9/28/2012

歴史を忘れない街角

僕が持っている、2010年に発行されたチュニジアのガイドブックと、今年に発行されたガイドブックの中には、いくつかの相違点がある。その中の一つが、今、滞在している首都チュニスの中心に位置する広場の名前である。

僕のガイドブックには、時計塔建つその広場の名前は”Place 7 Nobembre"、11月7日広場とある。しかし、Googleマップで同じ場所に焦点を合わせてみると、そこに現れる文字は”Place 14 Janvier 2011"、2011年1月14日広場となっている。

11月7日は、1956年、チュニジアがフランスから独立を勝ち取り、翌年11月7日に共和制が導入されハビブ・ブルギバが初代大統領に就任した日である。歴史的な転換点を迎えた年月日や、それに関わる偉人(あるいは、時と場合と味方によっては極悪人とされてしまう人)の名前が、人々が集まり憩う広場や道路の名称として冠される。

そして、2011年1月14日は、記憶に新しいジャスミン革命によってベン・アリによる独裁政権が崩壊し、民主主義が導入された年月日。革命とその後のチュニジアの情勢を見聞きしてみると、一概にそれがハッピーな日であったとは言えない。しかし、その日に、歴史的な転換点が訪れた。その「事実」を改称された広場は訴える。

ヨーロッパを旅行したことがある人は、道路の名前に日付や人の名前がつけられていることや、全く同じ名前の広場がたくさんの街で用いられていることに気づく人もいると思う。例えば、ドイツでは”Platz des 18 Marz"、3月18日広場というものがベルリンの中心にあり、おそらく同じ名前の広場や道路がドイツ中に存在し、これは1848年ドイツ3月革命が発生した年月日である。僕が現在滞在しているチュニジアでは、”Av. Habib Bourguiba"、初代大統領ハビブ・ブルギバ通りという名前が、ほとんど全ての街のメインストリート名となっている。

チュニスの中心に位置するその広場の名前が変更されたこと。それは、人々がその日に起こった歴史を忘れたくないという強い思い、
そしてそれを後世にも残していきたいという感情の表れであると思う。歴史を重んじて保守的であるような印象を抱くヨーロッパ諸国の方が、実はそういったパブリックスペースの名称を変更することに抵抗がなかったりする。イギリスの、ビッグベンの名称で愛され続けていた時計台が、エリザベス2世の在位60周年を記念して”エリザベスタワー”に改称されたように。
そこにある大衆の意識としては、これは僕の考えであるけれど、今自分が生きているこの瞬間はいつかは歴史となる。そんな当然の事実を人が、国が、なんとなーく理解していているからこそなされることなのだと思う。

日本を批判したくはないけれど、多くの日本人が「歴史」という言葉を聞くと「過去の産物」とか「現在とは違った世界観」、今自分自身が生きているこの瞬間と切り離して考えている。でも、僕が留学や旅を通じて芽生えた感情の中の一つが、「今、僕が生きているのは、急速に変わりゆく歴史の真っ只中にいる」そんな気持ちであり、それはよくよく考えてみるとと至極当然のことであると思う。でも、その当然に気がつかないまま生きている人が大勢いて、だから、例えば、野口英世公園とか、坂本龍馬通りなんて名前が存在しないのかな、なんて思ったりする。

街角で出会う広場や道やランドマークの名称が変更されること。それは間違いなく現在進行形で歴史を紡いでいるという意識の表れである。そして、例えば100年後、1月14日広場を車で通り過ぎたチュニジア人の子供が「どうして1月14日っていう名前なの?」という質問を運転するお父さんに尋ねたり、あるいは観光でロンドンに訪れたカップルがエリザベスタワーの前で記念撮影をして、「エリザベスってどんな人だったのかな?」という疑問を抱いたりする。そういった疑問に対する答えは、ポジティブであるかもしれないし、ネガティブであるかもしれないけれど、確かにそこで歴史が動いたということを再確認することができる。それが、僕は、すごく素敵であるし大事なことであると思う。

歴史を忘れない街角が存在する。
日本にはあまり存在しなくて、いいな…と思うものの一つである。




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