来週から始まる那覇でのフィールドワークを前に、沖縄をもっと知ってみたいと思い、一人旅をすることに。那覇には数度訪れたことがあるので、今回は八重島諸島をめぐるつもり。でも、予定はほとんどなし。街に出て、いつもより少しだけソーシャルに人と接して、そこで得た新たな発見を次の旅の目的にしていく。
バイクを借りて、石垣島を一周した。
途中スコールに見舞われたりもしたけれど、青空、白い雲が眼前に広がる。天気に恵まれている。周囲130kmほどの石垣島は、さくさくと走れば3時間もあれば一周できてしまう。でも、気になった路地を曲がり、さとうきび畑を駆け巡り、出会った人とつかの間の会話を楽しんだりしていたら、結局10時間以上、石垣の風景を楽しみながらのドライブをすることになった。
さとうきび畑と水田が連なる道の行き止まりで、作業をしているおじいに出会った。
なにしてるんですか?と尋ねると、
「田んぼの雑草取ってんだよー、どっから来た?」東京から来たと伝えると、
「あー東京からかぁ。内地も暑いのか?」と、フレンドリーに色々と話しをする。石垣で育てている稲の種類は全てひとめぼれ。また、ほとんどの農家さんが二毛作、ときには三毛作をするとのこと。温暖に気候で年中育てられることに加え、毎年襲い掛かってくる台風への備えもあるという。一度稲がやられてしまっても、次の稲を育てられるように、常に備えをしているのだと。
のどが渇き、八重山ヤシが群生する地域の近くでサトウキビジュースを飲んだ。ほんのりと甘い。しぼってくれたおっちゃんが教えてくれた。
「さとうきびの旬は冬だから、この時期のは美味しくないぞ。冬のさとうきびからは黒糖なんかがとれるし、もっとジューシーだ。」さとうきびの旬が冬だなんて、知らなかった。美味しくないのに絞ってくれて、売ってくれて、教えてくれたおっちゃんの心が優しかった。そして、触らせてもらったサトウキビの硬さ。あれだけたくさんのジュースを絞りだす機械からは、「バキバキバキ」と轟音が鳴り響く。僕の背丈よりも高いさとうきび畑は、ちょっとやそっとの風雨には負けない群れをなす
夜、観光客があまり入らなさそうなローカル居酒屋へ入った。
カウンターに座り、オリオンビールを飲みながら、メニューを見ると、見慣れぬ料理がたくさんある。牛中味煮込み、ひらやーちー…強面な店主に尋ねると、ぼそぼそっとした声で、でもフレンドリーにいろいろと教えてくれた。
「中味(なかみ)は、牛の中身のこと。内地でいうところのホルモンだね。ひらやーちーは平焼き。からくないチヂミみたいなもんで、小麦粉とネギを焼いた家庭料理。台風が来て、外に出られないときでも、小麦粉と庭先にはえてるネギがあればつくれるから夏によく食べてたよ」飲み物を泡盛にかえながら、ひらやーちーを食べつつ色々と店主から話しを聞く。
ちゃんぷるーなんかでそーめんが使われるのも、台風で食材がなくても薬味があれば簡単に食せるソーメンを常に家に常備しているから。内地では暑い夏に清涼感が欲しくて食べるけれど、沖縄では年中食べるとのこと。
沖縄料理も文化も、東京にいても頻度よく見かけるようになった。
それでも、僕らが知っている沖縄は、とても表層的なものであることをこの数日で身を持って体験した。沖縄は台風の常襲地帯。台風銀座と呼ばれるほどで、毎年甚大な被害が農作物を襲う。それらに適応すべく様々な文化が根付く。水稲の二毛作、太く硬く強いサトウキビ、小麦粉でつくられた料理…
また、沖縄の人が「内地」という言葉をたくさん使うことも、なんとなく知っていたけれど、直に耳に入り強烈に印象に残った。
「内地」という言葉は、北海道、沖縄などの離島に住む人が本州を指すときに使う言葉であるけれど、そこには江戸時代からはじまった統治・植民の歴史が見え隠れする。アイヌの人々が住む蝦夷を、中国の文化が強く残る琉球王国を、ときの幕府や政府が統治した。そこから発生したウチとソトの意識は、国の制度上は存在しない。国が国として機能するよりどころとする法律の用語のなかにも、見出すことはできない。それでも、脈々と受け継がれている「内地」という呼び方には、どこか沖縄の人々が自らの存在と日本政府を切り離して考えることを推奨しているような、そんな言葉の力を感じた。
旅の最中に呼んだ、「弱いつながり 検索ワードを探すたび」で、著者の東浩紀さんは、ネットを駆使する現代の人々に旅・旅行に出ることを強く勧める。ネットやSNSというものは既存のつながりをより強固にしたり知識を深めたりするメディアであることを説明し、自分の知識を超える新たな発見をもたらすノイズは手に入りづらいことを指摘する。今まで、Googleの検索窓に打ち込んだことがないワードと巡りあい、それらを調べることにこそネットを使えと言う。
「ひらやーちー」「内地 外地」「石垣島 二毛作」「沖縄 ソーメン なぜ」
そんな、沖縄・石垣を訪れなければ一生調べなかったような言葉が僕の検索履歴には残っている。新たな発見を楽しんでいる。
自分探しの旅でもなく、友との進行を深める旅行でもない、”検索ワードを探す旅”。
自らの人生に恣意的にノイズを加える作業をすることは、きっと人を豊かにする。
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