2017年10月29日、4年間付き合っていた彼女にプロポーズし、その後家族の顔合わせ、結婚式場の予約などを済ませていたりしていたらあれよあれよと時間が過ぎ去り、入籍が4月22日。結婚式は来年の予定。
新しく戸籍を作るとか、両親の戸籍を出ることとかを経験し、「籍」という今まではあまり意識しなかったものと直に触れ合って、日本って今でも集団的家族主義の名残があるんだなぁと驚いたり。
戸籍の筆頭者になったのだから頑張らなければ!という変な気負いは今のところない。けれど、大好きな彼女→妻と共に歩み出すための1つの枠組みを社会からもらえたことは素直に嬉しい。未依、これからもよろしく。
プロポーズして結婚することが決まってから、「結婚」に関する本を何冊か読んだ。
結婚準備本、出会い本、別れ本、婚活本、いい女本、お金本…
恋愛から結婚、そして別れ(離婚も、死別もある)に至るまでの過程で、多くの人が多様なストーリーやフィロソフィーを築き上げ、文章化して残している。本だけでなく音楽でも、絵画でも、詩でも、ダンスでも、「結婚」や「愛」は太鼓の昔からある普遍のテーマである。
恋は、愛は、結婚は、それだけ人の心を強く動かすものであるということ。
そしてただひとつの答えがないものでもあるということ。
当たり前のことだけれど、改めて絶対方程式のない恋愛や、ゼロイチの電脳世界からは生まれないであろうこの感情は、すごいと思う。
どの本も面白かったのだけれど、やっぱり恋愛や結婚に際して僕がいちばん好きな本、そして自分の「愛」に関する考え方の根幹となっているものは、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』。
(→Amazon:愛するということ 新訳版)
ゴールデンウィーク中に実家の片付けをしていたら昔読んだ付箋だらけの本が出てきて、改めて読んでみた。こんなに沢山も「愛」という言葉が出て来るにも関わらず、甘くなく、至極現実的であり、それでいて愛を直視してその重要性を説いている。
ロマンティックではない、リアリスティックな愛。僕はそれを本物の愛だとも感じる。
夫婦や家族や親友という長い期間を共にする人達との間において、言語化するのは難しいけれど確かにある「絆」や「信頼」、それがフロムの言う「愛」である。
以下に、沢山の付箋箇所から、特に心に残ったものを抜粋。
もしこの中に響く言葉があったら、是非この本を読んてみてもらいたい。
僕らのような新婚さんにも、出会いを求めている人にも、パートナーのことを愛せなく鳴った人にも。きっと、なにか大きな気付きがあるはずです。読んでみて、愛ってなんだろうね、難しいねと語り合うこと、それだけでもきっと良い時間になるはず。
以下、愛するということ(新訳版)紀伊國屋書店より引用。
愛は技術だろうか。技術だとしたら、知力と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人々の大半は、後者の方を信じているに違いない。(p12)
幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。(P68)
もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。 ところがほとんどの人は、愛を成り立たせるのは対象であって能力ではないと思い込んでいる。それどころか、誰もが、「愛する」人以外は誰も愛さないことが愛の強さの証拠だとさえ信じている。これは、私たちが先に述べたのと同じ誤りである。つまり、愛が活動であり、魂の力であることを理解していないために、正しい対象を見つけさえすれば、後はひとりでにうまくゆくと信じているのだ。 (p76)
幸福な結婚に関する記事を読むと、かならず、結婚の理想は円滑に機能するチームだと書いてある。(中略)同じように、結婚カウンセラーは言う―夫は妻を「理解」し、協力すべきだ。新しいドレスや料理をほめなくてはいけない。いっぽう妻のほうは、夫が疲れて不機嫌で帰宅したときには優しくいたわり、夫が仕事上のトラブルを打ち明けるときには心をこめて聞き、妻の誕生日を忘れても怒ったりせず、理解しようと努めるべきである、と。
(中略)愛と結婚に関するこうした考え方では、堪えがたい孤独感からの避難所を見つけることにいちばんの力点が置かれている。私たちは「愛」のなかに、ついに孤独からの避難所を見つけた、というわけだ。人は世界に対して、2人から成る同盟を結成する。この二倍になった利己主義が、愛や親愛の情だと誤解されている。(p134)
現代人は自分を商品化してしまった。自分の生命力を投資だと感じ、自分の地位や人間市場の状況を考慮しつつ、その投資によって最大限の利益をあげようと必死になっている。(p156)
愛の本質について先に述べたことに従えば、愛を達成するための基本条件は、ナルシシズムの克服である。ナルシシズム傾向のつよい人は、自分の内に存在するものだけを現実として経験する。外界の現象はそれ自体では意味をもたず、自分にとって有益か危険かという観点からのみ経験されるのだ。(p176)
愛の修練にあたって欠かすことのできない姿勢がある。これまでは、それについて暗にほのめかすだけだったが、ここではっきりと論じる琴似私用。というのも、それは実際に人を愛する基盤だからだ。何かというと、それは能動性である。(p190)