じような感情を持っていると思う。
「失うものが少ない大学生のうちに、色々とやっておきなさい」
多くの大人がそう僕達に言う。それはでも、どのくらいのことをやればいいのだろうか。本当にそうなのだろうか。

就職に悩む友達と話をする機会が多かった。僕も、来年はそんな立場になっているかもしれない。
「就活の第一波しっぱいしちゃってさ、これからの中小企業受けようか、留年しようか、もっと旅しようか、悩んでるんだよね」
 やりたいことを追求するために、失うものは確かに学生には少ないけれど、だからといつまでも自由を謳歌するべきものなのだろうか。大人になるってことは、そういう苦しさや悲しみと一緒に育つことなのではないだろうか。いつまでも子供のままでいいのだろうか。


なんの答えもない、ブログとなってしまった。けれど、そんな考えが頭をめぐった。
サフランボルで出会った彼は、きっと今も旅をしている。

6/08/2013

ランゲージマイノリティのヌルいビール

「今日はシモがランゲージマイノリティの立場だね」
騒がしいアイリッシュパブの中を飛び交う言葉。それを必死に目で追っている僕に剛が笑いながら言った。目の前では僕が一割も理解できない言葉でたくさんの人がコミュニケーションを取り、ジョークを交わし、笑いあう。「言葉を目で追う」は比喩でもなんでもない。その言語は耳で聞いて理解する言葉ではなく目で見て理解する言葉、手話なのだから。

高校からの付き合いの剛につれられて(というか勝手についていって)、手話で会話を楽しむ人々の集まりに参加した。毎月第一金曜日の夜に、新宿のアイリッシュパブに人々か集まる取り決めになっているらしい。「俺も久々に参加するんだ」と言う剛は(彼のことやマイノリティについては以前のブログ参照→マイノリティであることはハンディなのか、ユニークなのか。)、友人との再会を楽しんでいる。僕はビールを片手に握りしめ、壁によりかかりながら30人以上集まった難聴・Deaf・手話を使える人々の会話の様子を眺める。

3年前に留学で訪れたアメリカでの最初のハウスパーティーを思い出した。英語はできないけれど、とりあえず人が集まる場所に行かなきゃなにも始まらないと乗り込んだ飲み会で、僕はただひたすら「日本から来たこと」「英語勉強中だということ」それだけのことを会う人会う人に繰り返し、まくし立てられて何言ってるのだかわからないことに対しては作り笑いで適当にうなずき、疲れてきたらビールを1人で飲みながらソファに座り、人々を見ていた。孤独で悔しくて悲しかった。手のなかのビールはどんどんヌルくなっていった。

それから3年が経ち、英語で日常会話ぐらいならこなせるようになった。世界を旅していても、英語ができればほとんどの人と何かしらの話ができるし、ホステルで出会う旅人は英語を話すのになれている。そんなわけだから、言葉が通じない屈辱感をアメリカであれほど味わったのに、いつのまにか僕は言葉が通じない苦しさ、言語的少数派(language minority)であることの苦しさをすっかり忘れていたようだ。今日、久々に言葉が通じないことによって「お茶を濁す」改めて「ビールを少しヌルく」させた。

今日の集まりは、言葉を交わせなかったから楽しくない――そんなことはなかった。ものすごく楽しかった。アメリカで学んだAmerican Sign Languageが少し使えたこと、剛が通訳をしてくれたこと、そして何よりも周りの人々が手話を使えない僕のためにペンで文字を書いてくれたり口を読んでくれたりした。嬉しかった。僕はランゲージマイノリティであったけれど、僕の周りにはそのマイノリティとどのようにコミュニケーションを取ればいいかを熟知しているメジャリティばかりであったから、不自由は感じなかった。

終電の時間が迫ってきて、手話で「またね」と挨拶をして店の扉をあける。外の世界に出た瞬間に、僕は日本のランゲージメジャリティに戻った。そして彼ら―手話を使う僕の友達―はランゲージマイノリティに戻った。

ランゲージマイノリティの人々が日々飲むビールは、ヌルくなっていないだろうか。ヌルさ、苦さ、不味さを演出しているのはメジャリティである僕ではないだろうか。耳に届くたくさんの雑音と闘いながら、そんなことを考えながらの家路であった。


6/05/2013

石碑に刻む、ブログに刻む

歴史は繰り返す。

まったく同じ現象・事象でなくとも、構造的に同じことは人々の記憶からその出来事が薄れたが最後、再び繰り返される。特にそれが失敗に関わる記憶=歴史であると、人間の自己治癒能力のために、風化が早くなるように感じる。だから大切なことは、記憶、思い、感情が残っているうちに、どこか自分の頭とは違うところに、しっかりと刻むことを心づけて、時折それを振り返ること。それは決して国という規模の歴史だけではなく、僕達ひとりひとりの人生の歴史、日々の出来事であったとしても。


