10/29/2013

共有じゃなくて話したい

週末は、たくさん話をした。
土曜日には小学校の先生をやっている友達と。GoogleのCMに出ているダンスの苦手なのび太くんみたいな風貌の彼にどことなーく似ている僕の友達は、国語の先生2年目。今年は5年生を受け持っているという。


小学校5年生ともなると憎たらしさやずる賢さを発揮し始める年齢。
「先生と◯◯ちゃんを教室で二人っきりにしたら先生捕まっちゃうんだよ−!」
とか言われたり、早い子にはもう始まってる女の子のできごとのこととか。悩みも多いみたいだけれど、その分楽しみも多そうで。日々学んでいる彼に負けないで過ごしたいな…と思わせてくれる大切な友人だ。


彼は数ヶ月に一度、『邂逅(かいこう)』と名した集まりを企画していて僕も参加している。要は酒と食いもん持ちよって、友達の友達の友達とかと狭い部屋で色々と話しをするだけ。アメリカでは頻繁に見られるハウスパーティのようなものだけれど、日本でのんびり住み暮らし学生をしているとこんな機会はさほど多くない。毎回楽しみにしているしゃべりの場。出会いの場。


そんな彼から借りている一冊の本『ザーヒル』パウロ・コエーリョの中に、こんなセリフがある。
人間同士の関係において一番大切なのはおしゃべりをすること。なのに、人はもうおしゃべりをしなくなっている―すわって話をしたり、人の話を聞いたりするのを。みんな劇場や映画館に行ったり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、本を読んだりするばかりで、ほとんど話をしない。
(『ザーヒル 』p188)
この一節に、ギクッとなった。僕は、人間同士の関係で一番大切なおしゃべりをしなくなっているんじゃないかって。


テレビやラジオなんかよりも、もっと僕らのしゃべりを奪っているものがある。ネットだ。もちろんネットのおかげでたくさんの人に発信をすることができるようになったり、旅先で救われたこともたくさんある。どこかに出かければ、写真をアップロードする。ブログも書く。Likeの数にウキウキするし、コメントは待ち遠しい。それでも、こうやってあることを一般公開して、僕は誰かに情報は共有しているけれど、そのことについて誰かと話をしていないんじゃないかって。気になる人が何をしているかは知っているけれど、話してよって言わないし耳を傾けていないんじゃないかって。


久々にあった友達の近況がどうなっているのか、ネットを介して僕らはかいつまんで知ることが出来る。でも、僕は、改めて、会ったときにたくさんの思い出話や、嬉しかった話、悔しかった話、悲しかった話、これからどこに行きたいか、これから何をしたいか、いま何に興味があるのか、なにがつまらないのか…そんな他愛もないけれど、聞かせたくて仕方がない気持ちをため込んで、いざ、会ったときに、これでもかというぐらい、話をしたいと思う。


そんなことを思いたって、日曜日、おばあちゃんに会いに行った。僕はメキシコ旅や留学の話をして、おばあちゃんは昔話をしてくれた。のんびりと、たくさんの話ができた。大切な人とそうやって話すことは、その人の存在を大事に大切にすることのように思える。ブログやfacebookで何やってたか知ってたよっていうのは、なんだろう、嬉しいと同時になんだか物悲しい。


本ばっかり読んで、共有することばっかりして(今もこうやってしているわけだけれど)、誰か大切な人と話すことを疎かにしてないかな。
のんびりと話したい、秋晴れの下で。寒空の中で。



10/23/2013

教養は「当たり前の木」を愛すること

週末にあった留学報告会、そして今夏に研究留学を行っていた友人との立ち話で、「教養の大切さ」について話す機会があった。「教養」って聞くと難しく感じるけれど、僕はそれは「当たり前の木」を愛するとても楽しいことだと思っている。そんなことについて。


「『いただきます』って、どういう意味?
宗教的なものなの?
日本人ではない僕はやってはいけないのかな。」

僕の友人はアメリカでそう問われて答えに困ったという話をしていた。確かに僕達が当然のように言う「いただきます」は、日本人にとっては何も考えずにおこなう習慣となっていて、どのような意味であるかを考える機会はほとんどない。「当たり前」なのだ。みんなが知っている「当たり前」に関していちいち「なんでだろう」と考えたり疑問提起をすることは和を重んじる日本のコミュニティの中では異端の目を向けられることでもあるし、体力的にも精神的にも疲れる。だから、当たり前を疑わない。僕らは知らず知らずそう育ち生きてきたように感じる。


