8/28/2012

「本」と、それにまつわる様々な「ストーリー」

8月27日付、朝日新聞・天声人語を全文引用。
内容は、今日の朝の情報番組でも取り扱われていた、紀伊国屋書店で行われている新しい本の販売プロモーションについて。
先にどんなものかイメージがあるとわかりやすいと思うので、写真をインターネット上から拝借して載せておきます。
あとはNaverまとめでも取り上げられてるので、リンクを。
”本の闇鍋状態…!紀伊國屋の思い切ったフェアが凄い”



以下、引用

 物語や小説の書き出しというものを、はじめて意識したのは〈メロスは激怒した〉だったように思う。ご存じ、太宰治の名短編だ。速球のようにまっすぐな冒頭は、話の面白さと相まって、田舎の少年の心のミットにぴしりと収まった。遠い昔のことを、東京の紀伊国屋書店新宿本店の小さな催事をのぞいて思い出した。小説の作者と題名を伏せて、書き出しの一文のフィーリングで文庫本を買ってもらう。面白い試みが評判を呼んでいる。 
書き出しだけを印刷したカバーで本をくるみ、固くラッピングしてあるから、買って開けるまで中身は分からない。棚にはとりどり100冊が並び、「本の闇鍋(やみなべ)」というネット評が言い得て妙だ。 
作家が精魂を込める一行目である。目移りするのも、また楽しい。2冊買ってみた。〈あのころはいつもお祭りだった〉と、〈昨日、心当たりのある風が吹いていた。以前にも出会ったことのある風だった〉。名を知るのみだった作家2人と、思わずめぐり合う縁(えにし)を得た。 
このところ、書店は活字離れやネットに押されて苦境が続く。この10年に全国で3割も減ったという。一方で、興味の偏りがちなネット買いとは違う「本との出会い」を演出する試みが盛んだ。 
偶然手にした一冊で人生が変わることもあろう。〈真砂なす数なき星の其中(そのなか)に吾(われ)に向ひて光る星あり〉子規。星を「本」に言い換えて、こぼれんばかりの書棚を眺めれば、自分を呼ぶ一冊があるような気がする。閃(ひらめ)く一瞬を見逃すなかれ。

 最近、以前にも増して本付いている僕は時間があれば本を読む。
小説が多いけれど、新書もビジネス本も歴史書も哲学書もたまに、読む。
誰かから薦められた本は必ず読むようにしており、また、古本屋に立ち寄って(どうしても読みたい本以外は、基本的には古本で買う。定価の本をバンバン買うと結構な出費になる)、タイトルや見出しなんかに一目惚れして買う本も多い。

引用した天声人語の終わりの行にもあるように、本との出会いは、子規が語る星のようでもあり、また僕は人との出会いとも同じようであると思っている。
作家が、ある時は10年、20年という長い年月をかけて一冊の本を綴る。そこに込めた思いは並々ならぬものだろう。その本を僕たちは2日〜3日ぐらいで読むことができる。素敵なことだと思う。本には人生が詰まっている。

すでに1年半ほど前になるけれど、SFにいるときに「本屋」に関するブログを書いていた。
”City Lights Bookstore”
この中で僕が語っている通り、人はただ本とそこから得られる知識だけを求めて本を購入するのではない。「ストーリー」。一冊の本が執筆されるに至った経緯や、著者の生い立ち、あるいはその本を自分が手に取ることになった偶然。そういった「ストーリー」を追い求めて僕は、そして多くの人は、本を読むのだと思う。盛況である紀伊国屋書店のプロモーションも、まさしくこの「ストーリー」を演出していて、本当に素晴らしいなぁと思う。

ネットでワンクリックするだけで本が家に届き、あるいはiPadやKindleなどの電子書籍デバイスで即座に本を読み始める事ができる時代になった。
便利であるし、安いし、持ち運びも簡単。良いこと尽くしに聞こえるけれど、そこには目に見えない形にはならない何らかの「ストーリー」が欠如している。僕はそれがなんとなくいやだなぁと感じており、金も時間もかかるけれどBOOKOFFへと週参して本を漁る。

今読んでいる本の「ほんのまくら」。それを最後に引用。
オススメの本、何かあったら教えて下さい。

「幸福だった。
この世に生まれてからずっと、ただひたすら同じ勝負をし続けてきた気がする。
そのことが今、春海には、この上なく幸せなことに思えた。」

P.S.
僕が一番大好きな本の「まくら」も書こうと思ったのだけれど、
その本は今、おそらく、そのタイトルにこの文字が冠されているように、どこかに旅に出ている。またいつか手元に戻ってきた時に紹介します。

