7/19/2015

池袋、天井の低い通路、その先の本屋。

「東が西部で西、東武」

電器量販店のCMでお馴染みのこのフレーズは、池袋を表現している。
東武デパートは池袋駅の西側に店を構え、西武デパートは東側に。どちらも素敵な品揃えの百貨店であり週末には息が詰まるほど混雑している。しかし、デパート以外の店舗は圧倒的に東側が優勢。サンシャインシティに映画館、そして大規模な本屋さんは池袋には東側にしかない。その一角、西武デパートの中にある「リブロ池袋本店」がその40年間の歴史を明日で終える。

蟻の巣のように張り巡らされている池袋地下道を歩き、南東の端、西武百貨店の入り口へ向かう。デパ地下の熱気と香りを左手に感じながら天井の低い通路を抜けると、文庫や新書、ビジネス本が揃う池袋リブロの別館に着く。入り口ではブックフェアや、その時々のおもしろい催しが開かれている。さらに奥へ向かうと、地下一階から四階まである書籍館へ。英語の本は3Fに、ブルーバックスなどの理工図書は2Fにある。
池袋リブロをくまなく見て、目当ての本や面白そうな本が見つからなかったら、一旦外に出て、無印良品をちらりと覗いた後に、斜向かいにあるジュンク堂書店へ…
池袋近郊に住む本好きの人の「本を買い求める動線」は、ほとんどみんな、このような感じだったのではないだろうか。




大の本好き・読書家の池上彰さんも、日経新聞の月曜日に持っているコラム「池上彰の大岡山通信 若者たちへ」の5月18日付け版で、「本棚は志を映す~リブロ池袋本店の閉店に思う」と題してリブロ池袋本店の閉店について書かれていた。
この書店、他の大型書店と同様に多数の書籍を並べているものの、品ぞろえには独特のものがありました。「誰が買うんだろう」と思うような高価な専門書が並ぶこともあれば、書店がテーマを決めたブックフェアも実施され、立ち寄るたびに新たな発見がありました。
長くじっくりと売れる“長距離ランナー”は早々と姿を消し、スタートダッシュが得意な“短距離ランナー”は生き残る。でも、短距離ランナーばかりになってしまったら、書店の景色はつまらないものになるだろうなあ、と思うのです。
「売れる本なら何でもいいだろう」とばかり、世のブームにおもねった本ばかりを並べた書店に出くわすと、店長や書店員の志を疑い、早々に店を出てしまうこともあります。 
 その一方、「この本を売りたいんだ」という志が見える棚があると、嬉(うれ)しくなって、つい店内に長居をしてしまいます。 
 池袋のリブロは、そんな“長期滞在”が心地よい書店でした。場所を変えての再出発に期待しています。
(以上、5月18日付け日本経済新聞より引用)

池袋リブロの後には、同じく書店の三省堂が入ることになっているという。でもやはり、20年近く通った池袋のリブロがなくなってしまうこと、天井の低い通路を過ぎた後に待ちかまえているブックフェアとリブロのロゴが見えなくなってしまうことが、なんとも寂しい。

実質的にAmazonは日本一の本屋となった。
インターネット書店、電子書籍、リコメンド機能の功罪に関する議論は既にかなり出尽くされ、僕もこの4年間、様々な書店の浮き沈みから大好きな本屋についてぼんやりと考えてきた。
(→All Over Coffee『City Lights Bookstore』
(→All Over Coffee『それでも、僕は古本屋に通い続ける。』
(→All Over Coffee『「本」と、それにまつわる様々な「ストーリー」』
日本では、ネット書店が実際の本屋を淘汰するにいたらず(それは多分に日本人の「本」好きと、、駅構内など日々の動線上にある小さな本屋やコンビニで図書を購入する文化にある)、調和してきたかのように思われた。
しかし、ここに来て少しずつ出版業界や実際の書店で再編や変化が見られる。出版取次業界では日本出版販売、トーハン、大阪屋に次ぐ第4位の売上高を誇っていた栗田出版販売が先月、倒産した。大型書店や新規書店では、入り口に近い、いちばんいい場所が雑貨コーナーになっていることも多い。本を中心にして、書店、取次、出版社、作家が、互いを育て信頼関係を深めてきたのものが、脆く崩れやすくなっているように思う。

