アメリカの歴史は浅い。建国してから200年の歴史しかなく多民族多宗教が入り混じる。数代遡れば祖先はイタリア人・ドイツ人という人や、じいちゃんばあちゃんはベトナム人やチャイニーズという人たちの集まりなのがアメリカ。日本やヨーロッパ諸国のような家系図を見たらずーっと同じ民族であるというような単一民族国家(Nation state, mono-tribe country)とは異なる。外見も、祖先から受け継がれている思想も、家族感も異なる。それなのに、戦争や紛争があると国のために命をかけて戦う人がいる。税金を払う人がいる。家族のため、愛する人のため、それは当然。そのひとつ上の層にある、アメリカという国をまとめている力。彼らが拠り所にする、求心力をもつその中心にあるものは何なのか。
それに対する答えは、僕はアメリカ人でも専門家でもないのでそれが正しいのかよくわからないけれど、当時一緒に同じ授業を受けていた中国系アメリカ人(ちなみに彼はゲイ。ゲイの人が言うことは説得力があるように感じてしまうのはなぜだろう)の友達が言った答えが僕の中の結論になっている。
「アメリカを一つにしているもの、それは星条旗と英語だよ。」
留学終了後、僕は電車で1週間かけてアメリカ大陸を横断したのだけれど、その旅の最中にも彼の言葉を反芻しながらアメリカというものを見て感じていた。
東にすすむにつれて、白人が多くなり、街中に教会などが現れたり、広大な土地が広がっていたり摩天楼があったり…全く違う土地、景観、人々が住んでいるのだけれど、そこには必ず星条旗があった。目に見える軒先にも、目に見えない彼らの心の中にも。それは確かに彼らのなかでアメリカという、ネイションという、目に見えないものを具現化して視覚化して、広く深く彼らの心の中に刻み込まれているように感じた。
そして、もう一つ。英語。言葉。アメリカ人をひとつにしているのが言葉であるというのが、昨日決着のついたアメリカ大統領選を追っているうちに強く感じた。人々は候補者に言葉を求め、胸に響く言葉によって深め合う。当然政策であるとか外交であるとか経済といったものも考慮して人々は自らの票を投げる。しかし、そういった政策と同じくらい彼らが、そして僕も、注目しているのが候補者が放つ言葉であるようだった。
今回の選挙戦でも、"Forward"(先へ)、"horses and bayonets"(馬と銃剣)、"one nation"(一つのアメリカ)というような響きの良いオバマの言葉が討論会やスピーチで使われると、twitterなどのソーシャルメディア上で一気に拡散し、少なからず人々の思想に影響を与えたのだと思う。
改めて、言葉の強さやそれに対するアメリカ人の感度の高さ、言葉(とその中のメッセージ)がアメリカをまとめあげる求心力となっている要素のひとつなのだということが感じられた。そこにはメディアによる操作や、大言壮語で中身をもたないレトリックで、それに操られている国民は悲しい…といったようなことも言えるのだけれど。しかし、すくなくとも誰かの言葉に耳を傾けるということ、聞く耳や態度があるということ、そしてその中で国民一人ひとりが判断をする機会と自由と意識あるということは、素晴らしいと思う。
世界経済で3位の日本の政治家の放つ言葉に対して、僕たちはあまり聞く耳を持たない。政治家は発信をしているのに。
2位の大国中国の共産党大会が今日からはじまり、国のトップが変わるけれど、アメリカ大統領選のような熱狂はない。注目してみても、とてもクローズな感じでなんだか楽しくない。アメリカ大統領と同じくらい、世界に影響力を持つ人が変わるというのに。メディアの規制が強い中国では、海外メディアの入国を現在強く制限していたり、SNS上では「胡錦濤」「習近平」といった言葉は削除されている。
言葉って、本当に強くて危ない力をもっている。
オバマの勝利宣言スピーチを見ながら、そんなことをしみじみと感じた。それは政治の世界だけではなくて、僕みたいな普通の人にとっても。
John Mayerの"My stupid mouth"の歌詞を思い出す。
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