10/02/2012

旅のおわり

今年のはじめに、僕は恋に落ちた。叶わぬ恋であった。それでも、初恋のとき以来失ってしまってもう訪れないのではないかと思っていた、恋い焦がれて苦しくなる感情を味わった。
それと時期を同じくして、本当に大好きだった祖父を失った。旅先にいて最期を看取ることもできず、葬儀に出ることも叶わず、帰国して仏壇の前でただひたすら泣いた。

今回の旅に持ってきた本はどれも僕の心の琴線に触れるものが多く、メモ帳に言葉が溢れていった。その中でも、伊集院静の旅のエッセー「旅行鞄にはなびら」の中にある言葉の数々は、今年のはじめに経験して、今回の旅の中で考え続けた「恋愛」「生死」「美しさ」「涙」…そんな漠然とした考えにひとつの道筋を見せてくれた。

”私は花のうつくしさが、ごく自然におさまる場所が、私たちの身体の中にあるのではないかと考える。私はその場所に、人間が本来持っている”美しいものへの敬愛”があるのではと思う。なら、その場所には、花や、その他の美しいものがあふれているのだろうか。私には、そうではない気がする。私は、その場所のそばには、人が生きることで遭わざるを得ない、知らざるを得ない、別離や喪失といった哀しみがあるのではと思う。”

” 現代人は思っていることを口にし、己を主張する。しかしそれだけが人と人とを繋げるものなのだろうか。そうであるのなら人と人とがこんなにも諍う世の中になってしまうはずがない。むしろ言葉を持たないものの方が相手の本質を見ている時があるのではないだろうか…。
(中略)言葉に出さなくとも、誰かが誰かを思うことは人間の根元にあり続けるものであり、美しいことなのだ、と私はあらためて思った。”

”人は哀しみにであってさまざまなことに気付く。それほど私たちの暮らしは、普段、生きることに追われているのだろう。だかそれでいいのだと、この頃は思う。”

最後の引用の終わりにあるとおり僕たちは普段は生きることに必死で、美しさや死というものに気がつかないことが多い。でも伊集院さんが言うように、それでいいのだと思う。
毎日毎日四六時中、死ぬことを恐れていたり恋い焦がれて恋愛に関することばかりを考えていたら、それは変人だ。仕事とか勉強とか将来のことを考えること、今を精一杯生きること、理性的になって感情を抑えること…それらは人間が知恵と共に得た素晴らしい能力のひとつである。

今回の旅の最中、僕はとにかく涙を流した。素晴らしい自然の姿を見て感動して泣き、この光景を祖父にも見せてあげたかったと思い泣いた。テレビの中紛争で人が怪我をし子供が叫んでいる映像を見て泣き、オバマ大統領が国連総会で話したリビア米国大使の話を読んで泣いた。友達と恋愛に関する話をして泣き、紛争や世界に関して熱く語りながら泣いた。
旅という、社会を生きることから切り離されて、自分の中の感受性が爆発したのかもしれない。

チュニジアを発ち、トルコ・イスタンブールで再びトランジット。一泊して、明日の夕方の便で日本に帰る。
旅が終わり、「生きる」ことが始まる。満点の星空を見て感動したり紛争の様子を見て哀しむことは減って、研究とか仕事とかそういったことに思い悩むことになる。けれど、それでいいのだと思う。
旅を通じて考え悩んで涙を流した分だけ、僕の心のバケツは広く深く強くなった。そこに今度は、たくさんの「生きる」要素を詰め込んでしっかりと中身のあるものを創り上げたい。

学んで、遊んで、笑って、悩んで、しっかりと生きよう。
飛行機の中、オレンジに染まる雲海の上、旅を振り返り、生きるために先に進む。

2 件のコメント:

  1. But anyway love isn't everything in this life.. there are so many other things to do to forget that we fall in love.. forbidden love.. :/ (I also lived it)

    返信削除