4/13/2013

就活の終わりの「虚しさ」は成長の合図

「なんかさ、会社が決まって嬉しい気持ちはもちろんあるんだけど、なんというか、こう、自分自身の視野がシューッと狭まっていく感覚がして凄く虚しいんだよね、今。」

就活を終盤に迎えた友達がふと、飲んでいる時にこぼした言葉。彼は学生のうちに起業も経験していて、行動力・バイタリティーにも溢れていて、内定をもらったり最終選考まで進んでいる会社の名前は誰もが知っていて憧れるような会社ばかり。そんな彼でも就活を終盤に迎えて「虚しさ」を強く感じているという。
この虚しさこそが、多くの人が社会人になってから「学生のときは良かった…」とこぼす理由だと思う。心に決めたこと、やりたいと思ったことであっても、僕たちはときに自分の進む道とは違ったほうを選んだときの景色を思い浮かべてしまう。「他の人生もあったのにな」とか、「こんなはずじゃなかったのにな」って。
「何かを得るためには何かを失う」
このルールの後半を忘れて、得ることにただ夢中になれる。20代前半までの学生の時間はそういう時間だ。そんな特別な時間の終焉を感じて、ルールの後半の「失うもの」の大きさに気がついたとき、僕たちは、すごく虚しさを感じる。


でも…それが社会に出るということなんだろうな、大人になることなんだろうな…と、周りの友の成長を肌で感じて僕は思う。自分自身の可能性を削って捨てて失って、飯を食うために残ったことに本気になること。与えられた仕事やチャンスや環境に感謝出来る人。
失いたくないからといってだらだらと言い訳や不満を言い続ける人もいて、得続けるためにじたばたと見苦しい努力をする人もいる。でも、僕がかっこよく美しいと思うのは、失ったものを悔しいなぁ悲しいなぁと感じながらもそれを心の奥に隠しておいて、今いる環境を笑顔と誇りで自慢できる人。素直である人。自らの決断を信じられる人。そんな人達だ。

就職活動を終えた友達が、突然大人に見えることがある。数ヶ月前は僕と同じ学生だったのに、なんだか雰囲気が変わったな…って。そう感じる彼/彼女の笑顔の背後にはきっと、なにか大きなものを失った経験や決断があるのだと思う。人は、失うものが大きな決断をすればするほど大人になる。とても僕には敵わない。

学生は自由で気楽であるけれど、それは失うものが少ない逃げの感情の溜まり場でもある。自分の力を誤認しているナルシスト、自分をさておき他人をとやかく言いたがる評論家、自分の立場を理解せず、関係ないことに口をはさむ分不相応な人の集まりだ。


シューカツの終わりに感じる「虚しさ」は、大人になるための第一歩だよ、きっと。
悩んで悩んで、ときには泣いて、でも決めたが最後素直になって、笑顔を作る。それが大人。それが成長。就活の季節の終わりが近づいて、一回りも二回りも大きくなった友達の笑顔に出会う機会が増え始めた。

お疲れ様。辛かったこと、悔しかった経験なんかはせいぜい酒の肴にとどめて。
捨てるもん捨て切ったら、のんびり飲みながら話そう。成長した皆の話を羨ましく思いながらも、楽しみにしてます。

4/07/2013

サン=テグジュペリ『人間の土地』

『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリ。
その出版に先駆けること4年前、飛行士としての経験から得られたコトを綴ったエッセイ集を彼は書いている。『人間の土地』。


僚友との別れ、戦争が終わり商業としての役割を担う飛行機、砂漠での不時着事故から経験した人間の極限…
なんで、サン=テグジュペリは『星の王子さま』を書けたのか。人間の本質を見抜くに至った経験とそこから生まれた思考が、「原石」のまま書かれている。
《とかく男の子というものは、駆けずりまわったり、難儀をしたりすることで、自分を強いと思っているものなのですよ》(同書p80)
僕は小さい頃から遠くへ遠くへ行くこと、冒険をすることが大好きだった。毎日のように自転車で街中を駆け回り、ときにはとにかく遠いところまで行き、日が暮れて場所がわからず迷子になり、ものすごい不安にかられて… そんなことを繰り返していた。それは今もほとんど変わらない。その行き先が、荒川の土手なのか、東京の街中なのか、インドの聖地なのか、チュニジアの砂漠なのか、それだけの違い。引用した文にあるように、そうやって、自分を強いと思いたがっているだけなのだろう。

少し訳が難解だったけれど、咀嚼し嚥下し吸収すると、ハッと気がつくほど素晴らしいことを言っている。心に残った言葉をインターネット上で見つけた英文と一緒に残しておく。備忘録。ときおり戻ってきたいな…そう思わせる本のリストに仲間入り。