8/25/2012

「ものづくり」だけが本質ではない

工学部で学んでいる僕の友だちの多くは、おそらく「ものづくり」というキーワードを就職活動の際や今後のキャリアを考えるときにも引き合いに出すのではないだろうか。
そんな「ものづくり」という言葉について、今日の朝日新聞朝刊のオピニオン欄にて一橋大商学部長の沼上幹さんが鋭く考察をしていた。いづれ僕も使うことになりそうな大事なキーワードであるので、少し長いけれど、備忘録のために以下に一部を抜粋。



「ものづくりが危機に瀕している」
「ものづくりが基本だ」
日本企業を語るとき、こうした表現を聞かないことはない。しかし、「ものづくり」という言葉は実はかなり厄介である。
一つ目の理由は、それが多義的だということである。「日本のものづくりを守れ」というスローガンをみて欲しい。(中略)大まかには「日本の製造業を守れ」ということだろうが、その対象は大企業か中小企業、はたまた地場の産業集積なのかひとによって異なる。さらに雇用を守るのか、高度熟練工の「匠の技」やハイテク技術者の高度技術力を守るのか。
(中略)これらすべてを「ものづくり」という言葉で表現可能な時代もあった。(中略)「ものづくり」という言葉の多様な側面が実態としてひとつにつながっていて、同床異夢でも皆が利益は共有できたのだから、「ものづくり」という言葉で人々を糾合しても問題はなかった。
いまでも多様な人々と企業が連動して利益を享受できる業界もある。しかし、皆が協力しても成長が望めず、限られたパイの奪い合いをせざるを得ない分野も多い。開発と試作は日本、量産は海外、少量の需給バランスは国内の中小企業というバラバラな役割分担になっていて、濃密な相互作用に寄る知恵の蓄積から離れてしまった業界もある。
実態も利害もバラバラになったから、言葉も多義的になり、「ものづくりが重要だ」という点では合意できても変革行動は統合できなくなっている。
 「ものづくり」という言葉が厄介な二つ目の理由は、それが感情に訴えかけるパワーをもっていることである。
「日本のものづくりを守れ」というスローガンに対する感情的な反応は強い。人や地域の生活がかかっているからか。国際競争の中でナショナリズムに訴えかけるからか。あるいはまた、製品の完成度をひたむきに高めていく修行者のような美徳や、どれほど高度技術になっても「ものづくりの現場」を尊重し続ける美徳などをぜひ残したい、という気持ちが背後にある可能性もある。
(中略)「ものづくりが大切だ」という気持ちが感情的に強くなりすぎると、ビジネスモデルとかマーケティングなど、ものづくり以外のことを「なんとなく、うさんくさい」とか「本質的ではない」と考える傾向を持つ人が一部にでてくる。 
 自分たちは本質部分は負けていなくて、「相手はうさんくさいところが上手なだけだ」と愚痴を言う。日本の「ものづくり」を守るためには、そこから利益を確保する仕組み(ビジネスモデル)や、こちらの「ものづくり」の力量を最も高く評価する顧客層を見つけ出すマーケティングに注力するべきかもしれないのに、「今まで以上にものづくりに注力する」という単純な発想に感情的にとらわれがちになる。
(中略)感情的なうえに、その言葉が多義的であれば、多様な見地の人々が集まった時に、誰かしらが微妙なニュアンスに過敏に反応して、理性的庵対話が不可能になる。(中略)
感情的で多義的な言葉は、議論を通じた自己改革を阻害するという意味で、本当に厄介なのである。


なぜか僕は先日までのインターンシップで「本質を語る変な奴」といったようなキャラクターになってしまったのだけれど、この記事の中でも後半に「本質」という言葉が出てくる。「ものづくり」=「本質」という考え方だ。
たしかに、これまでの日本を支えてきたのはトヨタやキャノン、ソニーを代表とするメーカーであり、彼らのつくるモノが優れていたからこそ日本がこれほどまでの地位を得ることができた。そういう意味で言えば作るものは「本質」なのであろう。
しかし、本質を語るだけでは、変人扱いされてします僕のように、お金を稼ぐことはできない。「本質」は大事なことであるけれど、利益をあげるとき、誰かと争うときにはその本質よりも重要である要素(記事の中ではビジネスモデルやマーケティングという言葉が取り上げられている)が存在するのも事実である。

「日本のものづくり」と同じくらい大事なのが、「つくったものをどうやって売るか」とか「誰に売るのが一番いいか」を考えることだと沼上さんは記事の中で語る。
「優れたものを作り出せば受け入れられる」という言葉も時たま耳にはするけれど、それは結局、ビジネスやマーケティングにも最大限の努力を費やしてきた本当に一部の成功者の体験談である。

