10/16/2012

感情の言語化と数値化

東証一部の最年少上場記録を更新して、一躍時の人となったリブセンス代表の村上太一さん。
出身高校が一緒で、代はかぶっていなかったけれど同じテニス部で同じくキャプテンを務めていた。顧問の先生から、「下山ぁ、お前の雰囲気とかプレースタイルは村上太一っていうお前の3個上の代のキャプテンと似ててなぁー…」って話を何度も何度も何度も言われていて、面識はないけれど名前は知っていた。
(村上太一さんが、学院テニス部のことを話している記事を見つけました→<早稲田大学高等学院へ>


そんな村上さんが、今朝聞いていたラジオのインタービューで答えていた内容に関して。DJの質問に対しててきぱきと、25歳とは思えない口調と考え方で話す村上さんが、会社の経営理念や自らの信念というものを語る中でこう答えていた。
「社長になりたいという漠然とした考えはあったけれど、それが明確になったのは19歳のとき。感情の言語化ができて、ぶれなくなった。」


「感情の言語化ができると、ぶれなくなる。」
最近、その事実をものすごく感じる。僕はもともと「何かを書く」というのが物凄く苦手で、下手だった。「これいいな…」と思うことはあっても、それをアウトプットすることなく、上手く伝えられず、そして時間が過ぎるにつれて忘れていったり、ただそういった考え方を持っているだけで満足していた。しかし、それではいけないと最近になってやっと思い始めた。
人の感情は日々、時々刻々、移ろいそして忘れていくもの。この瞬間に大事であると思ったことやいいなぁと感じたこともいつかは失われる。だから、それらをしっかりと記録しておくこと。そして誰かにそれを伝えようとすること。備忘録ブログという形ですすめているこのブログを書いていることで、自分の中に生まれてきたさまざまなアイデアを再構築して、言語化することができている。結果、僕のなかのアイデアの間違いや矛盾点を見つけたりでき、ロジカルに話の流れをつくることができ、村上さんの言う「ぶれない」意見を持つことができるようになってきた。


この「ぶれない」意見は、おそらく間違ったモノのほうが多いと思う。それでも、こういった形でアウトプットをすることで、少なからず誰かが見ていてくれているし、そして自分でも何度も自分の記事を読み返すことで、間違いを正すチャンスを増やすことができている。アウトプットしてハイ終わりではなくて、その後のフィードバックを得るという点でも、できる限りこのブログは続けていきたいと思っている。


「読み書きソロバン」という言葉がある通り、昔から読み書きという「言語化」や、そろばんという「数値化」は大事なものとみなされていた。人間の文明がここまで発展できたのも、おそらく過去の過ちを言語化して忘れることなく記憶することができ、感覚に頼るのではなく定量的にものごとを判断することができたからであろう。「言語化」と「数値化」、さらに今後は「視覚化」や「意識化」なんていうものも社会のバズタームとなってくるかもしれない。


しかし、忘れないでいたいのは「言語化」の罠や、「数値化」の非道徳性だ。
「言語化」は、優れた表現方法をもっていると、そこにある感情や考えが優れているような錯覚をもたらす。ロジカルに話をすすめていくとその考え方が強く正しいように聞こえてしまうけれど、その論の発端となったアイデアが実は間違っていたりすることがある。言葉は万能ではない。広辞苑や多種様々な辞書を用いれば、この世の全ての事象を説明することができるのか。そんなことはない。「空は青い」と昔から語り継がれていて、僕たちは空を描くときには青色鉛筆を手に取るけれど、空は本当に青一色なのだろうか。そんなことはない。世の中には言葉で表せないものがたくさんある。


「数値化」にも「言語化」と同じくらいの罠と、そしてそれがもたらす非道徳性がある。「データがこのように示してますから。」おそらく社会に出ればそういった言葉を何度も聞くことになると思う。数値ほど明確でわかりやすい指標はない。それがゆえに数を出されると妙な説得力が増す。けれど、そのために、すべての考えや出来事を数値で表現する―これはつまり、みんなが最も理解しやすい数値、オカネに換算することが多い―と、非道徳的な考え方がまかり通るようになる。ベストセラーになった「それをお金で買いますか」の中でMicheal J. Sandelが説明するように市場原理が経済の範囲を越えて社会にまで及ぶと人間の非道徳性が増す。例えば、これは極論であるけれど、誰かがなくなった時に、悲しいという感情の前にその人の機会損失やどうやってその抜けた穴を補おうとか、「死亡者1人」としてしか処理できなくなってしまうこと。朝の通勤電車で自殺や死亡事故に巡りあって長い遅延を被ることがある。そんなときに「あーあ、なんでまたこんな時間に飛び込むんだよ。おかげで遅刻だよ…」って感情が亡くなった人を思い弔うよりまえに訪れること。僕たちは既に充分に道徳心が弱まっていて、数値化や市場化がすすむとその傾向には拍車がかかる。


感情を言語化したり、数値化することは大事であると思う。その結果、人は感情を誰かに伝えられるようになり、そのために思い悩み、間違いを正される機会を得て、ぶれなくなる。ただしそれらが完璧ではないということ、それらはあくまでもツールでしかないということを頭の片隅に入れておきたい。
「オーラ」、「音楽」、「美術」、「宗教」…そういった、感覚を数値や言語を用いないで表現するものが近年再認識されていたり、多くの人を魅了しているのも、きっと言語化や数値化につかれた人の無意識の選択なのかもしれない。

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