入道雲が湧き立ち、立体的な青と白のコントラストをつくる。
坂の街・長崎では、そこに小高い山々と住宅地が重なる。
三方を山で囲まれた港町だから、平地のほとんどは商業地になっており、追いやられた住宅地は山頂に向かって広がっている。
石段の坂、その両側に墓地や家や教会がある。
人も、死者も、傾斜地に住み、それぞれの高さから世界で最も美しい港の1つといわれる長崎港を見下ろしている。
先月のこと。出張で広島・長崎を訪れて、そのまま週末を長崎で過ごした。
4年ほど前にも、この土地を訪れたことがあり、そのときも1人だった。
グラバー園、教会群、竜馬の道、造船所…数多くの観光名所を駆け足で巡ったけれど、4年前も今回も、やはり心に残ったのは戦争関連の史跡、平和公園や原爆資料館だった。
初夏、というよりはもう夏本番を思わせる陽ざしと暑さ。濃い緑に隠れて蝉がけたたましく鳴り響く。
72年前の夏、きっと同じように暑く気持ち良い日に、原爆は落ちた。
長崎を国際色豊かな港街ではなく、悲劇の街として世界に有名にさせた1日が、1945年8月9日だ。
8月9日は僕の誕生日であって、小さい頃から僕の特別な日は、日本社会の特別な日でもあった。
ただ、その特別さは未来永劫続くものなのだろうか。
歳を重ねるに連れて、誕生日という1日が本人にさえも、過ぎ去る光陰の単なる1日としか捕らえられなくなるようになってくる。
同じように原爆が落ちて何万という人々が亡くなった1日も、次第に人々の心から記憶が薄れ、その特別さは薄らいでいく。
「悲しみは時間が癒やしてくれるよ」そんな言葉がある。これは真理だと思う。
けれど、時間に影響を受けるのは悲しみの専売特許というわけではない。
喜びも、悲しみも、誰かが生まれた日も、沢山の人が死んだ日も…
時間という大河の中において、過去の特別な日々というものはしだいに平面的にならされていくもののように思える。
お盆休み前の昨日、残る仕事がないように、少し遅くまで仕事をしていた。
誕生日であることをあまり意識することなく1日が終わろうとしていたけれど、友人から、家族から、LINEやFacebook越しに、
お盆休み前の昨日、残る仕事がないように、少し遅くまで仕事をしていた。
誕生日であることをあまり意識することなく1日が終わろうとしていたけれど、友人から、家族から、LINEやFacebook越しに、
「おめでとう」
⇒朝日新聞デジタル 長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」
日本という社会もまた、8月9日をとても特別な日として残そうと頑張っていた。
いつまでも、特別であったらいいなと思う。
たくさんの誕生日メッセージ、ありがとうございました。
You made my day special, thanks.
日本という社会もまた、8月9日をとても特別な日として残そうと頑張っていた。
いつまでも、特別であったらいいなと思う。
たくさんの誕生日メッセージ、ありがとうございました。
You made my day special, thanks.
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