10/30/2012

「夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。」

野田首相の国会所信表明演説より、「いいな…」とおもったフレーズを引用。

 誰しも、10代さかのぼれば、そこには1024人の祖先がいます。私たちは、遠い昔から祖先たちが引き継いできた長い歴史のたすきを受けつぎ、この国に生を受けました。戦乱や飢饉のさなかにも、明治の変革期や戦後の焼け野原においても、祖先たちが未来の世代を思い、額に汗して努力を重ね、将来への投資を怠らなかったからこそ、今の私たちの平和と繁栄があるのです。
 子や孫たち、そして、10代先のまだ見ぬ未来を生きる世代のために、私たちは何を残していけるのでしょうか。
 夕暮れ時。一日の仕事を終えて仰ぐ夕日の美しさに感動し、汗を流した充足感に包まれて、あしたを生きていく力が再び満ちていく瞬間です。10年先も、100年先も、夕日の美しさに素直に感動できる勤勉な日本人でありたい。社会にぬくもりがあふれる、平和で豊かな日本を次の世代に引き継いでいきたいのです。

僕の弟や、大学の友達が就職活動の時期を向かえる。
面接やグループワークを通じて、自分の力不足や社会を知らないことに直面し、やりたいことを模索し、悩み、志望する会社からふられ、落ち込み、志望が通り喜び…
今まで無関心でいた自分自身と向き合い、本当にさまざまな感情が冬の風とともにやってくる。

「自分のやりたい仕事が見つからない」
そういう人もたくさんいると思う。僕もそうだ。特出するような技術ももっていなくて、ただの頭でっかちになりたくないからフラフラと出かけて見せかけの知識を溜め込んでいるにすぎない。

仕事を選ぶ時って、結局、「俺は一体、私は一体何を幸せと考えるんだろう」っていうことからスタートするしかない。もちろん、そんなに簡単に結論は出ないし、一生死ぬまで答えが見つからない可能性が高いけれど、すくなくともどちらが自分にとってベターか、ということではなくて、どっちが「悪くはないな」と思えるか、そういうことだと僕は思う。

僕の父さんは、学生の時はメディア志望だったと、この前二人で飲んだ時に教えてくれた。僕の母さんは、ラジオDJにあこがれていたと昔言っていた。そんなふたりが、志望していた業界は念願かなわず、本命ではない保険会社で勤め偶然に出会い、僕が生まれた。僕の父さん母さんは、何か夢を追い求めたわけではないけれど、とりあえず、幸せそうだ。そして僕も、色々悩みはあるけれど、幸せだ。


幸せって、今現在の自分の内側にのみ存在するものではない。僕の外側、家族や、友達や、社会やコミュニティからくる幸せもたくさんある。10代前の1024人の幸せも、10代後の僕の血をひく1024人の子供たちの幸せも、しっかりとつながっている。


現代に生まれた僕達は、すぐに答えが得られる状況に慣れすぎている。わかりやすくて見栄えの良いものを自然と選択する。複雑で困難な課題に直面すると、単純明快でわかりやすい解決策や偏った極論をよしとしてしまう。でも、そういった極論の先に、真の解はない気がする。すぐに手に入るものを手に入れて、何かが上手くいってると思ってはいけない。すぐに役立つものはすぐに役にたたなくなる。そんなことを自分にいい聞かせている。


冒頭の所信表明で、野田首相は「夕暮れ」の話をした。この話と呼応するかのようなフレーズを、ドラマになった「オレンジデイズ」の脚本の中で北川悦吏子は綴っている。
「やりたくもない仕事で一日働いて、帰り道に見上げた空の夕日がキレイで、それだけで生きていて良かったとは私は感じられない。」
野田首相と、上の台詞を発したドラマの主人公。どちらの主張が正しいのだろう。それはきっと、一人ひとり違う。そして、違っていいのだと思う。
夢を追い求めるのも幸せであるし、素晴らしい。でも、幸せになるために夢を諦めるのも、僕は素晴らしいと思う。


空が澄み、天高くなるこの季節、一日の終りに綺麗な夕日が見れることが多い。
自分は何を幸せと考えるのだろうかとか、そんな少し哲学的なことを1人で、あるいは大事なひとと、考え話し合ってみてはどうだろう。
就活の第一歩は、企業研究をすることやインターンに参加すること、セミナーに赴いたり企業を考えることではなくて、今まで無関心だったり勘違いしていた自分自身としっかり向きあうこと。夕日をぼーっと眺めることは、忙しい毎日にそんなきっかけを与えてくれるはず。




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