8/11/2012

"竜之介"の由来を聞いて

一昨年の8月に入ってすぐに留学に出発して、それから1年2ヶ月をアメリカとヨーロッパで過ごした。そのため、日本で8月9日の誕生日をむかえるのは2年ぶりであった。


この2年間、僕には本当にいろいろな変化がおきた。
「人生の転機」
そんな言葉が世間一般では使われており、あの時の経験はそれだったのかな?と思うことがあるけれど、この言葉を用いるにはまだまだ先が長く、転じた結果どうなったのかという答えを得ていない。
しかし、留学とその後のバックパック経験が僕の中に存在する「スイッチ」を押したことは間違いない。
何かがONになり、何かがOFFになった。


「スイッチ」によって僕の中でONになった感情。
その中のいくつかが、「家族の絆」とか、「自分自身を知ること」である。
一番身近にいる自分のことや、家族のことを、僕はなにもしらなかった。空気のように身の回りに当然のようにある存在は普段は意識しない。けれど、いざなくなくなると、初めてその大切さを知る。
家族と離れて暮らし、旅を通じて無所属の時間を過ごし、最愛の祖父を亡くし…そうして初めて自分自身と家族の存在に気づいた。


2年ぶりに日本で訪れた誕生日。だから、今年の誕生日は家族で御飯を食べ、”竜之介の由来”を父さん母さんからたくさん聞くつもりでいた。そしてその夢が叶った。
僕の名前の由来や僕が生まれた時の話、僕のルーツ、僕を生むときに父母が考えていたことなど。これらの類の話は小さい頃から何度か聞いてはいたけれど、段々と僕の年齢がその当時の父さん母さんに近づいてきて、僕が誰かの子供から誰かの親になることが近づいてきたために、物凄く心に響いた。

"竜之介の由来"

1989年の8月9日の真夜中に、武蔵野の吉祥寺と井の頭公園の間にある産婦人科で生まれた。父は28歳、母は26歳。
予定日よりも10日も生まれたために、父は当時勤務地であった上田にいて、連絡を受けて駆けつけた時には僕はすでに生まれていたらしい。

僕は長男であるけれど、父さんが子供を意識したのは僕が初めてではなかったという。僕の生まれる前、母さんは生理がこないなーという微妙な時期に、死ぬほど苦しい風邪を引いたという。
その時、父さんと母さんは抗生物質を飲むか飲まないかを物凄く悩んだという。もしも母さんのお腹の中に命が宿っていれば、その時期に飲む抗生物質は胎児に何かしらの影響を与えるかもしれない。でも、母さんは本当に死ぬほど苦しそうだったという。

父さんは、悩んだ末に、母さんに抗生物質を飲ませた。

幸いなことにその時には母のお腹の中には新しい命はなかったのだけれど、それが初めて両親の中で「子供」というものを意識したことだと、語ってくれた。
父さんが、そのときに抗生物質を母さんに飲ませたと聞いて、なんだか凄くうれしくなった。


僕には2歳年下の弟、”隼之介”がいる。
「子供は二人でよかったの?」
と尋ねたら、
「もう一人ぐらいいても良かったけどねー、さっさと育児を終わらせたかったのよー」
「あんた達双子で生まれてくればよかったのにー」
と、母。 でもやっぱり3人目、できたら女の子も欲しかったなーと言う。


僕と弟の名前は、三国志から来ている。
蜀漢の初代皇帝・劉備を支えた二人の武将諸葛亮孔明と龐統。並び称されるその二人の渾名である「臥龍」と「鳳雛」。そこから、『竜』『隼』がきているのだと。
そしてフルネームで書くと竜之介・隼之介ともに17文字(だから"龍"ではなく"竜"を使った)、英語ではそれぞれ"dragon""falcon"で同じ文字数と同じ音節、色々と考えてこの名前にしてくれた。英語だとなんて発音しにくい名前なんだと思うことはある(Ryuは初見の英語ネイティブには"ゥリーユー"とか"ゥライユー"と発音され続けた)けれど、僕はこの名前が大好きだ。


もしも、誕生日前に不慮の事故で父母を失っていたら、この"竜之介のルーツ"は永遠に失われていたかもしれない。

人はみんな、いつかはこの"自分のルーツ"を知りたくなる。自分に子供が出来る時とか、死ぬときとか、誰かを愛するときとかに。
その時に、それを尋ねて答えてくれる相手がいることは本当に幸運であると思う。

みんなも誕生日には、生んでくれた父母に、自分が生まれた時の話を聞いてみてはどうだろう。
その話はどんな小説よりも、哲学書よりも、自己啓発本よりも、あなたの心に響くのではないだろうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