優れているけれどコスト、タイミング、ユーザーなどに受け入れられず沈んでいった「もの」や「アイデア」もこの世には多数存在する。
時代を読み、その時々にあった最高の品を作ること。それが本当の「ものづくり」の姿なのではないだろうか。

8/22/2012

働くこと、日々を生きること

2週間の多忙を極めたインターンシップが終わった。
インターンで学んだことは本当に多い。同年代の友人とチームを組み課題解決をしたり、とても優秀な社員の方から話を伺うことができたり。参加して、参加できて、良かった。
その間、課題を解決することに集中していたためと、自分の足りないITや広告関連のインプットに割く時間が多く、世の出来事から遠ざかっていた。
今日、久々に新聞を広げ、過去のニュースをあさって、初めて知ったニュースがたくさんあった。


シリアで戦場ジャーナリストの山本美香さんが殉職した。
「目をそらしても現実が変わるわけではない。そうであるなら、目を凝らして耳を澄ませば、今まで見えなかったこと、聞こえなかったことに気づくだろう。」
著書「ぼくの村は戦場だった。」に彼女が記した言葉に込められた思いは、強く重い。
しかし、日本人ジャーナリストが1人亡くなっても、シリアの内戦の泥沼化はおかまいなく進む。戦争はなくならないのか。国は、世界は、ひとつにはならないのか。
平和を願った彼女の意志を知り残していくためにも、彼女の著書を読んでみることにした。



ルーマニアで国際学生団体に所属している大学生が亡くなった。僕の友達の友達であったらしい。
深夜に空港に到着し、いきなり声をかけてきた男にしたがってタクシーに同乗し、暴行され殺害された。
「被害人女性は英語を学んでいるということだったが、常識は学んでいなかったのではないか。」
「いきなり声をかけてきた人に付いて行くなんてしんじられない。自業自得だ。」
そんな言葉を現地メディアは伝え、ネット上でも「平和ボケの日本」を誹謗中傷するような意見が目立つ。
でも、僕は亡くなった彼女の気持ちや行動の理由も、なんとなく、分かる。旅先で出会う思いがけない出会いやハプニングは危険であると同時に凄く魅力的に映る。バックパックを経験した人ならみんなこの事件のことを我が身にも起こり得ることであると、1人称で考えることができるのではないだろうか。
結果的に亡くなってしまった彼女の行動をほめることはできない。でもそれを仕方がないとか、そんな悲しい言葉で終わらせないためにも、我が身にもふりかかることであると肝に銘じてこれからの旅の教訓にしていきたい。彼女の死から学ぶことや考えなければならないことは多い。ご冥福をお祈りします。


首相が反原発を訴える市民グループと直接会談を設けた。
反原発デモに関しては以前のブログのエントリー”Hydrangea Revolution”で述べた。答えのない、本当に難しい問題である。
難しいから、僕は静観しているのだけれど、世論はどんどん反原発に突き進む。みんなこの難しさを本当にわかっているのかな?と疑問に思ってしまうこともあるけれど、上の記事の中でも述べたように考えや数値よりも「直感」が正義であることも、ある。
首相もそんなことを思って会談を設けたのだろうか。今後の日本のエネルギー問題の行き着くさきが見えない。



その他にもたくさんのニュース。とても一日では追いつけない。
これらのことを知らずとも、考えずとも、社会では生きていける。お金は稼げる。でも、そんな人間にはなりたくない。

気がつけばお盆を過ぎ、暦の上では明日は処暑。
10日ぶりくらいに長めのランニングに出かけた。
ふと耳にした風鈴の音、寿命を終えたセミが道端に転がっている様子、川に落ちた猫を見守る小学生と警察、夕方の川沿いをのんびり犬を連れて散歩するおじいちゃん、日が暮れてからの涼しい風。
処暑というにはまだまだ暑さが猛威をふるっているけれど、その暑さも、街の人々や小さな季節の移り変わりも、渋谷の冷房が効いた心地良いオフィスで働いていては気がつかない。

僕は大学院へ進学する。まだ後2年以上は、僕が敬愛する渡辺憲司先生の言うところの「海を見に行く自由」がある。
いずれは僕も社会に出て働くことになるのだけれど、今はもっと真剣に、楽しく、毎日を単純に生きていきたい。働くことと、日々を生きることが別である貴重で優雅なこの時間を愛でながら、毎日を過ごしていきたい。

