11/21/2012

自転車乗りの哲学

朝の気温、最低気温が一桁になった。それでも僕は、毎朝片道10キロの道のりを自転車を漕いで大学まで向かう。今朝の授業で友達から、
「こんなに寒いのにまだ自転車に乗ってるの?」
と驚かれた。まだまだ乗ってるし、去年は真冬でも乗り続けた。


以前のブログで、これから暑くなってくるのに汗をかきながら自転車に乗っていることを友達から突っ込まれて、なぜ自転車に乗るのかを考えたけれど、それは電車が嫌いだからというネガティブな結論を出した。(→僕が、朝の電車が嫌いな理由
今日は真夏でも真冬でもなぜ僕が自転車に乗るのかというポジティブな理由を考えた。
自転車乗りの哲学。


まず、自転車のスピード感が丁度いい。歩くのも好きだけれど、僕の行動範囲は歩きだけではカバーしきれない部分があるし、ちょっと遅い。反対に車やバイクは早くて便利だけれど、交通ルールにのっとって走らなければならないために惰性的に走ることが多いし、急に止まることができない。
僕の好きな自転車のスピード感とは、
  1. 人の顔の表情が見れて季節を感じることができて、
  2. 困っている人がいたら助けることができて、
  3.  それでも多くの人を追い抜いて走ることができる
そんな速度感だ。


1.について。
自転車に乗っていて街を走るときによく見ているのが、街往く人の表情や、季節感とか雰囲気だ。例えば先週日曜日には、上野まで自転車を走らせたのだけれど、よく晴れた秋の日の午後で、家族連れやカップルの顔がすごく穏やかで笑顔が多いことに気がついた。それはきっと、バイクや車といったスピードを持っていてはあまり感じられない・気づかないものなのではないかなと思う。ある程度のよそ見ががゆるされている(もちろん、し過ぎは危ない!)、少し早めのスピード感。それが僕は好き。

2.について。
これは1.と少し似ているけれど、誰か困った人を見つけたらすぐにでも自転車を降りて助けてあげることのできる、人間味のある乗り物とスピード感だということ。僕は以前はバイクに乗っていたけれど、今は通学のためにバイクに乗ろうとは思わない。今の僕には少し速すぎるように感じる。エンジンがつくるスピードは、どうしても急にとまることができない。結果、自分のすぐ後ろで事故があったり、困っている人がいたとしても、機会がつくるスピードに支配されてわざわざ止まろうという感覚が弱くなる。交通ルールを厳守して走らなければならないので止まることができない場合も多い。自転車乗りが増え、交通ルールを守ることや車両を走ることを徹底されているけれど、僕はエンジンのつくりだすスピードと人力のスピードは全く性質のことなるものだから、自転車を車・バイクと同じように扱うのは違うと思う。歩行者と車両の中間、人間味のある乗り物、グレーな感じでいいと思う。(自転車乗り一人ひとりの交通マナーがしっかりしているという大前提のもとで。)

3.について。
じゃあ歩け、と言われるけれど、歩くスピードは僕には少し遅すぎる。誰かより少し早く、少し前を走っていたい。1番の速さを追求する必要はないけれど、ドベは嫌だし、平均よりはちょっと上で、俺は結構早いんだぜ!といばれるような、そんな立ち位置が僕は自転車のスピードに対しても普段の立ち位置でも、あっていると思う。乗っている自転車もレースに出て1番を目指すようなロードレーサーではなく、ただ自転車であるというママチャリやマウンテンバイクでもなく、街でそこそこのスピードが出せるというクロスバイクだ。


他にも自走する乗り物であることや、孤独な乗り物であることとか、僕が自転車に乗り続ける理由は考えはじめたらきりがないので、これぐらいで。
最高気温40度の日も、最低気温が0度の日も、小雨の日もたいてい自転車に乗って学校に通い続けた。乗りながら気がついたことや考えたことは数しれない。
僕にとって自転車は、携帯のディスプレーやノートから眼をはなして生きている人や街、巡る季節に出会わせてくれる、物凄く人間味のある乗り物だと思う。これからも乗れるうちは、自転車に乗り続けていたい。






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