3/10/2014

「さよならだけが人生だ」

3月。
「卒業」という言葉が、周りでちらほらと聞こえ始めた。
始まりを感じさせる終わりの季節は、まだまだ寒さが厳しい(今日は特に寒い)けれど、三寒四温の歩みに沿って、ゆっくりと深くなっている。


「小学校の横に、桜が咲いていたよ」
母のそんな言葉を聞いて、朝、散歩に出かけた。
母校の正門の前に濃いピンクの花が咲いていた。河津桜だという。
まちなかでよく見かけるソメイヨシノは、もう少し経つと一気に開花して乱舞し、散る。それとは趣を異にする早咲きの河津桜は、群れず、少し濃いピンクの花々を、1ヶ月もその枝に抱え続けるという。
綺麗だった。



就活の合間に読み進めている、ドナルド・キーンの「果てしなく美しい日本」。
その中で、著者は詳細に日本人の慣習、風習、目では見えぬしきたり、宗教、そして季節感と美的感覚を捉えている。
『すべての日本人が等しく共有するもうひとつの楽しみは、季節の移り変わりの喜びだろう。日本人にとって、それははるかな昔以来のものである。(中略)1212年の昔、浮世を捨てて孤独な隠棲生活を送っていた鴨長明は、少なくともこの世の一つの楽しみに対するみずからの変わらぬ愛を表現して、「生涯ののぞみはをりをりの美景にのこれり」といった。』(p94)
『四季にはそれぞれ独特の食物がある。(中略)日本料理店へ行くと、客はふつう特に自分の好みの料理を指定しない。客が決めるのではなく、その日には何の魚、何の野菜、何の果物がもっとも旬であるかを、板前に指定させる。料理法自体よりも、新鮮さと、季節にかなっているかどうかが高く評価される。日本料理では、もっとも重要なのは、ひとつひとつの料理が自然の香りをとどめていることであり、この上ない成熟の瞬間に供することである。』(p95)
『時につれて過ぎ行くものや変わり行くものを嘆くのは多くの国民と文学に共通だが(日本もそうだろう)、日本に特有なのははかなさの中に美の本質を見出すことである。桜の花が日本の国花と考えられている事実は、それを裏書きしている。桜の花が咲き誇るのはせいぜい三、四日であり、一年のそれ以外の期間は、桜の木はただの厄介な代物に過ぎない。(中略)だが、わずか数日の楽しみのために、日本人は桜の気に対して寛容であるばかりか、至るところに植えて、純粋にそれを愛する。』(p134)
果てしなく美しい日本 (講談社学術文庫)  より)

食卓にも、菜の花がのぼった。



季節や文化について書くと、そこには図らずも気障な雰囲気や、周りの人が気づかぬことを悟ったような軽薄さが漂ってしまう。
けれど、僕は、そういったことを中心にブログに書く。SNSに投稿する。

高い料理の写真は、お金が無ければ得られない。
楽しい旅行の報告は、友と時間があって微笑ましい。
様々な結果報告は、勝者や挑戦した者だけに許される。

でも、季節(と、酒)は平等だと僕は思う。
貧乏も、暇無しも、敗者も、見上げれば満開の桜が誇り、それを見て心浮かれる気持ちや物思いに耽る機会は、人皆平等に与えられていて、そこには優劣がない、いらないと思う。
なるべく自由で平等なものを、みんなと共有できたらいい。そんなことを思って更新したり、酒を飲んだりする。
(⇒"お酒っていいよね")



別れがあり、出会いがある。
「さようなら」「ありがとう」そんな言葉を掛け合って、見知った人と別れを告げる。
満開の桜の中で。きっと、目に涙を蓄えながら。
東日本大震災から明日で3年。
散る花の中に想う人の影を見つけ、素敵なさよならを言えたら。

勘 酒   (于武陵)
勧君金屈巵     君に勧む金屈巵(きんくつし) 
満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)いず
花發多風雨  花發(ひら)けば風雨多く
人生足別離  人生別離足る

この杯を受けてくれ 
どうぞなみなみ注がしておくれ 
花に嵐のたとえもあるぞ 
さよならだけが人生だ
(訳:井伏鱒二) 

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