インターンから開放された今日、そんなことを思った。






8/17/2012

オリンピックが気づいたら終わってた

インターンシップ継続中。
普段は考えない脳みその部分を必死に使っており、学ぶことが本当に多い。
また、最近ひとりでいることが多かった僕には、みっちりと日々顔を合わせ続ける優秀な同年代の友達とのグループワークは、すごーーーーーく大変で、それでいて楽しく、面白い。

自分の立ち位置は、『雰囲気リーダー』になりがち。
リーダーが本来備えているような『カリスマ』『決断力』『まとめる力』『地頭の良さ』、そんなもの一つもそなえていないのだけれど、自然とまとめる役になってしまう。そんな立ち位置でいいのかな?と考えさせられる。
自分が将来、どういったポジションに落ち着く人になるのか自分でも予想がつかないけれど、もしもリーダーや人の上に少しでも立つようなポジションに居るのであれば、上に書いたスキルを意識して、発揮していけるようになりたいもの。

それともうひとつ。
今日友達から言われたことが、人の意見を聞くときに僕が偉そうな態度をとっているということ。
クセで足を組んでしまっていたり、うで組してしまったり。
言われて気づいたけれど、本当に良くない態度であると思って、かなり反省してる。直そう。生産性とかメディアリテラシーとかプレゼン力とかそんなことを語り求める前に、人からどう見られているのか、『態度』、それが人間には本当に大事であると思う。背筋を延ばしてまじめでいよう。


インターンが忙しく、気がついたらオリンピックも終わっていた。
新聞をしっかり読む時間もないけれど、朝日新聞の天声人語だけは読んで感じて考えたい。

2012年8月14日付けの朝日新聞「天声人語」より、全文を引用。

少しばかりの寂しさと、心地よい疲労を残してロンドン五輪が終わった。日本選手団のメダルは過去最多の38個。これにて彼らは重圧から、我らは寝不足から開放される。
アーチェリーで銀を取った吉川高晴選手(28)が、メダルの重みをこう言い表していた。「肩に掛かっていたものが今、首に掛かっています」。積み上げた精進、周りの期待、双肩にはもろもろがずしりと乗っていたのだろう。
日の丸を背負う、と言う。国を代表する高ぶりを、方から首に架け替えられた者は限られる。意志だけではどうにもならないのが肉体だ。片や、短距離3種目を連覇したボルト選手あたりを見ると、絶対的な実力というものも認めざるを得ない。人間への興味は尽きない。
スポーツの祭典に水を差す出来事もあった。男子サッカーで日本を下した韓国の一選手が、「独島(トクト)はわが領土」という紙を掲げた件だ。大統領の竹島(独島)上陸に呼応したナショナリズムは、政治を持ち込まないという五輪精神にもとる。
国際社会の現実を前に、五輪の建前は旗色が悪い。「地球村の運動会」の間にも、シリアの内戦は激しさを増した。それでも、人間の能力を信じ、平和の貴さを互いに確かめる夏祭りが4年おきにあるのは悪くない。
次の聖火がリオの空にともる頃、世界は少しは前に進んでいるだろうか。日韓はうまくやっているか。それもこれも、人の肉体ではなく意志一つにかかる。例えば100メートルで9秒5を切るより、ずっと優しいはずだ。

4年周期にやってくる五輪が終わった。また次の4年に向けて、多くのアスリートが再び走りだす。
そのときの、4年後の、世界と自分を思い浮かべ考える。

8/11/2012

"竜之介"の由来を聞いて

一昨年の8月に入ってすぐに留学に出発して、それから1年2ヶ月をアメリカとヨーロッパで過ごした。そのため、日本で8月9日の誕生日をむかえるのは2年ぶりであった。


この2年間、僕には本当にいろいろな変化がおきた。
「人生の転機」
そんな言葉が世間一般では使われており、あの時の経験はそれだったのかな?と思うことがあるけれど、この言葉を用いるにはまだまだ先が長く、転じた結果どうなったのかという答えを得ていない。
しかし、留学とその後のバックパック経験が僕の中に存在する「スイッチ」を押したことは間違いない。
何かがONになり、何かがOFFになった。


「スイッチ」によって僕の中でONになった感情。
その中のいくつかが、「家族の絆」とか、「自分自身を知ること」である。
一番身近にいる自分のことや、家族のことを、僕はなにもしらなかった。空気のように身の回りに当然のようにある存在は普段は意識しない。けれど、いざなくなくなると、初めてその大切さを知る。
家族と離れて暮らし、旅を通じて無所属の時間を過ごし、最愛の祖父を亡くし…そうして初めて自分自身と家族の存在に気づいた。


