普段は考えない脳みその部分を必死に使っており、学ぶことが本当に多い。
また、最近ひとりでいることが多かった僕には、みっちりと日々顔を合わせ続ける優秀な同年代の友達とのグループワークは、すごーーーーーく大変で、それでいて楽しく、面白い。
自分の立ち位置は、『雰囲気リーダー』になりがち。
リーダーが本来備えているような『カリスマ』『決断力』『まとめる力』『地頭の良さ』、そんなもの一つもそなえていないのだけれど、自然とまとめる役になってしまう。そんな立ち位置でいいのかな?と考えさせられる。
自分が将来、どういったポジションに落ち着く人になるのか自分でも予想がつかないけれど、もしもリーダーや人の上に少しでも立つようなポジションに居るのであれば、上に書いたスキルを意識して、発揮していけるようになりたいもの。
それともうひとつ。
今日友達から言われたことが、人の意見を聞くときに僕が偉そうな態度をとっているということ。
クセで足を組んでしまっていたり、うで組してしまったり。
言われて気づいたけれど、本当に良くない態度であると思って、かなり反省してる。直そう。生産性とかメディアリテラシーとかプレゼン力とかそんなことを語り求める前に、人からどう見られているのか、『態度』、それが人間には本当に大事であると思う。背筋を延ばしてまじめでいよう。
インターンが忙しく、気がついたらオリンピックも終わっていた。
新聞をしっかり読む時間もないけれど、朝日新聞の天声人語だけは読んで感じて考えたい。
2012年8月14日付けの朝日新聞「天声人語」より、全文を引用。
少しばかりの寂しさと、心地よい疲労を残してロンドン五輪が終わった。日本選手団のメダルは過去最多の38個。これにて彼らは重圧から、我らは寝不足から開放される。
アーチェリーで銀を取った吉川高晴選手(28)が、メダルの重みをこう言い表していた。「肩に掛かっていたものが今、首に掛かっています」。積み上げた精進、周りの期待、双肩にはもろもろがずしりと乗っていたのだろう。
日の丸を背負う、と言う。国を代表する高ぶりを、方から首に架け替えられた者は限られる。意志だけではどうにもならないのが肉体だ。片や、短距離3種目を連覇したボルト選手あたりを見ると、絶対的な実力というものも認めざるを得ない。人間への興味は尽きない。
スポーツの祭典に水を差す出来事もあった。男子サッカーで日本を下した韓国の一選手が、「独島(トクト)はわが領土」という紙を掲げた件だ。大統領の竹島(独島)上陸に呼応したナショナリズムは、政治を持ち込まないという五輪精神にもとる。
国際社会の現実を前に、五輪の建前は旗色が悪い。「地球村の運動会」の間にも、シリアの内戦は激しさを増した。それでも、人間の能力を信じ、平和の貴さを互いに確かめる夏祭りが4年おきにあるのは悪くない。
次の聖火がリオの空にともる頃、世界は少しは前に進んでいるだろうか。日韓はうまくやっているか。それもこれも、人の肉体ではなく意志一つにかかる。例えば100メートルで9秒5を切るより、ずっと優しいはずだ。
4年周期にやってくる五輪が終わった。また次の4年に向けて、多くのアスリートが再び走りだす。
そのときの、4年後の、世界と自分を思い浮かべ考える。
0 件のコメント:
コメントを投稿