9/21/2012

チュニジアで流れる涙

砂漠という自然の素晴らしさに出会い、涙がでた。

星屑の空、地平線の彼方に沈む太陽、乾いた風、握り締めた手からこぼれおちる砂、果てなく続く砂丘…
砂漠だけではない。綺麗な雲の形や、草木の移り変わりや、空を飛ぶ鳥の様子など、自然は僕たちの周りにいつもそっと存在している。旅先でも、日本でも。
東京で暮らしているときに自然を見て涙を流す機会が少ないのは、単純に、ディスプレーやノートを見つめる時間が長くなりすぎて、天を仰ぎ見る時間が相対的に短くなっているだけだからだと思う 。
だから、眠れない夜に、一人きりの夕方に、懐かしい人とたちを思い出しているときに、僕たちはふと自然の雄大さに気がついてその偉大さの前で頭を垂れ、涙を流す。


それと対比するかのように、ニュースに流れるのは隣国リビアの情勢、中東各国の紛争、病院に担ぎ込まれる人の姿、叫び声をあげ何かを訴える民衆…人間の悲しく醜い姿だった。
「これは中東の革命の残り火なのかな」
僕の問いに、3日間車を運転してくれた笑顔の素敵なMondherさんが、その時だけ真剣なそして悲しげな顔をして答えてくれた。
「これはもう、革命なんかじゃない。子供のケンカだよ。」
なぜ子供のケンカで人が死ななければならないんだろう。
テレビの中でも小さい子供が泣き叫んでいる。
また、涙がでる。


自分の思い通りに、人の気持ちは、世界は、すすんでいかない。
そんな当たり前のことを知り、胸の奥の部分がグーっとなる。


自然の雄大さ、人の醜さや素晴らしさ、恋や愛、生と死…
涙が流れる理由を言い表すには、人間の生み出した言葉は少なすぎる。頬を伝う無色透明の食塩水はすぐに乾いて消える。けれども、その根源となった心の気持ちは形にも言葉にもならず極彩色のように入り混じり人の中に残っていく。


チュニジアで、色々な涙に出会っている。

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