2年ぶりに日本で訪れた誕生日。だから、今年の誕生日は家族で御飯を食べ、”竜之介の由来”を父さん母さんからたくさん聞くつもりでいた。そしてその夢が叶った。
僕の名前の由来や僕が生まれた時の話、僕のルーツ、僕を生むときに父母が考えていたことなど。これらの類の話は小さい頃から何度か聞いてはいたけれど、段々と僕の年齢がその当時の父さん母さんに近づいてきて、僕が誰かの子供から誰かの親になることが近づいてきたために、物凄く心に響いた。

"竜之介の由来"

1989年の8月9日の真夜中に、武蔵野の吉祥寺と井の頭公園の間にある産婦人科で生まれた。父は28歳、母は26歳。
予定日よりも10日も生まれたために、父は当時勤務地であった上田にいて、連絡を受けて駆けつけた時には僕はすでに生まれていたらしい。

僕は長男であるけれど、父さんが子供を意識したのは僕が初めてではなかったという。僕の生まれる前、母さんは生理がこないなーという微妙な時期に、死ぬほど苦しい風邪を引いたという。
その時、父さんと母さんは抗生物質を飲むか飲まないかを物凄く悩んだという。もしも母さんのお腹の中に命が宿っていれば、その時期に飲む抗生物質は胎児に何かしらの影響を与えるかもしれない。でも、母さんは本当に死ぬほど苦しそうだったという。

父さんは、悩んだ末に、母さんに抗生物質を飲ませた。

幸いなことにその時には母のお腹の中には新しい命はなかったのだけれど、それが初めて両親の中で「子供」というものを意識したことだと、語ってくれた。
父さんが、そのときに抗生物質を母さんに飲ませたと聞いて、なんだか凄くうれしくなった。


僕には2歳年下の弟、”隼之介”がいる。
「子供は二人でよかったの?」
と尋ねたら、
「もう一人ぐらいいても良かったけどねー、さっさと育児を終わらせたかったのよー」
「あんた達双子で生まれてくればよかったのにー」
と、母。 でもやっぱり3人目、できたら女の子も欲しかったなーと言う。


僕と弟の名前は、三国志から来ている。
蜀漢の初代皇帝・劉備を支えた二人の武将諸葛亮孔明と龐統。並び称されるその二人の渾名である「臥龍」と「鳳雛」。そこから、『竜』『隼』がきているのだと。
そしてフルネームで書くと竜之介・隼之介ともに17文字(だから"龍"ではなく"竜"を使った)、英語ではそれぞれ"dragon""falcon"で同じ文字数と同じ音節、色々と考えてこの名前にしてくれた。英語だとなんて発音しにくい名前なんだと思うことはある(Ryuは初見の英語ネイティブには"ゥリーユー"とか"ゥライユー"と発音され続けた)けれど、僕はこの名前が大好きだ。


もしも、誕生日前に不慮の事故で父母を失っていたら、この"竜之介のルーツ"は永遠に失われていたかもしれない。

人はみんな、いつかはこの"自分のルーツ"を知りたくなる。自分に子供が出来る時とか、死ぬときとか、誰かを愛するときとかに。
その時に、それを尋ねて答えてくれる相手がいることは本当に幸運であると思う。

みんなも誕生日には、生んでくれた父母に、自分が生まれた時の話を聞いてみてはどうだろう。
その話はどんな小説よりも、哲学書よりも、自己啓発本よりも、あなたの心に響くのではないだろうか。


8/09/2012

『ネット』というキーワード

インターンシップ初日終了。
本当に多様なバックグラウンドを持った同年代と交流することができそう。2週間のインターンシップの初日を終えたばかりであるけれど、すごくたくさん頭を使い、緊張してヘトヘトに疲れ、楽しく苦しく成長することができそうである。


インターネット広告会社のインターンであるため、与えられた課題のルールには以下のようなものがある。
1.ネットを基軸としたプロモーション企画とすること
『ネット』というキーワード。
僕たちはデジタルネイティブ世代と呼ばれ、物心がついたときから身の回りにはインターネットが存在している。(あるいは、僕の年齢がちょうどその狭間であると思う。僕が小学校低学年の時に、我が家では初めてインターネットを使い始めた記憶がある。)
インターネットにより、様々な産業の姿や人々の生活のあり方が変化した。「変化した」というけれど、インターネットと一緒に成長してきた僕達デジタルネイティブ世代は、その変化する前を知らないがゆえにあまりピンと来ることなく、「あーそっか、インターネットで世の中便利になったんだなー」ぐらいの意識でしかないと思う。


