5/04/2014

2100年を生きる次の世代のために。

同い年の友人が、子供を産んだ。
留学で同時期にサンフランシスコへ行き、苦楽を共にした友達は、しっかりしているけれど元気で笑顔が眩しくて少女らしい。そんな彼女が身籠って出産したわけだから、身内では「子供が子供を産んだ!!」なんて揶揄したりして。それでも、新たな生命が生まれた。そんな彼女と、旦那さんと、赤ちゃんに会ってきた。




2014年に生まれた赤ちゃん。彼はきっと、僕達が見ることのないであろう時代を生きることになる。2100年、22世紀。きっと平均寿命はこれからどんどん長くなっていき、人生80歳、90歳ぐらいはざらにありうることだろう。新たな世紀の幕開けなんて、11歳のときにミレニアムを経験した僕にはもう訪れまい。


「次の世代」
なんて言葉は、まだまだ僕らが背負って引っ張って生きていかなければならない概念であるけれど、今日、抱かせてもらった新たな生命は、間違いなく僕らの命が果てた先にも生きる「次の世代」となる。人の一生は短い。その短さゆえ、例えば新たな生命を与えることを考えたり、例えば自らの人生の終わりを感じ取ったり、例えば次の世代を見ること無く去っていった人のことを考えたときに、僕たちはきっとちょっと真剣に考える。
「次の世代に、僕たちは何を残せるのだろう」
と。

なぜ、若者が政治に対して無関心であるのかを、少し前に若者の投票率をあげるために活動している友人と真剣に考えたことがある。その中で僕達が出した結論が、「若者はただ得ることしか考えていないから」というものであった。10代、20代、もしかしたら30代までの人生というのはとにかく自分自身の成長、自分自身の夢、自分自身の名誉、自分自身の快楽のために生きる時間である。それは人生80年のために生きる時間であり、それより先のことを考えるべき時間ではない。しかし、先に上げたような「次の世代」を意識し始めると、話が変わってくる。次の世代のことを想う。自分の子供、自分の孫、自分の子孫のためになること。それは人の一生を超えた枠組みで動くことができるシステムであり、企業体系や、政治や、法律だったりする。
政治を本気で考える人、会社のしくみを想う人というのは、ニアリーイコールで「次の世代を想う人」であり、それは「人の命の短さを悟った人」であると僕は思う。

頭の良い人、名誉ある人、お金持ちな人、モテる人、高尚な気持ちを持つ人…
「すごい!!」って評される人は多々いるけれど、極端な話、その人に明日隕石が降ってきて頭に直撃して亡くなってしまったら、残るものは少ない。だから、自らがいなくなったあとにも、「次の世代」のために、2100年を生きる人々のために、人生の長さを超えて残る仕組みづくりに人は励む、その人生の終わりに。100年残る会社を、300年後も豊かな国を、500年後に平和な世界を、と。

まだまだ僕は自己中心的であってそんなたいそうなことを考え実行するに至っていないけれど、やっぱりいつかは2100年を生きる友の子供、自分の子供、さらにその孫の世代に残せる何かを築きあげたい。
そんな高尚な思いの第一歩は、投票をすることだったり、会社でしっかりと働くことだったりするのだと思う。

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