旅先で僕がプロサッカー選手だったということを知らない人に出会うと、最初は「どこから来たのか」と聞かれる。つまり僕から「プロサッカー選手」という肩書を取り払うと、一番最初に浮かび上がるのは「日本人」ということ。そういう会話を重ねる度に、僕は日本のことをよく知らないと痛感した。日本をを勉強しようと思い立った。
日本にいる時でも、初対面の人との会話は「どちらの出身ですか」という質問から始まることが多い。47都道府県のそれぞれにちがった文化があって、それは生活の積み重ねから生まれてきた。
人に合わないと、文化の素晴らしさはわからない。情報はインターネットで手に入るが、最終的に「わかる」には自分で体験するしかない。だから、人に会いに行くのが僕の旅。現役引退後に世界を旅して、そして今は一般財団法人「TAKE ACTION FUNDATION」の代表理事を努めていたりと精力的に活動している中田さん。早熟なサッカーの天才、冷静な司令塔、とっつきづらそう、そんなイメージが強い中田さんだけれど、その目線は僕らと同じ所にある。
インタビューの中で中田さんが言ったことは僕も留学と旅を通じて感じ考えたことと全く同じだった。ヨーロッパを旅して、そこで世界中から来ている人たちと会っているうちに、自分は日本人でありながら日本のことをなにも知らないということに気付かされた。それまでの僕が振りかざしていたアイデンティティは、僕を構成する本質的なものではなく、大学やバイト先という「所属」、ブランドものの鞄や靴という「ファッション」や、どれだけ凄い友達を知っているかという「人脈」だけだった。しかし旅をしていくうちにそれらの表面的なものはポロリポロリとこぼれ落ちて、最後には残らなかった。そして僕は気がついた。僕の本質は「日本人」であるということ、そして僕の中を流れる家族との「血縁」なのだと。
そこから僕の視点は広がった。自分自身の本質を知らないで過ごす毎日って凄く虚しいなーって考えるようになった。腐っても僕らはメード・イン・ジャパン。僕らの外側に、アメリカンなメッキやエイジアンなファッションで飾りつけて喜ぶのも楽しいけれど、もともとの材質やしくみを知ってるほうがもっと楽しいし大事だと感じるようになった。
政治、宗教、経済、地理、言語、歴史、文化、将来、問題…あたまに「日本の」というキーワードがつくこれらの言葉が、他人のごとのようには感じられなくなった。僕はこれらをまとめて「教養」=「リベラル・アーツ」と呼ぶ。日本の教養を、僕はどれだけ知っているのだろうか。
日本の教養がなくても生きていけるのは、最初から「世界」を舞台に活躍すると心に決めている世界人か、日本の中だけで一生を過ごすことが出来た日本人だけである。でも、僕は前者になるにはまだ未熟であるし、後者のような幸せな時代はもうすぐ終わると思っている。だから、常に世界の文脈の中で日本を考えていたい。
そのためにやったこと、やっていること。
富士山に登った。季節風土の移りかわりに敏感になろうとしている。歴史の教科書を買い学んでいる。広島・長崎を訪れた。英語の勉強をやり直している。美しい日本語になるべくたくさん触れて使うようにしている。経済というグローバルに働く力学の仕組みを見ている。国の成り立ちを考えてみる。。。
これらは頑張ってやっていることではなくて、「自分史」を紐解くような、今まで知らなかった自分自身を知るような感覚で凄く楽しい。そして一生僕の支えとなってくれるものであって、僕を自由にしてくれる「リベラル・アーツ」であるように思える。
このブログを読んでくれている人は、おそらくみんな日本人であると思うけど、「日本を勉強」してますか?愛国心、ありますか?日本について語れますか?
まずは、何も知らないんだということを知るのがファースト・ステップ。次に、日本のことを知る。終わりや正しい答えはない。日本を嫌いになるかもしれない。でも、未熟でもいいから自分なりの日本を語れるようになること。それは無頓着でいたり無関心でいるよりもとっても大切なことだと僕は思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