しかし、やはり『ネット』は様々な新しいものを作り上げ、そして同時に様々な古いものを破壊している。
現在全盛を向かえている『Social Media』によって僕たちは、コミュニティを介することなく気になる誰かと直接つながることができるようになった。以前書いたエントリー”心で新聞を読む”の中で引用した天野さんの言葉にあるように、現在開かれているオリンピックは「地球村の大運動会」、別名「史上初のソーシャリンピック」、すなわち国家というコミュニティ単位ではなくて、ひとりひとりのスポーツマンに僕達が注目できるようになったということ。
「直接アクセス型社会」の始まり。これにより人々のライフスタイルが多様化してより多くの情報を得ることができるようになった反面、それについてこれず孤立してしまう人々も増えてきている。ネット上でつながっている顔の思い出せない誰かからの「いいね!」は、あなたの隣にいるリアルな誰かの「いいね!」とは違う。そのことに気づかないでいると、人は、あるとき、ふと孤独に苛まれることになる。そこに襲いかかる情報と言うなの大津波。デジタルと言う名の海でしか生きられない人々は、アップアップで溺れてしまうだろう。


これから2週間は、『ネット』というキーワードに敏感になって、まるで空気のようにこの世界にはびこってしまったインターネットについて、それを利用してお金を作る企業側からも、デジタルネイティブ世代としても、色々と考えてみたい。


そんなことを考えた日の日経新聞朝刊の春秋が、まさしく『ネット』に関することであった。一部を抜粋。
”ネットが個人と世界を結び、仕事の形も変わっていく。2025年の働き方はどうなるか。(中略)個人が主役となり、ネットでつながり、ミニ起業家も増える。そんな時代には3種類の友人が大事になると提言する。
まず絶対に信頼できる小数の同士。次に、ちょっと意見を聞ける多種多様な知り合い。そして第3は自己再生のための仲間だそうだ。ネットを離れ、一緒に笑い、食事を共にし、リラックスできる相手が必要になる。かつては地元の知人や同僚、家族が自然にこの役割を果たしたが、これからは難しかろうと著者は見る。
ネット時代でも、いや、ネットが身近になるからこそ、夢や愚痴を語る気の置けない仲間が不可欠になる。ただしその仲間も、肌の会う土地に引っ越すなどの努力なしでは得られない、と著者。五輪が終わればお盆の季節。旧交を温めたり、気になる土地を訪れたり。自分の人生という協議に、時間と労力を投じる番だ”

8/04/2012

『命の人称性』

2012年8月4日付け朝日新聞のオピニオン欄、”原発事故調査を終えて”の中より。
政府原発事故調の委員長代理・柳田邦男さんの言葉。氏は36年生まれ、御年76歳。

記事の中で、柳田さんは、原発事故に関する調査を行い報告書をまとめる過程で見知った、事故の全容解明の必要性や、2度とあのような事故が発生しないようにするための意見を述べている。
その中で氏が用いた『命の人称性』という言葉について。以下、引用。

「息子が脳死状態になったことを契機に、『命の人称性』を考えるようになりました。それまでは理屈のみで『脳死=人の死』と考えていましたが、息子は脳死状態になっても心臓は鼓動するし、体も温かいし、ひげも伸びます。息子と魂の会話を繰り返している中で、息子の体を死体として考えることはとてもできませんでした。同じ死でも、自分の死、家族の死、第三者の死ではそれぞれ意味が違うのです。それが『命の人称性』です。」
「周辺住民の命を見る官僚や専門家は『三人称の視点』で見ているわけです。客観性、平等性を重視するので、どうしても乾いた冷たい目で事故や災害を見がちです。『もしこれが、自分や家族だったら』という被害者側に寄り添う視点があれば、避難計画の策定もより真剣になっていたでしょう。私は客観性のある二人称と三人称の間の『2.5人称』の視点を提唱しています。」

最近、死とか生とか、命にかかわることを漠然と考えることがあったのだけれど、この『命の人称性』という単語には考えさせられた。

当然のことながら、世界では毎日たくさんの人が死んでいく。それらはほとんど全て三人称の命であるわけで、そこから感じる悲壮感というものはたかが知れている。
隣人が死んだとして喪に服したとしても、その次の瞬間には笑ってお酒を飲むことができるだろう。

では、それが二人称の死であったら。
血の通った家族、あるいは血縁がなくても家族と呼ぶ本当に大事な人。その死を直面したり、あるいは死が近づいている様を感じることができるようになると、笑っていられなくなる。本気で悲しみ、その死をもたらしたものに怒り、全てに真剣になる。
しかしそんな機会は多くはない。見知った家族など両親と祖父母と兄弟姉妹と、多くても10人に満たないだろう。
僕は二人称で呼べる家族をこの春に失った。そのことが、命に関して考えるきっかけを与えてくれた。

