日付は変わってしまったけれど、今日11月20日は、「世界こどもの日」だった。
子供の「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」を定めた条約が、国連で採択された日を記念しての記念日とのこと。日本ではこどもの日は5月5日の端午の節句であり、春風になびく鯉のぼりとゴールデンウィークの陽気を連想させる、なんだかほのぼのとした春の温かい印象の祝日。しかし、その半年後の秋から冬に移り変わるこの季節に、世界こどもの日に放たれるメッセージというものは「遊ぶ」「学ぶ」「生きる」「笑う」…そんなあたりまえのこと。逆に言うと、こんな日をつくらなければならないほどそのあたりまえがあたりまえでないという厳しい現状にさらされている子供が世界にはたくさんいる。
イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆が止まらない。14日の空爆開始からのガザの死者99人(あくまでも、公表された人数)のうち、25人が子供。負傷者750人のうち約7割が子どもと女性だという。今回の大規模空爆はハマス軍事部門最高幹部の暗殺から始まった。戦争、紛争、喧嘩、そのほとんどは力を持った男の怒鳴り声で始まり、無力な女子どもの悲しみ泣く声で終わる。「世界こどもの日」に命を失った子どもたちはどれほどいたのだろう。
今年の9月に僕はチュニジアを旅した。朝、コーヒーショップで新聞を読みながら、顔なじみになったお店のおじさんとニュース番組を見る。そこには綺麗に着飾ったキャピキャピした大学生キャスターや、イケメン俳優の料理コーナー、クイズコーナーなんてものはない。延々と放送されるのは近隣のイスラム国家で続く紛争の様子や政治の話ばかり。コーヒーショップに集まるおじさんたちは、ガラスのコップに入った甘いコーヒーを啜りながら、苦しい現実を悲しげな顔をして見つめる。僕も言葉はわからないけれど、その映像を見つめる。目が離せなかった。
日本に戻りすごく平和な日々を過ごしているけれど、僕にはそのコーヒーショップでの朝が昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。そして、今日もチュニジアのおじさんたちが、イスラエルとガザの争いの映像を映すテレビを見上げて、少し眼をつぶって首を小さく横にふって、ため息をつく様子がわかる。
「遊ぶ」「学ぶ」「笑う」「生きる」「働く」
こんな当たり前のことのどれもできない子供がいる。そんな子どもの様子をすごく身近に感じて、自らもそういった感情を出すことのできなくなっている大人もたくさんいる。
僕は毎日、遊べるし、学べるし、笑えるし、生きれるし、働くこともできる。この感情を抱けることをすごく幸せだと思うし、この感情を僕だけでなくて世界中の人に届けたいと、心から思う。そのためにできることは、今の僕には募金でもボランティアでも政治家になることでもない。当たり前の権利が与えられていない人の分まで、毎日、真剣に、学び、遊び、笑い、働き、生きていく。そういうことだと僕は思う。
世界に平和が訪れますように。
世界中のこどもたちが遊び、学び、働き、笑い、生きて行けますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