"常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションを言う"
-アルベルト・アインシュタイン
"Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen."
-Albert Einstein
友人と飲んだ。恋愛相談を受け、色々と話をした。
恋愛は難しい。それは、各自が自分が正しいと思う尺度や常識で相手を測り、そこから逸脱した好意をすべて「ありえない」「考えられない」「浮気」と 判断してしまうから。しかし、その判断の基準となるべきものは、先の引用にあるような、各自の偏見でしかありえない。
十人十色の恋愛観があり、それは各々の偏見の集まりであり、恋愛の「常識」などは存在しない。
付き合い始めの当初に、こんな話をする彼氏彼女がいると思う。
「何をしたら浮気になると思う?」異性とお酒を飲むこと、手をつなぐこと、 キスをすること。
ボディタッチが多いのは、その人の性格、多めに見てあげなきゃ。
連絡なしに異性がたくさんいる場所にいくのも、社交場しかたないことだよね。
勢いで、一晩を他人と共にした。それも、経験。誰でも誤ちは犯すもの。
様々なルールを作ったり語ったりするけれど、それが守られることなく別れていったりする話をよく聞く。
若い時分は、誘惑が多いもの。理性あるときに考える様々な恋愛ルールが、簡単に、本当に簡単に破られてしまったりする。
また、若い=成長したいと考える精神から恋愛に対して求めるものは、相手との付き合いのなかで「何を得られるか」という至極利己的なこと。
「得たい」「経験したい」「成長したい」…異性と出会うチャンスなどいくらでもあり、またそんな欲望もたくさんあるから、情に従い簡単に動いてしまう。
チャンスがたくさんあるのだから、それをしっかり掴むべき!そんな考え方も、ある。
本能のままに生きて、奔放に恋愛をし、キスをし、セックスをする。そんな考え方に、おかしくない?と考えながらも、いいなぁ…と思う気もちが僕の中にもある。
僕とは違う価値観を持っていても、そこで様々な経験、地位、お金、快楽を得ている人はたくさんいて、彼らのサクセスストーリーを見聞きして「隣の芝生は青い病」にかかって鬱々とすることもある。
清く正しくありたい。そんな自制をしつづける生き方がカッコ悪いなぁとか、生きづらいと感じることもあるけれど、それが自分自身の恋愛に関する「常識」なのだと思う。悪くない「偏見」なのだと思う。他社の価値観に惑わされない、確固たる偏見がやがては「人間の軸」となる。そう僕は信じている。
恋愛に限らず、友情、信頼、礼儀、徳…そんな目に見えない、お金では買うことができない価値観のよりどころとなるものたち。それらが集まり固まり「人間の軸」となる。一抹の寂しさや不安に揺れ動くことのない、強い軸。ある人から見ればそれは嘲笑の対象となってしまうかもしれないけれど、構わない。自身が正しいと思うことを、しっかりと言葉にし、伝える。それらを規範として行動する。
同調してくれる人は、必ずどこかにいて、ついてきてくれる。違う軸を持っている人は、離れていく。それでも、いい。
感情の懐き方に、正解も、損得もない。あってはならない。
ただそこに、崇高なるものと下劣なるものがあり、美しきものとそうではないものがある。なにを好むか、なにを良しとするか。自らの偏見を信じて生きればよいのだと、僕は思う。
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