最後に、一人称の死。
人は最後は1人だとよくいうけれど、この最後の1人の死というものが一番良くわからない。特に僕のようにまだまだ先が長いと感じる世代の人には。
だから、自分自身の死は二人称、三人称の死を経験し、それらと相対的に比べることでしか測ることが出来ない。
誰かの死、家族の死、そこから逆算する自分の死。それらが人生のカウントダウンとなる。見飽きてしまった季節の巡り代わりは、カウントダウンの目盛りとなる。祖父は80回の夏を経験して逝った。同じ年頃で亡くなるのであれば、僕の父はあと30回桜を見たら亡くなるだろう。ぼくは、あと50回程厚手のコートに袖を通す季節をすぎれば死ぬだろう。


人の命と一言で言うけれど、それは一意には定まらない。
そんな当然のことを再認識することができた柳田さんの『命の人称性』という言葉。
御年76歳であり、息子の脳死、家族の死、様々な死を経験してきたからこそその言葉には熱い思いがこもっているように思えた。

8/03/2012

"For Sale: Baby shoes, never worn."

かつて、アーネスト・ヘミングウェイは6つの単語(Six-words)で物語をつくるように求められたことがあるという。
そのとき、ヘミングウェイは悠然とこう答えた―
"For Sale: Baby shoes, never worn."
「赤ちゃんの靴、売ります、未使用。」


今日、書店で立ち読みをした"未来を発明するためにいまできること スタンフォード集中講義" の中で紹介されていたこの6つの単語の物語。
これは英語版俳句ともいうべきもので、2006年末にオンライン雑誌”スミス・マガジン”(Smith Magazine)がインターネットやツイッターを通じて募集したキャンペーンから生まれた。
「あなたの人生を、6文字で表現してださい。」
わずか6語という短い語数で「自分史」を語るという手軽さが受け入れられたのか、Six-Wordsは全米であっと言う間に流行し、物書きのプロもアマも関係なく、大勢の人たちが投稿をはじめたという。
集まった数々のSix-wordsは、その後傑作が集められ、
"Not Quite What I was Planning"
「思ってたのとちがった」 
というタイトルで書籍化されたものは、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに1ヶ月以上ランクインし続けたという。


日本の俳句よりも圧倒的に文字数が少なく、さらに季語もない。
それ故に、英語版俳句というけれどそこに情緒や季節感というったものを感じることはなく、ちょっとお粗末ではないかという意見も聞こえてきそうである。

けれど、この極端に少ない言葉だからこそ、読み手の人が思考をめぐらし、老若男女、ありとあらゆる人たちが凝縮した気持ちをつかみとることができる。


日本でもtwitter上で、Six-Wordsを投稿するアカウント(@sixwordsjp)やハッシュタグ(#sixwordsjp)がある。
日本の俳句を、海外の人が理解するのが難しいように、英語非ネイティブである僕達が理解するのは難しい。けれど、この日本版のSix-Wordsは英和対訳形式で書かれているので、英語に興味がある人はもちろん、英語が苦手な人でも、たった6語の短詩について思いを巡らせることができると思う。英語学習の一貫としてでも、少し除いて英語の言葉の美しさを感じ取ってみる価値はあると思う。


なにかを発信(アウトプット)するというときには時間、スペース、お金、見栄え、聴きやすさ、言葉の選び方…とにかく様々な制約が存在する。
このSix-Wordsもしかり、twitterの140文字もしかり、文字数という制限があるからこそ、人々は考えて、洗練されたものを創りだそうという努力をする。


だらだらと、自分の言いたいことを語っていても、誰にも響かない。
6語で相手を感動させられるのだから、限りない文字数制限と時間がある僕たちは、もっともっと美しく心に残るアウトプットをしていきたいもの。