でも、その「当たり前」が「当たり前」ではない人と接するときには話は異なる。

「いただきます」を言わない人と話をするとき。
「神」という厳かな言葉を気軽に若い女の子グループには使わない人と話をするとき。
「民主主義」という国の良さを知らず、民主主義国家の力によって愛する人を亡くした人と話をするとき。
「平和」が当然ではない地域の人と話をするとき。
「桜」を見て美しいと感じない人と話をするとき。
「ヒロシマ・ナガサキ」の悲劇を悲しんでくてる人と話をするとき。

ぼくたちは、「」の中の当たり前を、しっかりと説明ができるだろうか。語るべきことを持たないのを英語ができないせいにしていないだろうか。生まれた国が違うから仕方ないと勝手にあきらめていないだろうか。


日本列島に生まれ、単一民族国家である日本人に共通していることは、その日本や日本国籍などにまつわる自明なものへの素朴なもたれかかりであるように感じる。その結果、民族的少数者や外国人、障害者や同性愛者といった社会のマイノリティに生きる人々は自明性から生まれるさまざまな抑圧や排除の矢面に立たされ、苦しんでいる。昨今のヘイトスピーチ問題なんかも、自らのことを知らず他者批判することで「当たり前の木」にただよりかかっている人々の虚しい声にしか僕には聞こえない。


一つの文化=「当たり前の木」がそこにあるのならば、その種を巻いた人がいて、育てた人がいて、長い長い年月の風雨を経験して、その木の恵を授かって生きた生物がいて…年輪の数だけ、木の幹の傷の数だけストーリーがある。僕は、図らずとも日本という当たり前の木のもとに生まれた。これからずっと付き合っていくつもりのこの木は絶えず身近にあるのだから、その木に刻まれた様々な物語を知りたいなぁと思っている。そしてこの木が今後もこの場所で立派に立ち続けるためにはどうすればいいのかと漠然と考え始めた。それが、そんなことが、僕は教養の始まりであると考える。


ちらっと見かけた広告に、こんなフレーズが書いてあった。
知らないことが多いってことは
これから知ることが
できることのほうが多いってことさ。
教養を意識して学び始めると、その量の多さや知らないことの多さに愕然としてしまうこともあるけれど、それだけ知ることができること、「当たり前の木」をもっと愛することができるようになるってことだと僕は思う。


とても概念的な話で終始してしまったけれど、教養の大切さについて、考えたこと。

10/13/2013

ターナーの記憶色と空気感

秋空が心地よい週末に、上野・東京都美術館のターナー展を訪れた。
先週スタートの企画展示は以前から行きたいな…と思っていたもので、あまりメディアに露出していないためか、混み具合もさほどでもなく、ゆっくりと見て回ることができた。


初めてJ.M.Wターナーの名を知ったのはおそらく中学生の頃。当時聴き始めた山下達郎の楽曲の中にあった『ターナーの汽罐車』、歌詞を口ずさみながら、ターナーってなんだろう、それが知ったきっかけ。
退屈な金曜日 埋め合わせのパーティー
お決まりの場所に 吹き替えの映画さ
まるで 気のない声
 虹色のシャンペインを 傾ける君の
見つめる絵はターナー
おぼろげな汽罐者が走る 音も立てず
こんな夜の中じゃ 愛は見つからない
こんな夜の中じゃ 愛は戻ってこない
知っているのになぜ
夏目漱石も愛したターナー。代表作の坊っちゃん、教頭の赤シャツが美術の先生・野田と瀬戸内海に浮かぶ島の松を見て、ターナー島と名付けながら教養自慢を皮肉る描写なんかは印象的だった。初めて読んだときは僕も坊っちゃんと一緒に、「聞かないでも困らないことだから黙っていた」。

それでも、留学後に様々な美術館を訪れて西洋絵画を見て学ぶようになり、僕の知る数少ない画家のひとりとしてその名前は心に刻まれ、「あ、ここにもターナー」とその出会いを喜ぶようになっていた。ロンドンにあるナショナル・ギャラリーで見た山下達郎の楽曲の題材となった"Rain, Steam and Speed"に出会ったときは、思わず心躍った。


