10月1日。
4月から始まる日本の年度の半ば、暦を折り返し始めるこの日。
会社では様々なシステムの改変があったり、人事異動があったりするこの日。
夏の暑さも気づけば和らぎ、カチッと音を立てるように季節の移り変わりを感じるこの日。
学生である僕にとってのこの日は、正式に内定を頂いた(この言い方も少しおかしいのだけれど)日であった。
「今後、様々なキャリアを歩むと思いますが、内定式は一生で一度です。」
内定式の中で、会社の方がスピーチでそうおっしゃった。
そうか、内定式は人生で一度きりなんだ…と、記念日なんかに鈍感な僕はそのときにハッと気がついた。長い長い社会人人生。転職も、休職も、退職もきっとある。それでも、そんな節目の次に訪れるスタートには、こんな初々しさと、その期待に発破をかけるようなセレモニーは、きっともうない。だから、緊張しながら両手で頂いた内定通知書は、ただの一枚の紙であるけれど、すごく意味のあるものなんだと思う。
でも…。今、この内定のときに感じた期待だけを燃料にして残りの人生を走り切るには無理があると、僕は自分の経験と、そして親友の決断から感じていたりもする。
僕は大学に入学したとき(既に6年前になる)に、大学4年間をテニスに捧げるつもりでいた。
本気で楽しくテニスをやっているチームに入って、練習にしっかり参加して、自発的に活動して、今、自分がいる場所でのベストを尽くそうとした。
でも、僕はそのチームを1年も経たずに辞め、テニスから遠ざかっていった。その理由は、大学1年生の夏に初めて訪れた海外での経験。1周間、友達についていってアメリカ・ニューヨークを観光しただけだったけれど、それが僕にとってはその後の大学生活を変えるターニング・ポイントだった。こんな僕の知らない世界があるのか…。
もっと海外を知りたい。留学をしたい。そのためには足りなすぎる語学力を高めるために予備校に通う必要性を感じて、辞める決断をした。
今でも、ふと、辞めたことを後悔したりする。先輩や同期に迷惑をかけたこと、そのまま頑張って続けていたら得られたであろうたくさんの仲間と絆。自分自身に甘くなって、色々なことに面倒くさくなって、逃げてしまった。なんであのとき頑張らなかったんだろうと、自己嫌悪に陥ったりもする。
しかし、今こうやって学生生活を振り返ってみると、あのとき辞める決断をしたからこそ得られた様々なものが僕には残っている。留学での日々、そこで出会った心からの友、価値観の変化、語学力、多様性の大切さ、成長。テニスを諦めるときには得られるとは思ってもいなかったものばかり。でも、これらがなければ今の僕はないと言い切れる。そんなとてもとても大切な僕の構成要素を、僕は諦めたから、決心したから、得ることができた。
親友が、転職・退社を考えている。
昨年の4月、彼は現在働いている第一志望の会社の内定をもらったときに、まっさきに僕に電話をかけてその報告をしてくれた。そんな彼が、ものすごく苦しんでいる。辛い、と。辞めたらどうなるか、周りの人にどう思われるか不安でもある、と。
僕がサークルを辞めたこととは次元が違う悩みであることは承知している。
それでも、僕はこう思う。「やめていいんじゃない?」と。なぜなら、辞める決断をしたその先、きっと5年後とか10年後とかに、その決断をしたがゆえに得られるたくさんの成長と出会いがある。そしてそのことがきっと違った次元でものごとを見る目を養い、人間としての奥深さを与えてくれる。
もちろん、哀しみが伴うことも彼には伝えた。僕がサークルを辞めたことを今でも後悔しているように、「なんであのとき…」と、振り返り悲しむこともある。
人生は不可逆的だ。時間は戻らない。決断は覆せない。
そうであるならば、前を向いて生きていきたい。自らの失敗だったとしても、天を仰ぎたくなるような不運に見舞われたとしても、後悔の念を忘れずに、それを糧にして、とにかく、前へ。
その進む先には考えもしない未来がある。そう信じて。
真の楽観は、気分ではなく、悲観や後悔を土台にした意思によって得られる。
真の楽観は、気分ではなく、悲観や後悔を土台にした意思によって得られる。
僕の内定と親友の転職。
始まりと終わり、期待と失望。
たくさんの気持ちが交差したそんな日に考えた、すごく抽象的なこと。
たくさんの気持ちが交差したそんな日に考えた、すごく抽象的なこと。
こうなっていたかもしれないと、
クヨクヨ思い悩むには、人生は短すぎる
Life is too short, time is too precious, and the stakes are too high to dwell on what might have been.
-Hillary Clinton