11/25/2014

新しく、また懐かしい、銀杏道

東京に住んで25年。

この街の魅力の数%も理解できてはいないけれど、最近は「初めて」訪れる場所ではなく、「再び」訪れる場所が少し増えてきた。
目新しいもの、派手で豪奢なものを求めて行ったら飽き足らないここトーキョーという場所。そんな中で、ふと懐かしさを求めたくなっている自分がいるように思う。ただ単純に学生というライフステージに長くとどまりすぎて、行き詰まっているだけなのかもしれないけれど。


今年も再び訪れた。神宮外苑の銀杏並木。
晩秋になり、メルトンのコートに袖を通し、マフラーを巻き、高く澄み渡った空を眺めると、ふと銀杏の黄色が見たくなる。家の近くの公園にもたくさんの色づいた木々はあるけれど、やっぱりここの並木道が一番きれいだと思う。
空は薄曇り。まだ緑を残した木々もあり、黄色と青の最高のコントラストは見れなかった。それでもたくさんの人が訪れていた。写真を撮ったり、のんびり散歩したり、ベンチに座って和やかに話したりしながら、上を見上げ銀杏を鑑賞していた。


花や木々を見ることは、地味な行為だと思う。
東京には次々とオープンするおしゃれなお店や、楽しいイベントがわんさかとある。新しいものを悪いとは思わないし、僕も流行には敏感でいたいから新しいものは積極的に勉強して吸収していく。けれど、そんな訪れては消えていく儚い物事は持ち合わせていない素敵な価値を、地味な銀杏並木は持っている。与えてくれる。


例えば、懐かしさ。
去年も来たね、昔も来たね…そんなふうに語らいながらこの場所を訪れている人はきっと多い。人生は決して先に先に進むだけが価値あるものではなく、いつかは昔を懐かしむ。そんなときに、変わらずそこにあり、でも少しだけ表情を変えて迎えてくれる草木の表情に、人はきっと安堵を覚える。
例えば、奥深さ。
絵を描いている人。写真を撮っている人。詩を思いつく人。
静かに自分の心の中に思い浮かぶ心象と向きあう時間は、騒々しさからは見つけづらい。自分の好きなスピードで歩き、感情の表層部分ではないところを探る。そんな行為をしている人が、ブラブラと並木道の下を歩く人のなかには多いような気がする。


新しく、また懐かしい、銀杏道。
また来年。