6/17/2015

ラマダーンが始まる

イスラム教の断色月、ラマダーンが明日から始まる。
今年は6月18日(木)頃から7月16日(木)頃の日没まで(予定)。
僕が入社した会社の同期には二人のイスラム教徒(二人ともインドネシア人)がいて、常日頃からハラールフード(イスラム法において合法なもの)を食べるようにしたり、定期的にお祈りをしている。
トルコ、チュニジアをバックパックで旅しながら、イスラム世界のことを勉強し体験したつもりでいたけれど、身近に一緒に過ごしているとまた気がつくことは多く、普段の言動や意識の違い、説明してくれる彼らの宗教観から学ぶことが多い。



明後日には、一緒に東京にあるモスク、代々木の東京ジャーミイへ行くことになった。
「ラマダーン」という言葉はかなり広く日本でも知れ渡ったように思えるけれど、まだまだ僕の知らないことも多い。
ラマダーンについて、インドネシア人の同期から昼ごはんを食べながら学んだこと、実際にイスラム圏を旅して経験したこと、調べたことを少し書き留めておく。


「ラマダーン」の意味を「断食」だと思っている人も多いけれど、実はこれは皐月、Januaryといった月の名前。イスラム暦の9月がRamadanと呼ばれる。
「断食」は「サウム」で、信徒の義務とされる五行の一つ。五行は、
  1. シャハーダ/信仰告白
    アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー。ワ・アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー。(アッラーのほかに神なし。ムハンマドはアッラーの使徒なり)という言葉を唱えること。
  2. サラート/礼拝
    ムスリムは毎日、ファジュル(夜明け前の礼拝)、ズフル(昼の礼拝)、アスル(午後の礼拝)、マグリブ(日没の礼拝)、イシャー(夜の礼拝)と5回の礼拝が義務付けられている。
  3. ザカート/喜捨
    貧しい人々のために1年間で貯蓄できたなかから喜捨を行うこと。ザカートは制度化され料率も決まっており、現金ならその2.5%を供出する。
  4. サウム/断食
    ラマダン月に、ファジュルの礼拝から日没までの間、一切の飲食を避ける。基本的には大人の義務で、病人、旅行者、生理中の人などは後日まで猶予できる。断食中は飲食のほか、喫煙や性行為も禁止。
  5. ハッジ/巡礼
    生涯に一度、可能なもの義務とされる巡礼。イスラム暦第12月の8日から10日にかけ、定められた方式と道程に則りメッカのカーバ聖殿などに参るというもの。


イスラム暦は完璧な太陰暦。
つまり、月の満ち欠けで1月を定めているため、1ヶ月はほぼ29.5日。
その結果、僕達が使っている太陽暦とは1年で約11日ずれが発生、そのためラマダンも1年間で11日ずれる。
今年のように夏至をまたぎ、太陽が昇っている時間の長い(過酷な?)ラマダーンもあれば、断食時間の短い冬至ラマダーンも存在する。


断食といっても1ヶ月間という期間を完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事を摂る。
実は、ラマダン月はサウム(断食)を行うのだけれど、イスラム教徒は太ることが多いという。それは日没後の食事がいつもにも増して豪華になるからとか、偏った食生活になるからとか。


「断食」のことを、インドネシアでは「Puasa」といい、断食月は「Bulan Puasa」と言う。「Berpuasa」とは「断食をする」という意味で、「puas」とは「満足する」という意味なので、断食によって、食のよろこび(満足感)を認識することがインドネシア語での「断食」の意味。
本来のイスラームにおける「断食」は「ヒジュラ」の道中の苦難を追体験するために行われるもの。



街を歩いていても、ハラールのお店や、ひと目でイスラム教だとわかる人が増えてきた。多種多様な人種、宗教、国籍の人々がともに暮らし、互いの文化を理解し尊敬しあう社会こそが僕は健全なものだと思う。
在インドネシア日本国大使館のHPにはラマダン(断食月)期間中の注意喚起が掲載されている。以下に配慮を掲載。

これから一ヶ月、イスラム教徒の気持ちに少しだけ意識を向けて理解を深めたい。ぜひ、みなさんも、身近にイスラム教の人がいてもいなくても。
他者を理解しようとする心が、世界を少し、幸せにするはず。
配慮
○ お互いに相手の宗教に敬意を払うという気持ちが大切です。
○ 周囲のインドネシア人の多くが断食(プアサ)を行いますので、非イスラム教徒も断食中のイスラム教徒の面前での飲食・喫煙を控えるのが礼儀とされています。
目につく形で日中に飲食する場合は、一言断る程度の配慮が必要です。
○ 仕事は平常どおりにするのが義務とされており、必要以上に遠慮することはありません。
○ 病人や妊婦・出産後・生理中の女性、旅行中などは断食を行わなくても構わないとされています。
○ 当地での生活ペースが大きく変わることになりますが、イスラム教徒にとっては通常月とは異なる期間であることに十分留意し、周囲の人、特に部下や使用人、
その他立場の弱い人に不行き届き等があっても、いつも以上に寛容の態度で臨むことが必要です。

6/09/2015

『悲しみに終わりはない。』

涙を流した。

ハフィントンポストに掲載されていた、Facebook最高執行責任者(COO)シェリル・サンドバーグの手記。彼女は『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』が一昨年ベストセラーになり、日本でも知名度が高い。
そんな彼女が最愛の夫を事故で亡くした。そして30日後に、悲しみと憎しみと感謝と愛を綴った言葉をFacebookに載せた。


以下、記事より引用。
「私はこの30日間で30年分、年を取りました。そして、30年分の悲しみを味わい、30年分賢くなったように感じています。」 
「私は未だに救急車を通すために脇に避けてくれなかった全ての車を憎んでいます。救急車を先に通すことより、自らの目的地に1分でも早く到着することを優先した全ての人々を憎んでいます。   
私はいかに全てのことが、はかないのかを学びました。実際に全てのことは、はかないのでしょう。
「私は回復力について学びました。アダム・M・グラントから回復には3つの重要なことがあり、その3つ全てが実行可能だと教えられました。 パーソナライゼーション(個人化) - 自分のせいではないと認識すること。彼は「ごめんなさい」という言葉を使わないよう私に言いました。これは私のせいではないと何度も何度も自分に言い聞かせました。パーマネンス(永続性) - この感情が永久に続くわけではなく、徐々に良くなっていくと覚えておくこと。パーベイシブネス(普及性) - このことが自分の人生全てに影響を及ぼすわけではないと理解すること。他のことに影響しないように分けて考える能力は健全です。」
人の命のはかなさに絶えず気を揉み心痛めるほど、僕たちの生活は暇ではない。
日々の生活、仕事、束の間の楽しみに紛わされながら毎日を懸命に生きている。
それでいいのかな、とも思う。

でも、だから、僕たちは忘れてしまう。
『出逢ったのなら必ず別れがある』
そんな至極当たり前の真理を。
愛する人との死別は、遅かれ早かれ誰にでも訪れ、そしてそこから多くのことを学ぶのだろう。
命について、愛について、身近にある儚く脆く目に見えない、けれど大切なものごとを。

シェリル・サンドバーグの手記を読み終え、顔を上げると、目の前を老夫婦が歩いて行った。
目が、少し潤んだ。