8/22/2012

働くこと、日々を生きること

2週間の多忙を極めたインターンシップが終わった。
インターンで学んだことは本当に多い。同年代の友人とチームを組み課題解決をしたり、とても優秀な社員の方から話を伺うことができたり。参加して、参加できて、良かった。
その間、課題を解決することに集中していたためと、自分の足りないITや広告関連のインプットに割く時間が多く、世の出来事から遠ざかっていた。
今日、久々に新聞を広げ、過去のニュースをあさって、初めて知ったニュースがたくさんあった。


シリアで戦場ジャーナリストの山本美香さんが殉職した。
「目をそらしても現実が変わるわけではない。そうであるなら、目を凝らして耳を澄ませば、今まで見えなかったこと、聞こえなかったことに気づくだろう。」
著書「ぼくの村は戦場だった。」に彼女が記した言葉に込められた思いは、強く重い。
しかし、日本人ジャーナリストが1人亡くなっても、シリアの内戦の泥沼化はおかまいなく進む。戦争はなくならないのか。国は、世界は、ひとつにはならないのか。
平和を願った彼女の意志を知り残していくためにも、彼女の著書を読んでみることにした。



ルーマニアで国際学生団体に所属している大学生が亡くなった。僕の友達の友達であったらしい。
深夜に空港に到着し、いきなり声をかけてきた男にしたがってタクシーに同乗し、暴行され殺害された。
「被害人女性は英語を学んでいるということだったが、常識は学んでいなかったのではないか。」
「いきなり声をかけてきた人に付いて行くなんてしんじられない。自業自得だ。」
そんな言葉を現地メディアは伝え、ネット上でも「平和ボケの日本」を誹謗中傷するような意見が目立つ。
でも、僕は亡くなった彼女の気持ちや行動の理由も、なんとなく、分かる。旅先で出会う思いがけない出会いやハプニングは危険であると同時に凄く魅力的に映る。バックパックを経験した人ならみんなこの事件のことを我が身にも起こり得ることであると、1人称で考えることができるのではないだろうか。
結果的に亡くなってしまった彼女の行動をほめることはできない。でもそれを仕方がないとか、そんな悲しい言葉で終わらせないためにも、我が身にもふりかかることであると肝に銘じてこれからの旅の教訓にしていきたい。彼女の死から学ぶことや考えなければならないことは多い。ご冥福をお祈りします。


首相が反原発を訴える市民グループと直接会談を設けた。
反原発デモに関しては以前のブログのエントリー”Hydrangea Revolution”で述べた。答えのない、本当に難しい問題である。
難しいから、僕は静観しているのだけれど、世論はどんどん反原発に突き進む。みんなこの難しさを本当にわかっているのかな?と疑問に思ってしまうこともあるけれど、上の記事の中でも述べたように考えや数値よりも「直感」が正義であることも、ある。
首相もそんなことを思って会談を設けたのだろうか。今後の日本のエネルギー問題の行き着くさきが見えない。



その他にもたくさんのニュース。とても一日では追いつけない。
これらのことを知らずとも、考えずとも、社会では生きていける。お金は稼げる。でも、そんな人間にはなりたくない。

気がつけばお盆を過ぎ、暦の上では明日は処暑。
10日ぶりくらいに長めのランニングに出かけた。
ふと耳にした風鈴の音、寿命を終えたセミが道端に転がっている様子、川に落ちた猫を見守る小学生と警察、夕方の川沿いをのんびり犬を連れて散歩するおじいちゃん、日が暮れてからの涼しい風。
処暑というにはまだまだ暑さが猛威をふるっているけれど、その暑さも、街の人々や小さな季節の移り変わりも、渋谷の冷房が効いた心地良いオフィスで働いていては気がつかない。

僕は大学院へ進学する。まだ後2年以上は、僕が敬愛する渡辺憲司先生の言うところの「海を見に行く自由」がある。
いずれは僕も社会に出て働くことになるのだけれど、今はもっと真剣に、楽しく、毎日を単純に生きていきたい。働くことと、日々を生きることが別である貴重で優雅なこの時間を愛でながら、毎日を過ごしていきたい。

インターンから開放された今日、そんなことを思った。






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