3/27/2013

早稲田大学卒業

早稲田大学を卒業した。

付属高校からの推薦で入学した僕は厳しい受験戦争をくぐり抜けたわけではない。正直、ゆとってるなぁ…頭悪いなぁ…と自分自身の「甘さ」「未熟さ」を常々痛感しながら過ごした5年間であった。それでも、周りの優秀な友達に負けず劣らず勉学に励むことができ、しっかりと学位を授かることができた。僕ひとりの努力だけでは成せなかったこと。勉強や生き方を教えてくれた先生方や先輩、刺激を与えてくれた友人、楽しい時間を過ごすことができた仲間、在学中に出会うことの出来たすべての人に感謝の気持ちを伝えたい。ありがとう。

そして誰よりも、僕の両親に感謝の気持ちを伝えたい。
付属高校からの推薦で大学進学を決め、留学にも行き、さらに大学院への進学…それら全てを「そうすることが当然」であるかのように僕は決めてしまった。僕が親であったら、「もっと他のキャリアも考えてみれば?」とか「お金たくさんかかるんだからしっかりね」といったような僕の考える正しさを押し付けたり小言を与えてしまうかもしれないけれど、僕の父親と母親はほとんど何も言わなかった。それって、本当にすごいことだと僕は感じる。父親と母親の、さらには祖父祖母の、無言のエールをしっかりと受けて、これからも続く学生生活を悔いのないように過ごしていきたい。
父さん、母さん、ありがとう。もう少しだけ迷惑かけます。


卒業式で鎌田総長は早稲田大学の創始者である大隈重信の建学の理念を踏まえたスピーチをされていた。
早稲田大学教旨をもう一度読み返してみる。

早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。
早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。
早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。

国立学校とは違う私立学校として、権力や時勢に左右されない学問を追い求めること。それは時に、先の見えないことをやっているという暗中模索感に苛まされたり、権力や流行という高速道路に乗り疾走する他者を見て羨ましく悲しく感じるような、そんな毎日でもある。でも、僕は思う。それこそが「自由」であり、それこそが大学たるものではないか、と。

何度も、何度も、何度も読み返しているコラムがある。大学で学んでいる自分自身はいったいなんなのだろうと考えたときに読む文章がある。その中に、大学に行くとは「海を見る自由」を得るためだと、「立ち止まる自由」を得るためであると、立教新座中学・高校の校長である渡辺憲司さんは言っている。
(→卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

高等教育機関に属し「専門を究めること」と「自由を得ること」。これらは相反するように聞こえるけれど、それらを僕達大学生はひとりひとりの最適な割合でミックスさせて、日々を過ごすべきなんだと考えるようになった。遊び呆けるでもなく、勉強に没頭するでもなく、それらをうまく組み合わせて、人の世で生きることの辛さ楽しさ両方を知り、「模倣国民」へ一歩近づく。僕は2人の先生のお言葉からそんな風に解釈をして、それをもう2年間実践しようとしている。

卒業証書を受け取り眺めながら、自分自身のそれらの割合は偏ってないかな、ちゃんと配合されているかな…とゆっくり考える。これからの2年間を、「学生の頃は良かった…」と将来逃げるための洞穴を掘る作業ではなく、飛躍するためのジャンプ台を建設するような、そんな思いで過ごして行きたい。



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