本と、音楽と、食事は、「人生における無駄で優雅なもの」(僕の元バイト先、Brooklyn Parlorの標語)である。無駄なものは、淘汰される。しかし、その結果、優雅さに欠けた、単調でつまらないものになってしまってもいいのだろうか。
便利だから、効率的だから、楽だから、タダだからという考え方を、「無駄で優雅なもの」にはなるべく適用させずにいきたい。優雅なものを作る人に報いることができなければ、泉は枯れ、巡り巡って僕達の人生を苦しめる。

テイラースイフトやサカナクションの山口一郎さんが、最近、様々なシーンで「音楽」のあり方について語っている。それと同じくして、本のあり方についても、僕らはもっと考えていかなければならない。

7/11/2015

「この感情は何だろう。」

幼いころの夏の思い出がある。

家から数分の場所にあった(今は閉店してしまった)書店へ向かい、涼しい本屋で、握りしめた500円かそこらで小説を買うこと。
重松清の「エイジ」、山田詠美の「僕は勉強ができない」、湯本香樹実の「夏の庭」…国語が大嫌いであった当時の僕でも、同年代の主人公が悩み苦しみ冒険し成長していくストーリーには感情移入でき、文章を読むことが苦痛ではなかった。

本を買うこと、それがなぜ夏の思い出になるのかというと、上であげた本はすべて新潮社の夏のブックフェア、「新潮文庫の100冊」に選出されていたから。
Yonda?君というパンダのキャラクターグッズを本を読み集めてもらったりしていて、実はかなり本を読んでいたのかもしれない。だから、僕にとっての夏の思い出は、もちろん炎天下で友達と遊びまくったこともあるけれど、涼しい本屋をでたときのムワッとした空気とともに選び抜いた小説を小脇に抱えて、家に帰りそれを読んだことだったりする。


昨日、会社からの帰りに書店に立ち寄ると、今年も「新潮文庫の100冊」フェアが行われており、そんな僕の夏の思い出がよみがえってきた。
読んだことがある変わらない名著もあり、全く知らない作家の小説もたくさん選出されていた。何れの本も名著で、読んだことがある本は今でも僕の心に強く残っているものが多かった。

http://100satsu.com/

幼き頃の夏の思い出とは変わっていたこともある。

一つ目はキャラクターがYonda?パンダからロボットのQUNTAになり、人のココロを理解するために本を読み、様々な感情を見つけていく…というPR方法。
もう一人の登場人物「書店のおじさん」は、未来からきたロボットQUNTAに本を読むことの素晴らしさを語る。

「本のなかには人間のいろんな
感情がつまってる。 
ワクワク。ドキドキ。モンモン。
自分って?生きるって?幸せって?
読んだあと、何かわかるかもしれない。
わからなくなるかもしれない。
でも、これだけは言える。 
キミの心は、
ちょっぴりだけど、
優しく、強く、
ユーモラスになってる。
毎日の景色が
違って見える。なんてね」

二つ目は、僕が大人になったということ。
今でも本はよく読むけれど、感情を育む小説ではなくて、社会派小説や新書、ビジネス本なんかに手がのびるようになった。
成長して社会人になったんだな、と思う。
でも、内面は、感情は育まれているのだろうか、と考えた。

「新潮文庫の100冊」の図書を、今年の夏はなるべく沢山読んでみよう。
「この感情は何だろう。」
そうやって、自分自身の中に芽生えるものと向き合うことは、ロボットでなくても、子供でなくても、とても大切なことのはず。

夏休みを終えた子どもたちが一回り大きくなって学校に帰るように、成長、できるだろうか。
26歳になる夏、大人の夏休みの宿題。