最後に、僕が気に入ったSix-Wordsをいくつかご紹介。
出店は全て先に紹介したtwitterより。


"Happiness is a warm salami sandwich."
「幸せはあたたかいサラミ・サンドイッチ」

"Yes to every date, met mate."
「デートの誘いをすべて受け、夫をゲット。」 

"Full life; impossible to summarize in."
「満ち足りた人生、要約不可能」 

"Thought I would have more impact."
「自分にはもっとインパクトがあると思ってた。」

 "Taking a lifetime to grow up."
「一生かけて大人になってるところ。」 

 "I'm just here for the beer."
「いまここにいるのはビールのため。」 

 "Married for money. Divorced for love."
「金のために結婚。愛のために離婚。」

"Took scenic route, got in late."
「景色のいい道を通って、遅刻した。」 

"I still make coffee for two."
「 いまもふたりぶんの珈琲を淹れる。」 

最後のSix-Wordsが、自分の中では一番好きかな。

今、自分のSix-Wordsを考えてみた。これからも思いついたらちょくちょく、書き足していこう。
もしもあなたの6語が見つかったら、教えてください。

"Keep looking, longing, loving the sky."
「ずーっと、空を見続け、あこがれ続け、 愛し続ける。」

"Clear sky, what else we need."
「良い天気、それ以外は何もいらない。」

"So many colors in the life."
「人生は、たくさんの色。」 

"Measuring my life with coffee cups."
「コーヒーカップの数で、人生を測る。」 


8/01/2012

心で新聞を読む

我が家では、新聞を2部購読している。朝日新聞と日経新聞。
最近新聞が面白く、時間があるときは1時間以上かけて記事の隅々まで目を通して、色々と考えたくなる。

朝日と日経、同じ新聞でも中身は全く異なる。

その名の通り経済に関する情報を多く載せる日経新聞は、数字で読む。
"ホンダ純利益4.1倍""価格指数2.2%上昇""養殖物マダイ、卸値3割高"…
財務欄や経済欄で述べられてることをより深く理解するには、数字がわからなくてはならない。今の僕では、多分紙面の情報の1割も理解できていない。もっともっと数字に強くなりたいと、最近常々思う。

そして、朝日新聞は、心で読む。
天声人語を書き写すということが一大ブームとなり、専用の”書き写しノート”なるものがヒット商品となり小学校の授業等で導入されているという。
どんなに忙しくても、朝日新聞の天声人語だけは毎日読みたいなぁと思う。それだけ心に響く言葉、表現、美しい感性や日本語がそこには溢れている。
天声人語以外でも、一般読者の投稿による”声”や”オピニオン”で語られていることは、物事を定量的にではなく、感覚的に掴んだ意見が存分に盛り込まれていて、この気持ちをいつまでたっても忘れていたくないと思わされる。

日本語が読めても、新聞は読めない。
数字に強く、感性を鋭く、そうすることで新聞はより多くのものをもたらしてくれる。

もっと小さい頃から「天声人語書き写し」をやっていれば良かったなぁと思うのだけれど、昔に戻ることはできない。
そんなわけでもうすぐ23歳になる僕は、小学生に習い、気になる記事を忘れないようにメモしたり感じたことをこのブログに書くことを「夏休みの宿題」にしたい。


今朝の朝日新聞より、心で読んだ記事を2つ、備忘録に残しておく。
天野祐吉さんの”CM天気図”より、一部を抜粋。
オリンピックは、昔から、開催国の広告に利用されてきた。(中略)開催国は自国の広告にオリンピックを積極的に利用してきたし、参加国もまた、メダルの数を一つでも多くとることが国力の広告になると考えてきたところである。
(中略)それが、この30年ほどの間にずいぶん変わった。一言で言えば「国家間のメダル競争」から「地球村の大運動会」に変わった。
(中略)「電子メディアは地球を小さな村にする」とういマクルーハンの言葉通り、テレビの普及でオリンピックを、村の怪力さんや快足さんの技をみんなで楽しむ運動会になったのだと言っていい。
この時代に経済大国とか軍事大国とか、古くさい大国思考にふりまわされているのは、本当にみっともない。ロンドン・オリンピックの開会式でも、選手団の人数がやたら多い国よりも、3人とか5人で入場してくる国や地域の人たちの顔のほうがなんとなく平和で豊かなように見えたのは、ぼくだけだろうか。

天声人語より、ほぼ全文を抜粋。
きょうから8月。
(中略)この季節に思い出すのは「青春は美わし」(ヘルマン・ヘッセ著)という短編だ。夏休み、ふるさとに帰った青年が父母や弟妹とひと夏を過ごす。昔恋した少女に再開するが愛は実らない。休暇は終わり、青年は夜空に上がる花火を汽車から眺めて故郷を去っていく。詩情ただよう物語である。流れるように過ぎる夏。青年は言う。「休暇といえば、いつだって前半のほうが長いものである。」
(中略)月刊の文藝春秋が以前、宿題のやり方をタイプに分けていた。先行逃げ切り型は7月中に全部終わらせて後は左うちわ。まくり型は、尻に火がついてから大車輪。他にコツコツ積み立て型、不提出型というのもあった。
最後のは除いて、どのタイプにせよ、よく遊んで、よく学ぶ夏休みがいい。夏だけではなく、青春の逃げ足もまた速い。そんなふうに文豪ヘッセは説いている。