『大津波記念碑』
3.11の大震災のあとに何度もメディアで取り上げられたので知っている人も多いかもしれない。大津波が襲った三陸海岸に面する岩手県宮古市に実在するこの石碑は、1933年(昭和8年)の昭和三陸地震の後に、朝日新聞社の義援金によって建てられた。石碑には以下のような言葉が刻まれているという。
大津浪記念碑

高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな

明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
(wikipedia-大津浪記念碑)

 過去の大震災のときに到達した津波の位置を示し、「此処より下に家を建てるな」と警鐘を鳴らす。もう80年も前のこと。今回の3.11大震災では、この石碑の言いつけを守った人々と守らなかった人々で、悔やんでも悔やみきれない差が生まれた。生死の差である。


副専攻で履修しているジャーナリズムのクラスで、日本テレビ報道局社会部の清水潔さんは今日この石碑を取り上げ、メディアとはこの石碑のようであるべきだと強い口調で言っていた。その言葉に僕は強く同感した。ネット、新聞、写真、映像…その他にも多くの媒体がメディアという一言でくくられて、それらの優劣が語られているけれど、その本質となっているのはこの石碑と同じ事。どれだけ大切なことを残して伝えられるか。歴史を刻み、その後も警鐘を鳴らし続けられるかということ。数あるメディア媒体と情報の中で、はたしていくつのメディアがこの石碑と同じ価値を提供し続けていられるのだろうか。


僕は、twitterを用いて情報発信をすることをやめた。Facebookを使って頻繁に近況を更新することもやめた。その理由はいろいろとあるのだけれど、その中の1つが、SNSでは未来への伝達性、アーカイブ力が弱いから。すごく悲しいこと、すごく嬉しいこと、そういったことを人々は共感を得たくてSNS上に投稿する。感情を刻み込むという役割としては間違った方法ではないと思う。けれど、未来の自分がそれらの投稿を後からじっくりと読み返す姿があまり思い浮かばなかった。そして気がついた。ネットやSNSは未来志向のメディアにはなりづらく、刹那の喜びや悲しみを吐露するための現在志向のメディアにしかならないのではないかと。


僕は、僕が大切だと思ったことや気付きや感情を、このブログで書き綴ることにしている。もう少し洗練された文字にするべきだなとか、簡潔に書くべきだなとも思うのだけれど、それはこれからの課題。今はとにかく心の琴線に触れたできごとを書き記し、アーカイブにして残しておきたい。未来の僕のために、未来の僕にとって大切な人のために。


「大津波記念碑」に込められた思いと同じ種類の気持ちを、この石碑の役割を、僕はこのブログにしっかりと刻み込んでいきたい。そう思った。



6/02/2013

紫陽花の青さが梅雨の街を補色する

6月、水無月。

関東甲信越地方は例年より11日も早く、5月29日に梅雨入りした。まだ傘打つ雨音が鬱陶しくなったわけでもなく、むしろ爽やかな日々が東京では続く。それでも、朝、家をでる前に「今日は雨がふるかな?」と空を見上げる。一人暮らしをしていれば洗濯物も気になる時節であるし、ビアガーデンや屋外テラスを売りにしたお店なんかは商売あがったり。
気がつかない所で、僕達の生活リズムや気持ちなんかは季節のリズムとリンクしている。雨の日に暗くなるのは部屋の中でけではない。僕達の心の中も、ちょっぴり暗くなっているかもしれない。

見上げた空、気持ちの良い一日だったけれど、なんとなく空の色から彩りが欠けたようにも感じる。すーっと空に、平たい雲のカーテンがかける。失われたのは青色。それを補うように街角では紫陽花が咲き誇る。思わずランニングの足が止まる。息を呑む、吸い込まれる青さ。綺麗だった。





なんで、雨の月なのに、水無し月なんだろう。そんなことを思ってWikipediaと他の辞書サイトをふらふら調べてみた。諸説あるらしい。
  1. 旧暦6月に梅雨が明け、田んぼの水が涸れてなくなることから文字通りの「水無し月」という説(なるほど)
  2. 雨よく降る季節「水の月」、その「の」の字が変化して「な」になったという説(だったらなぜ無の字にした)
  3. 田植えが終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張り月(みずはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説(無くなるところあれば有るところあり)
  4. 田植えという大仕事をし終えた月で「皆仕尽」とする説(だじゃれじゃないか)
などなど。言葉ひとつとってみても、所以は様々。では英語の"June"の由来は、ドイツ語では確か"Juni"だったな、同じ語源か。ASLではどうやって表すんだっけな―
思考の種は尽きない。

気象庁が公開している天気図を見てみた。前線がゆっくりと北上している。
空梅雨も困るけれど、長引くのも嫌だな。そうだ、防水の靴の靴底がペラペラで去年はすっ転んだんだった、ソールの張り替えをしないと。スエードのブーツが去年はカビたな、風通しの良い場所に移動させないと。今年も合羽着てチャリで学校行くか。雨の日に聞く音楽は何がいいかな…。


季節が、僕らに思考と行動の棚卸をさせてくれる。
今年の梅雨はどうやって過ごそうか。楽しもうか。