さて、ここから写真の話。

ターナーの絵を見ながら、以前に写真や撮像素子、デモザイクに関して勉強をしたときに学んだ2つの言葉を思い出した。『記憶色』と『空気感』。

記憶色とは、被写体の持つ現実の色に対して、僕達がその被写体に対して「こうであろう」あるいは「こうあるはずだ」という思い入れを含む記憶に基づく色合いのこと。例えば、空の青さに関する記憶色。空の青さも、夏に見える白っぽい色合いよりも、秋や冬の抜けるようなコクのある青空のほうがイメージが強い。だから、スマホで撮った写真を加工してfacebookにアップロードするとき、僕たちは空の色を青くしてくれるフィルターを好む。同様にして、桜の色はピンクを強く、葉っぱの色は緑を強く。
人間の、何かに対して「こうあるはずだ」と思う気持ちは無意識の中にも強く現れている。

空気感は、写真を評価するときに使われる言葉。空気は透明だから写真には写らない。それなのに、”空気感が感じられる写真”という言葉が一般的に使われている。でも、空気感の定義というものは僕の知る限り存在していない。空をノイズ無くスムーズに撮れた写真がよしとされる場面もあるし、シャープなエッジなんかが際立った写真の空気感が評価されることもある。評論家や写真家それぞれが思い描く空気の雰囲気や形によって異なる。だから、空気感という言い方にはそこに個人の思い入れが大きく作用している。

ターナーは、今回の展示でも紹介されていたけれど、その絵の多くに黄色を多用する。朝焼けに照らされる木々を薄い黄色で塗ったり、建物の色味も黄色がかっていることが多い。光や雰囲気の効果を得るために、絵具を拭ったり、擦ったり、洗ったりまでしてその黄色を描いている様子から、ターナーが心に描く空気や世界の記憶色は、僕達が実際にみるそのものよりも黄色いフィルターがかけられているのだろうな…と感じられた。

時代と地場の顔料・染料のせいもあるとは思うけれど、日本の伝統的な絵画には見られないような空気感と記憶色としてターナーは黄色を使う。それなのに、世界中の人々がTurner’s yellowといって称賛するその色味と雰囲気は、美術に疎い僕なんかでも、なんだかいいなぁと思わせるものがある。写真を撮り、色みを調整するときに少し黄色を足してみようかなぁと思ってみたりする。


SNSと高性能のスマホに搭載されたカメラで、誰もがみんな「いいなぁ」とおもった目の前の雰囲気を写真に撮って、シェアできるようになった。そのときに、各種あるフィルターから好みのものを選択して、自分の思い描く記憶色や空気感を添加する。
なにげなーく、かっこよく、かわいくするために選択している様々な効果は、自分の心の中にある記憶色を表現している。それは、小さいけれど一人ひとりの記憶や感性に裏付けられて行っている自己表現。僕はそれがとても良いと思っている。

写真にフィルター効果をかける前に、少し手を止めて考えてみる。
なんで、空を青く表現したいのか。どうして空気が黄色く感じるのか。
自らの記憶の中にその答えがあるかもしれない。
そんな一瞬の追想を、次に写真を誰かに見せるときにふと行ってみてはどうだろう。
写真を撮ったり見たりするのが楽しくなるかもしれない。


10/08/2013

「きっと、うまくいく」

週末に、映画館で映画を見ました。
「きっと、うまくいく」(原題:3 idiots)



初めてしっかりと見たBollywood movie(インド映画)。3時間でインターバルが途中に入り(日本の映画館では休憩なしでぶっ通しで放送する)、突然役者たちが踊り歌い出す。典型的なインドの娯楽映画の構成を踏襲していて、見る前には「くだらないって思うんじゃないかな」なーんて考えていたけれど、杞憂だった。とても良かった。


映画を見ながら、昨年の春に訪れたインドのことを思い出した。ウザったいぐらい集まってくる勧誘の人々。ギュウギュウ詰めの電車。当然のように値段をふっかけてくる行商。到着して最初の数日間はいろいろなトラブルに見舞われて、本気で帰りたいと思ったけれど、不思議なことに1周間が過ぎたころにはとても居心地よく感じた。それは、彼らのおおっぴらな感情が僕と擦れ合わさる感覚=摩擦熱が熱くて火傷しそうだったけれど、日本に暮らしていては得ることのできない暖かさをもたらしてくれていたから。冬場に手を擦り合わせて得られる幸せ、そんな暖かさ。


