「大阪に来たら、竜之介に見せたいものがあるんだ。」
留学中に知り合った、京都で学び今は大阪に住む昂平が、通天閣の袂にある串カツ屋でビールを飲みながらそう言った。僕は原爆や平和について学ぶために広島・長崎を訪れ、電車を使って東京へ帰る途中に初めて大阪に寄ったところだった。
「San Franciscoにシビックセンターとか、テンダーロインとかのghetttoな場所があったでしょ?あれの日本版が大阪にあるんだ。見た方がいい。」
"ghetto"(ゲットー、発音的にはゲローの方が近い)とは、もともとヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人の居住区を指す言葉。そこから、アメリカでは貧しい民族的・階級的マイノリティが集まり住むエリアを形容するときに使われる。
サンフランシスコのテンダーロインはghettoの極みとして有名で、僕も何度か足を運んだけれど、昼間から乞食や挙動がおかしく目が虚ろな人が徘徊している。ションベンとweed(マリファナ)の匂いが入り混じりストリートのあらゆるところから漂ってくる。危険で安宿が多いことでも有名なダウンタウンの一画。
「テンダーロインみたいって言っても、流石にweedなんかはやってないでしょ、日本だし。」
「いや、深夜になると売買してららしい。とにかく、大阪中の貧しさがそこに集められてて、日本で一番安く泊まれる宿が建ち並んでる。」
一体どんな場所なんだろう。想像もつかないまま僕は昂平に案内をお願いした。
大阪のテンダーロインは、環状線の駅、新今宮のすぐ近くにあった。駅を降りてひと気の少ない出口を進むと、ションベンの匂いがツーンと鼻を刺す。シトシトと降る冷たい雨が仄暗い雰囲気をさらに強めている。駅から歩くとパチンコ屋のようなネオンが光っているが、なんとそれはスーパーだった。中に入ると総菜なんかが異常に安い。その日暮らしの日雇い労働者が利用するためだ。
「ここら辺から、かなり雰囲気変わるよ」
昂平がそう言った道路の脇には、ホームレスの人が住むダンボールやブルーシートで作られた「縄張り」が雨の当らないわずかなひさしの下にずらっと並ぶ。自販機に目を向けると飲み物が50円からある。少し先の小学校の塀は3メートルほどの高さがありてっぺんには有刺鉄線が張り巡らされている。監獄のようだ。狭く汚い居酒屋の提灯が寂しく光る。雨のせいか、人通りはほとんどない。
中に進んで行くと安宿街に行き着いた。一泊700円。一週間5000円。生活保護。人生相談。社会保障。社会復帰…そんな単語が書かれた看板があちこちに掲げられている。
バックパック旅をする中、物価の安いインドやスペインなんかでかなり安い宿に泊まったことがあったけれど、それと比べても一泊700円は破格だ。でも、ここに泊まってみようという気持ちは生まれなかった。僕の目の前にある安宿はカースト制度の名残で最下階級がいるインドでもない。アフリカからの貧しい移民が集まる南スペインの寂れた町でもない。「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが可能なはずの日本の、大都市・大阪の一画だ。
住む場所に払うお金というのは、人間の生存に関わる物凄く大切なもの、安心料とか存在を認められる価値であったりする。
旅を続ける中で、ある街に数日間の滞在を決めて 前払いで3日や4日ぶんのベット料金を払うと、それだけでこの街に認められたような気持ちになる。あぁ、疲れたら寝転がれるベッドがあるんだ、と。雨が降っても濡れないでいられる場所があるんだ、と。宿が見つからなかったりして公園のベンチやクローズしたフードコートに忍び込み寝たことが何度かあるけれど、その時に感じた自分の非人間感や悲しさは忘れられない。
新今宮に住む人が自分の存在を認めてもらうために一晩に払うお金は、僅か700円なのだ。僕はショックを受けた。
なぜこんな区画が出来たのかという昂平の案内を聞きながら、日本のghettoを小一時間見て回った。一泊700円。一ヶ月でも20000円弱。
すぐ隣に位置する、日本に唯一遊廓が残る飛田新地も案内してくれた。そこでのショックも相当だったが、細かい説明は省く。セットのような旅館の玄関口に売り物となったモデルのように綺麗な女性が座る。スーツ姿の男の人が徘徊し、おばちゃんがキャッチをする。値段の交渉する声が聞こえる。15分で12000円。30分で20000円。交渉が決まれば即座に座敷の上の階に行き「本番」が始まる。売れ切れ中でおばちゃんのみが座った店が多く、二階に思わず目と耳が集中してしまう。
ここも、ある種のghettoだと僕は感じた。
一ヶ月の存在と安心に払うお金が、三十分の快楽と射精に消える。
そういう存在を知っていても、それらを続けて目の当たりにすると感じるものは相当違う。
日本のghetto、日本のテンダーロイン。
くいだおれと笑いの街の裏側がそこにあった。
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