9/18/2014

ウロボロスの蛇

世の中は様々な関係性で成り立っている。
個人はみな何かに属し、自分が属する枠はまたさらに大きな仕組みに組み込まれ、それが社会、世界を建設している。そのような幾重にもなる社会の階層間では様々な問題が生じる。その規模、場所、主張を変えながら。

…しかし、そこには常にいつも同じ構造、光景があるように感じる。
少数派に属する者達の、自分たちの声に耳を傾けろという叫び。
より大きな枠を動かす人達の、視野を広げろという訴え。
そんな姿を見る度に、僕は考える。きっとどこかに、「ウロボロスの蛇」の先端・後端があるはずだ、と。無限発散してしまいそうな大きな問題、一度には見きれない小さな問題。それらがうまく結びつき、問題の構造が循環する仕組み。簡単には見つからないのかもしれないが、それを見つけられない叫びや訴えに意味はないと、少し残酷かもしれないけれど僕はそう思ってしまう。


「ウロボロスの蛇」とは自らの尾を飲み込む蛇の図で、循環性や永続性のサインとして使われてきた。
Wikipedia - ウロボロス
僕がこの概念を知ったのは、昨年アメリカの留学中に素粒子宇宙論の講義でのこと。"Layer structure of nature"として、素粒子、原子、生物、地球、太陽系、銀河系…と、人知を超えるほど大きなものを求める宇宙論という学問の先には、実は世界の構成要素である素粒子・クオークなどの最も小さな構造の解明が関係している。ピラミッド型にただ上層下層にわかれる仕組みではない、循環的な学問の深みとロマンを知った。


さて、僕がフィールドワークで訪れた沖縄、さらにその前に訪れた沖縄の離島である先島(八重山)諸島で知った数々の社会的問題。そこで僕は様々な問題の階層構造、枠と個の矛盾関係を見た。

沖縄県という枠に含まれる先島諸島はかつて、沖縄本島の琉球王国の支配下となり、人頭税など多くの負担を強いられていた。先の大戦では本島が被った「鉄の暴風」のような地上戦を経験せず、牧歌的で美しい自然が残された。
「本島の人はお金しか考えてないんじゃないか」
「もっと、離島のことも考えて欲しい」  
親しくなった石垣島の店主は僕のそう言った。


沖縄本島に住む人はまた違う意見を持つ。上の文脈の枠を日本に、個を沖縄に置き換えてみる。
「内地の人は、もっと沖縄に目を向けるべきだ。」
「日本政府は、沖縄を植民地のようにしか思っていなんじゃないか。」

世界と日本という規模でも同じ構造がある。枠を世界や米国に、個を日本にした様々な議論。
「日本をもっと世界に発信しなければ。」
「日本はアメリカの植民地ではない、押し付けられた憲法を改正しなければ。」

この議論を続けていたら、そのうち、宇宙を見ろ!とか、銀河的に考えて…とか、とにかく大きな枠の中でしかものごとが考えられなってしまう。ピラミッドの頂点から下を眺めることこそが正しいかのような、社会観。階層観。意外とたくさんの人がこの考え方に陥っているように思う。


ウロボロスの蛇のような、循環的な社会観を見つけたい。身につけたい。
小さな個を枠に埋もれさせるのではなく、その個を守ることが枠を守り、形作り、より大きな構造を支える。そんな仕組みを見つけたい。
例えば、僕が沖縄で学んだことの1つに、TPPとさとうきび畑の関係性がある。世界との競争力を高めるためにと議論が進むTPPだが、そこで砂糖の関税が撤廃されれば沖縄の離島のさとうきび畑農家は食べていけない。台風の常襲地帯では他の作物は作れない。農家がさとうきび畑作りを諦め、島を出ていき、無人となれば尖閣諸島のように領土問題の危険が高まる。
「さとうきびが島を守り、島が国土を守る」
そんな言葉が、沖縄のある離島には掲げられているという。
小さな島の小さなサトウキビ畑が、大きな大きな日本と世界のTPPにも関係しているという循環構造の一例である。


大学に入り、留学・バックパック世界旅行と、大きな世界や仕組みを体験し続けてきた。
そのせいか、なまじ日本と世界という狭い階層間だけでものごとを考えてしまい、それが自分やこの国の最重要課題であるかのように錯覚していた(している)。これからはもう少し、日本の中の個を見つめ、そこにある様々な問題に耳を傾けてみようと思う。それはピラミッドの礎を固めるような地味で小さく退屈な行動ではなく、そこで見つけた様々な課題、矛盾、叫びは必ず大きなものとつながる大切な行動である。

マイノリティの声に耳を傾け、彼らの存在と世界の建設を結びつける。
ジャーナリストの使命の1つでもあるこの考え方を、これからも、ずっと、持ち続けていたい。

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