2/11/2013

色即是空、空即是色。

"言葉はいつも曖昧で
日替わりな気持ちをはぐらかせてる
昨日はいつも明確で
記憶の整理で一日が終わる"
 ―『空っぽ』SPECIAL OTHERS


言葉は使わないと忘れてしまう。
僕は1年間の留学に行き、その前後も今も英語学習は続けているけれど、こぼれ落ちるように僕の記憶から学んだ言葉は失われていく。
言葉の役割は2つある。僕はそう思っている。1つには、自分自身の思考を整理整頓するためのツールとして。もう1つは、自分以外の誰かと意思疎通をするためのツールとして。


1つ目の整理整頓。
僕がこのブログを書いている理由もそうであるけれど、言葉は僕達の感情とか記憶といった頭の中の絶えず変化して消えていくものを留めておくために使うもの。原始時代の洞穴ので暮らしていた人たちは、朝と夜が何回訪れたかをカウントするために洞穴の壁に線を一本ずつ引いていった。その線と、同じもの。その線一本に「一日」という意味を持たせたことで、今日が何日目であるかを明確に理解することができるようになった。同様に、僕達の内側から来る感情や外側から来る影響、有形のもの無形のもの、それらを言葉で現すことで、流動的に存在する身の回りのことが固定して、扱いやすくした。それが整理整頓。


2つ目の意思疎通。
洞穴に書いた一本の線=「一日」だということを一緒に暮らす家族の中での共通認識とすることで、原始人は「一日」について語り合うことができるようになる。今日の線一本はなんだか寒かったなぁ。ちょっとギザギザした線にしておくか。今日の線一本は大事な人を失った。忘れないように消えないように強く深く刻んでおこう。そうやって、僕らは大事な感情を誰かと共有することが出来るようになった。お互いに足りない情報を補いあい、大事だと思ったことを同じ表現方法で理解し合う。それが意思疎通。


言葉は万能なのか。そんなことはない。ある老齢の作家がこんなことを言っていた。
「未だに、空の色の形容の仕方に悩む毎日だよ」
作家という人の心情を言語化する仕事を日々続けている人であっても、空の色の表し方に悩むのだと。透き通る青、コバルトブルー、陰鬱な灰色、群青、…
人は皆、自分自身の感じる空の色がある。心に思い浮かべる天上に存在する空間の色。整理整頓するために、「青」という色の名前をつける。意思疎通するために、「青」がみんなの平均点となる。


言語の表現方法に限界を感じて、写真、絵、音楽、ファッション、アート、そんな自由度の高いものを選択する人もいる。論理的思考に疲れて、感情的表現を愛するようになる人もいる。より自由度が高く、自分の思いを忠実に表せる方法。しかしそこで発生するジレンマは、言語化されていないためにブレてしまうこと、間違った認識が生まれてしまうこと。伝わらないこと。整理整頓と意思疎通の難しさ。


留学中に1年間、アメリカ手話を学んだ。American Sign Language。クラスメートと一緒に、San Franciscoの公園やバーで開かれる集まりに参加したり、時には車に乗りBerkeleyまで行き、Deafの人達(耳が聴こえない人)とのコミュニケーションを楽しんだ。
ASLはもう1年半も使っていない。だから、すっかり忘れてしまっていてもおかしくないのだけれど、意外と手も身体も覚えている。手話という言葉は、表情や身体の動きが必要不可欠で、すごく自由度の高い言葉なのだけれど、意思疎通がしっかりできる。感情が言葉になっていると言ったら言いすぎかもしれないが、先に述べたようなジレンマを乗り越えている。"Hello"という手話の時には、自然と笑顔に。"sad"という手話の時には自然と悲しい顔に。
旅先でも、結局言葉が通じなかったらボディ・ランゲージ。これだけで、意外と人とは心が通う。


言葉の本質は感情。
感情があり、言葉が生まれる。言葉があり、感情が伝わる。
言語を忘れないためには、感情を忘れないことが大事なんだろう。


色即是空、空即是色。



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