1/15/2017

たった、3度目の海外

オーストラリア、パースに来ています。
人生3回目の、ちょっとだけ長い海外滞在。
自分自身の海外経験を、ゆっくりとした日曜日の夜に、少し振り返ってみる。


19歳のときに初めてパスポートを取得して、21歳のときに1年間留学。
留学先のサンフランシスコでは、自分が思っていることを全く言語化できなくて、アメリカの友達、世界中から集っていた留学生達との会話に本当に苦労した。
「朝起きたら、英語がペラペラになってたらいいのになぁ…」
そんなことを、僕と同じ立場の友人と話していた。
2ヶ月、3ヶ月と過ごしているうちに、次第に耳が英語に慣れていった。
相手が言っていることを理解できるようになり、英語での受け答えがスムーズに進むようになった。

そんな生活を送っているうちに、ふと考えたことがあった。
英語には慣れてきたけれど、一体僕は英語で何を伝えたいのかな、と。
「そうだね、うんうん、僕もそう思う、わかるよその気持ち」
そんな種類の相槌をバーやパーティで使いまわして、バリエーションを増やして、英語が上手くなった気になっていた。
けれど、本当に大切なことは、そういった上辺のものではない。
感情の揺らぎ、誰かに伝えたい事柄、共感してほしい思い…そんな心の奥底からふつふつと浮かんでは消えていく感情なのだと思った。

ふわふわとしたそんな気持ちをガシッと捕まえて、言語化するためにはじめたこのブログ。
少し恥ずかしくなるような幼稚な内容でも、「伝えたい」と思ったことを書き綴っていて、気がついたら6年。
色々な気持ちを言語化していた。


24歳のときに2度目の海外留学。
3ヶ月間、アメリカの大学で研究生活を送った。
前回の留学の経験から、日本の文化や慣習を客観的に理解して伝えられる素養を持つことを出発前から大切にしていた。
新渡戸稲造の「武士道」、ドナルド・キーンの「果てしなく美しい日本」、ルース・ベネディクトの「菊と刀」などを読むことで、灯台もと暗しな日本人観を知り、ハッとした。
また、あまり言語に捕らわれず、研究でもプライベートでも、自分の思いや考えを持つこと、それをジェスチャーでも歌でもパッションでもいいから、伝えるように心がけた。
1度目とは違い誰かと語り合う時間を多く得られたし、またブログに綴ってきた気持ちが、国籍を問わず共感を得てもらえる事を知った。


そして、27歳、3度目の少し長めの海外。
英語も着実に上達してきて、海外の慣習やそこでの身の振り方も、知識と経験で多く身につけてきた。
けれど、ちょっとだけ、そこに天狗になっている自分がいるかも。
一緒に訪れている同期の友人に対して、海外生活に関して講釈なんかを垂れたりして。

今日、パース市内の図書館を訪れた。
綺麗な館内の最上階で、日本人と思われる僕と同年代の男性を見つけた。
ヘッドホンを付け、オンライン英会話だろうか、PC越しに誰かと話しながら何度も何度も発音練習を繰り返していた。
「どうすれば✕✕✕の発音がもっと上手くなるかな?」
そう問いかける彼の英語力は、僕のものと大差がないように聞こえた。


もっともっと勉強をしよう。
貪欲に学ぶ姿勢を持っていこう。
英語も、日本についても、研修内容も、オーストラリアについても。
今までの経験をどうやって活かすか、ではなくて、いかにして新しいことを学ぶかを最優先にしよう。

4年前に書いたブログが、今になって自分の心に響いてきた。
英語を再び学び直す

「学ぶことを止めたら、そこから老いは始まる。」
昔どこかでそんな言葉を聞いたことがある。真理であると思う。
27歳、経験も、知識も、そこそこに蓄積されてきてしまったこの時期は、もしかしたら老いと若きの分水嶺かもしれない。

学び続ける姿勢を忘れずに。
3度目の海外滞在は、ベテランでもなんでもなく、「たった3度目」。
そんな気持ちに入れ替えて、過ごしたい。


0 件のコメント:

コメントを投稿