4/17/2013

大嫌いな「さとり世代」という言葉

胸クソ悪くなるぐらい嫌いな言葉や表現と出会うことがある。それは、時にして、自分自身のことを的確に表しているようなことばだったり、没個人化を促進させる日本人が得意なカテゴライズワードだったりする。嫌いな言葉を書き並べた結果、相対的に、自分自身が求める理想の自分像が炙りだされたりする。だから、ネガティブチェック、悪いことを考えてそこから考察を深めるという思考方法は優れていると僕は思う。

「さとり世代」という言葉を知った。
twitterなんかで広まった言葉であり、その言葉が指す集団はほぼ「ゆとり世代」と重なるという。もともとのこの言葉の始まりは日経新聞記者であった山岡拓さんの著作「欲しがらない若者たち」を語る2ちゃんねるのスレッドで、現代の若者の消費行動を綴った言葉に対してネット住民が名付けたもの。
この「さとり世代」の消費行動とはなにか。3月18日付けの朝日新聞にそれらがリストアップされていた。以下引用。

・車やブランド品に興味が無い
・必要以上に稼ぐ意欲はない
・パチンコなど賭け事をしない
・海外旅行への興味が薄い
・地元志向が強い
・恋愛に淡白
・過程より結果を重視
・主な情報源はインターネット
・読書も好きで物知り
(朝日新聞)
この言葉は、「いい言葉!」「面白いフレーズ」とネット上では大方ポジティブに取り扱われているらしい。

 ここから、僕の意見&感想。
言葉あそびであったとしても、僕と同年代の若者が「さとり」という言葉を盾にして「思考停止」に陥っている現状が本当に大嫌い。以前に"『思考停止型バカ』卒業のために憲法改正を考える"の中で書いたけれど、世の中には簡単には答えの出ないことがたーっくさんある。憲法改正、自殺する人の異常な多さ、原発問題といった社会的な問題から、彼女にあげるプレゼントはどうしようか、結婚とキャリアどうしようかという個人的な悩みまで。人生や社会とはそんな悩みや分岐路の連続。そして悩んだ結果、決断をすることがなによりも重要。それなのに、「悟った」とか何とか言ってすべてがお見通しであるかのごとく振舞って、決断をすることから避けたり、実務を伴わない上辺だけの知識を振りかざしてお茶を濁す。そんな「さとり」に一体なんの意味があるのだろうか。

「さとり世代」は意見を持たないことを良しとして自己肯定しか行わない、「思考停止バカ」を助長させる最悪の言葉であると僕は思う。もしも自分自身が「さとり世代」であるように思われたり自ら思ったりし始めているのであればすぐにその姿勢を正したい。


「初心忘るべからず」という格言がある。
この言葉は現在、
「物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない」 
といった解釈で使われることが多い。しかし、元来の言葉の意味は少し異なる。能を大成させた世阿弥が編み出したこの言葉の本来は、「ぜひ初心忘れるべからず」「ときどきの初心忘れるべからず」「老後の初心忘るべからず」という「3つの初心」を語ったもの。
「これまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事柄に挑戦していく心構えが大事である」
という意味だ。


「初心」と「悟り」。
これらは正反対に位置している。僕は「初心」を大事にしていきたい。常に未熟であることを自覚して、学び続けていきたい。この気概が衰えたが最後、すなわち「さとり」始めたが最後、この世界から彩りがなくなっていくのではないかとすら思っている。


学び続ける姿勢を持ち、未熟さを感じ続ける環境に身を置き、初心を持ち続ける。悟るのなんて、死ぬ直前か孫かひ孫ができたらで充分でしょ。とりあえず「さとり世代」なんて言葉を僕達の世代から払拭したいと強く思っている。


酔いにまかせて少し強く汚い言葉も使ったけれど、これが僕の意見。

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