「きっと、うまくいく」も、その本質に感じたものはインドを旅して感じたダイレクトな感情とその幸福感。親子愛、理想と現実の間の悩み、挫折、死との直面、人生を楽しむこと、恋愛。普通の映画はこういったトピックをきれいなオブラートに包んで時には優しく、時には難解に(特にフランス映画なんかは)僕達に伝えてくれる。けれど、「きっと、うまくいく」は伏線を残しながらも、ものすごくダイレクトに大切なことを訴えていた。映画を見ながら、笑ったし、泣いたし、自分と照らしあわせて考えた。


僕の好きなミュージカル映画なんかと通じるものがあるなぁと思った。「あなたを愛してる」といったような言葉を、ただ棒立ちで伝えても観客の心には響かない。伝えたい大切なメッセージを音律とダンスに乗せて、心に伝える。ミュージカルで歌われる歌詞をゆっくり読んでみるとくさーいセリフのオンパレード。でも、それを受け止めさせてしまう力が音楽にはある。似たようなメッセージの伝え方を「きっと、うまくいく」もしていた。だから、見終わったあとの余韻が心地よかった。


朝日新聞で沢木耕太郎さんもレビューを執筆されていました。
「きっと、うまくいく」友の謎追い 美しき世界へ(朝日新聞DIGITAL 2013年6月6日)
今は、六本木の小さな小さな劇場で上映中。
家のテレビではなくて、大きな画面で、良い音楽と、3時間、笑い泣きながら。
おすすめです。


P.S.
ちなみに、今見たい映画は『ジンジャーの朝』(原題:Ginger & Rosa)

歌手/詩人の一青窈さんが、この映画を見て、小林健二さんの次の詩を思い出されたそうです。
「ねぇ なんできれいなものは ひかりにすけて
うつくしいものは かなしくて
かわいいものは わらっているの?」
冷戦時代の社会の矛盾やら、政治不安といった背景があるとのこと。
渋谷、シアター・イメージフォーラムにて上映中。


10/06/2013

大きな世界地図と小さなもの

大きな大きな世界地図を、僕の狭い部屋の壁に貼った。



4年前の僕のパスポートには、スタンプはひとつも押されていなかった。Facebookの友達の数も、数えるほどの人しかいなかった。この2〜3年以内に出会った友人の中には、僕が昔から海外を飛び回ったりしていると思っている人がいるけれど、とんでもない。海外で起こっていることを考える余裕なんてない、視野の狭い人間だった。というよりも、自分自身の視野が狭いということにすら気がついていなかった。


今でも格段それが変わったとも思わないし、4年前とくらべて視野が広がって何かができるようになったかと問われると、悲しいけれどそうはなってない。逆になにも知らないほうが強くいられたのではないかな…って悩み悲しくなることもある。でも、明らかに言えること、変わったことは、4年前の僕は部屋の壁に世界地図を貼ろうとは思わなかったということ。


異国の酒を口にして、現地の人と笑いあった。僕を好きになってくれる人もいたし、恋焦がれる出会いもした。その経験から、僕はなにか専門性を得たわけでもない。では何を得たのだろう…と考えた。出した結論が、この世界地図。地図の上にある様々な国の名前、都市の名前、以前は何も考えられなかったこれらの文字列を眺め目を閉じると、そこに生きる人々の笑う声、泣く姿、怒れる様子がなんとなく、思い描けるようになった。


ものすごく不思議なことだけれど、大きく大きく物事を考えはじめたら、逆に小さな小さなものに気がついて心打たれるようになった。人間はどうして生きてるのか、働くのか、争うのか、愛するのか、死ぬのか、笑うのか。草木の美しさ、雨の気持よさ、空気の香りと空の色。例えば、こんなこと。考えたり気がついたりしたのは、世界地図の上にいる自分自身を意識して俯瞰できたときだった。旅をしてるときだった。


ベッドの横に貼った世界地図は、毎日、起きるときに、寝る前に、必ず視界の中に入る。それは世界を意識するモチベーションではなく、すぐ近くにある大切なものや特別な人を大切にするべきだと気づかせるスイッチとなる。
大きな世界と小さな大事なものは、どこかでつながっている。
そんなふうに僕は思っている。