イスタンブールの新市街、サンフランシスコを彷彿させるようなような坂道の中腹にあるカフェにてターキッシュティーを頂きながら。
一ヶ月に及ぶ長い旅が始まったのだけれど、今の心境は若干のホームシック。というかホームの気持ちが抜けきれていない。
東京でのまあまあ(学生ですからね、ぶっちゃけそんなにキツくないですよ)忙しい毎日や日々のスピード。
常日頃からそのスピードに溶け込まないように、自分自身の時間をもって余裕をもって生きていこうとしていたのだけれど、知らず知らずに東京のスピード感が身体に染み込んでいたみたい。
そして家族、研究室、バイト先、友達といった誰かと一緒にいることで得られる「所属の時間」。SNSの普及で毎日の些細な時間もなにか・なにものかに所属してしまっている最近の風潮が僕は嫌いで、その反対であるなにものにも属さない独りの時間=「無所属の時間」を大切にしていたのだけれど、いざ旅がはじまって目の前に莫大な「無所属の時間」が広がると物怖じしてしまう。そして嫌いと言っていた「所属の時間」が恋しくなって、友達とLINEで会話をしたり、Facebookを開いたり。
人は最後は独りなのだけれど、独りでは生きていけない。そんな当たり前のことを再度確認したりしている。
「知らず知らずに染み込んだ東京のスピード感」
「所属の時間」
これらを旅を通じて捨て去りたいとは思わない。けれど、せっかく異国の地にいるのだからこれらを自分の心から少しだけ追い出して、空いた部分になにか大事なものを詰めて家路につくことができたらいいなぁと思う。
旅はまだ始まったばかり。
今回の旅には父親から借りた携帯キーボードがあるので、思ったことや感じたことをなるべく多く、残しておこうと思う。
14時間の成田からイスタンブールまでの飛行機の中で読み終わった本、伊集院静さんの「旅行鞄にはなびら」から引用。
”旅のあとさき……。旅に出かけて戻ってきた人が少し何かが変わる時がある。
さまざまな旅があるのだろうが、出かけた先で何か今までと違ったものにめぐり逢うことが、人のいろんな行動の中での旅をするという行為の特徴なのだろう。どこかが変わった人がいれば、何かに出逢ったのかもしれない。
旅はやはり何かにめぐり逢うのだろう。それが訪れた先で出逢った人、風景、出来事の場合もあるし、本人も気付くことのなかった自身のうちに隠れたものであっても、ともかく旅はめぐり逢いなのではなかろうか。”
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