以下、本文より引用。

 《何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない、旧友をつくることは不可能だ。何者も、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の尊さにはおよばない。この種の友情は、二度とは得がたいものだ。樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ。
 これが人生だ。最初ぼくらはまず自分たちを豊富にした、多年ぼくらは木を植えてきた、それなのに、やがて時間がこの仕事をくずし、木を切り倒す年が来た。僚友たちが一人ずつぼくらから彼らの影を引き上げる。かてて加えて、ぼくらの喪に、今日以後、人知れぬ老いの嘆きが来て加わる。》 (p41)
“Nothing, in truth, can ever replace a lost companion. Old comrades cannot be manufactured. There is nothing that can equal the treasure of so many shared memories, so many bad times endured together, so many quarrels, reconciliations, heartfelt impulses. Friendships like that cannot be reconstructed. If you plant an oak, you will hope in vain to sit soon under its shade.
For such is life. We grow rich as we plant through the early years, but then come the years when time undoes our work and cuts down our trees. One by one our comrades deprive us of their shade, and within our mourning we always feel now the secret grief of growing old.  

 《人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。》(p58) 
“To be a man is, precisely, to be responsible. It is to feel shame at the sight of what seems to be unmerited misery. It is to take pride in a victory won by one's comrades. It is to feel, when setting one's stone, that one is contributing to the building of the world.” 

 《たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。》(p224)

 《戦争を拒まない一人に、戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。彼を批判するのに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。》(p217)

 《愛するということは、おたがいに顔を見あることではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ。》(p216) 
“Love is not just looking at each other, it's looking in the same direction.”  


4/01/2013

谷川俊太郎『あなたはそこに』

ルソーは『言語起源論』の中で、「最初の人間の言語は幾何学者の言語ではなく、詩人の言語であったと思われる。はじめ、人は詩で語り、ずっと後になってようやく理性に拠って考えることを思いついたのだ」と言っている。サン=テグジュペリはその『手帖』に、「物理学者と同じように、詩人も真理を検証する。ぼくは詩の真実をかくも強く信じている」と書き残した。
上の文章は、僕が今読んでいる電磁気学の本のまえがきにある言葉である。

物理とか理系の人が感性が乏しくロボット人間のようであると決めつけたのはどこのだれだろう。そんなことを最近思う。少なくとも僕が最近読んでいる理工図書の著者である有名大学の教授や学者が語る言葉は、美しく綺麗で、それでいてとても(時には過度に)ロマンチックであったりする。また、感性豊かでアーティスティックな友人もたくさんいる。
僕は「あいつは理系(文系)だから〜」という言葉を使わないようにしている。環境が人を作るという。それはある意味真実。だからといって、理系人間は感性を大事にしなくていいわけではなく、また、文系人間が分析を疎かにしてよいなんてことはない。
文理両道人間を目指したい。その両方があって初めて一人前の人間ではないかと僕は思う。

ルソーやサン=テグジュペリにならうわけではないけれど、詩が含有する真理や力強さに心打たれることが最近増えた。谷川俊太郎の『あなたはそこに』という詩にも感じるものがあった。

「あなたはそこに」 谷川俊太郎


あなたはそこにいた 退屈そうに 
右手に煙草 左手に白ワインのグラス 
部屋には三百人もの人がいたというのに 
地球には五十億もの人がいるというのに 
そこにあなたがいた ただひとり 
その日その瞬間 私の目の前に 

あなたの名前を知り あなたの仕事を知り 
やがてふろふき大根が好きなことを知り 
二次方程式が解けないことを知り 
私はあなたに恋し あなたはそれを笑い飛ばし 
いっしょにカラオケを歌いにいき 
そうして私たちは友達になった 

あなたは私に愚痴をこぼしてくれた 
私の自慢話を聞いてくれた 日々は過ぎ 
あなたは私の娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ 
私はあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み 
私の妻はいつもあなたにやきもちをやき 
私たちは友達だった 

ほんとうに出会った者に別れはこない 
あなたはまだそこにいる 
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける 
あなたとの思い出が私を生かす 
早すぎたあなたの死すら私を生かす 
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も 

春は別れの季節である。フェイスブック上では友達が卒業を報告し、新しい場所でのさらなる活躍を誓っている。共に時間を過ごした人との別れはつらいものであるけれど、"ほんとうに出会った者に別れはこない”と、谷川さんは言う。この言葉を信じたい。
そして、季節は今日を境に別れから出会いへと変わる。
新しい環境で頑張る人たちへ。別れの悲しみは、次第に出会いの喜びになる。それらが積み重なった思い出が「私を生かす」。

楽しもう、苦しもう、笑おう。頑張って!