1/12/2014

寒い冬の朝に。

「この冬一番の寒さが…」
晩冬のこの季節、お天気お姉さんが連日そう伝える。日本の、東京の寒さ。

アメリカを襲う大寒波ほどではないけれど、確かに寒い。でも、寒いから嬉しいこともたくさんあって、それを楽しめないと、人生損だなぁ…って。そんなことを思う。

「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいる暖かさ」俵万智

朝、家の近くを歩いていたら、御寺の境内に、霜柱がびっしりと立っていた。ザクザクと踏み倒す感触、昔から好きだった。好きなものや楽しみは、歳を重ねるにつれてどんどんと増えていく。

新年会でひっかける日本酒の味、スタバの暖かいコーヒーをお洒落に飲むこと。豪勢なご飯、海外への留学や旅…
そんなこと、小学生の僕はまったく知らなかった。それなのに、あんなに楽しかった、幸せだった、ただザクザクやってるだけで。



人生を考えたときに、これからきっと、今の僕の知らない好きなものが、また、増えていくのだと思う。
企画が通った!オシャレな服買えた!美味しいもの食べた!昇進した!世界が良くなった!

でも、なんとなく思うのは、人生の終りの頃に、また戻ってくる幸せは、霜柱をザクザクと踏み倒していく、そんな類の、幼い楽しみなのではないだろうか。
街をゆくおじいちゃん・おばあちゃんの眼差しを見ていると、ふと幼さを感じたりするのは、そんな理由があるのかもしれない。


ザクザク、ザクザク。
あと何年生きられるだろうか。意味もなく、そんなことを考えることがある。運良く、平均寿命まで生きるのであれば、あと50年ぐらい、か。
50の季節、50の冬、50の霜柱。

人生の有限性をふと感じる。


今朝思い出した詩。
昨年6月、沖縄全戦没者追悼式にて小学校1年生が朗読した「平和の詩」。

「へいわってすてきだね」 
へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびり
あるいてる。
けんかしても
すぐなかなおり。
ちょうめいそうが
たくさんはえ、
よなぐにうまが、
ヒヒーンとなく。
みなとには、
フェリーがとまっていて、うみには、かめや
かじきがおよいでる。
やさしいこころが
にじになる。
へいわっていいね。
へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。
 
せんそうは、
おそろしい。
「ドドーン、ドカーン」
ばくだんが
おちてくるこわいおと。
おなかがすいて、
くるしむこども。
かぞくがしんでしまって
なくひとたち。
ああ、ぼくは、
へいわなときに
うまれてよかったよ。
このへいわが、
ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおが、
ずっとつづいてほしい。
 

へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
これからも、
ずっとへいわが
つづくようにぼくも、
ぼくのできることから
がんばるよ。

1/05/2014

識字率の上昇は哀しみを増加させる?

今朝の日経新聞「日曜に考える」の中で、フランスの歴史人口学社であるエマニュエル・トッド氏の話す2014年の世界展望の話と、出生率と識字率に関する話が興味深かった。トッド氏は世界の潮流変化を、歴史人口学と家族人類学の見地から読み取り、これまでに旧ソ連崩壊や米国衰退を的確に予測してきたという。

「世界は米国の強すぎる軍事力に嫌悪家を抱いていたが、米国という帝国が自ら世界の支配者でないと認めると、米軍のいない世界を心配し、米国が必要だと気づく。これは大いなる逆説だ」
「ドイツの産業がフランスや南欧の産業を壊している。ドイツ人は魅力的だが、彼らの問題は能率が良すぎることだ。(中略)フランスの指導層はドイツの支配を受け入れ、イタリアやスペイン、ギリシャやポルトガルに対する非常に厳しい政策が正当化された。欧州はもはや民主主義ではない」
 「南欧の状況は悪化の一途だ。社会システムや民主主義が崩壊を始め、暴力も起きている。まるで神への犠牲を強いられたように、経済が通貨を守るために回っているようだ」
(2014年1月5日付け日本経済新聞「日曜に考える」より抜粋) 

アメリカが生まれ変わる過程であること、強いドイツによって欧州に影がもたらせれていることを説明するインタビューの中で、興味深い説明文があった。
トッド氏は 「歴史人類学と家族人類学の見地で人口統計の推移や家族構造の違いを分析し、世界の潮流を論じる」ことを得意としている。そして持論の中で「出生率の低下からイスラム圏の近代化」や「民主化が進む」と指摘しているという。



なぜ、「出生率の低下」⇒「近代化and民主化」というロジックになるのかがよくわからなかったので調べてみたところ、トッド氏の理論を説明している人の記事や、また別のインタビュー記事が出てきた。
dacapo-チュニジア、エジプト、リビア アラブ革命が起きたわけ その1
苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説)


イスラム圏の人々が社会的に台頭してきたこの十数年の間、民主主義の先進国はこのように考えてきた。
「自分たち(=キリスト教国家)とは違う思想を持つ国が急速に力をつけてきたが、彼らは民主主義は受け入れない。だから、民主的で平和な世界を彼らと作るのは難しい」
そのようなロジックで 、イスラム諸国の民主化にノーを叩きつけてきた人々が(特に欧米で)多かった、らしい。そのようなロジックに対して、トッド氏が、
「いや、彼らの識字率は飛躍的に伸びている。文字を知る(自ら考える)⇒既存の信仰への疑念⇒出生調整(信仰にとらわれずみずからの生き方を考える)、そんな流れで出生率の低下に伴って民主化が進む」
そのように説明している。
「出生率の低下」⇒「近代化and民主化」の流れの前に、「識字率の上昇」というファクターもあり、それが「信仰心への疑念」にも結びつくということが、興味深い。


日本に暮らしていると、識字率が100%であることが当然のように思える。しかし、世界に目向けてみると決して高い識字率は当然ではない。
wikipediaの「識字」にあるページの識字率別に色分けされた地図を見ると、中東・アフリカでの識字率の低さが一目瞭然となる。
(wikipedia literacy rate world PNG)


トッド氏が語るような、民主化を図るバロメーターとして「識字率」「出生率」(あと「内婚率」)に着目するというのは非常に興味深い。たしかに、民主化度と、それらのバロメーターの間には強い相関が見られそうだけれど、それによって未来の姿が「予言」
できるのかどうかは、僕にはまだ知識不足でわからない。


ただ、僕の経験則でわかることが、情報に接することで、人々の意識の中に芽生えるものは、決して良い物だけではないということ。知識や情報とともに生み出される「妬み」。当然、能力差によって引き起こされる貧困格差。識字率の上昇によってもたらされた民主化によって、人々の経済的、さらに精神的な格差を生み出していることも事実であると思う。


これは、幸福度とも関連がある。数年前に有名になった「世界一有名な国」であるブータンの識字率は、52.3%。ランキングに乗っている183カ国中163位。国民の半分が文字を読めない国が、幸福度が最も高いのだ。「文字が読めないから、思い煩うことが少なく、幸福度が高い」という流れが見えてくる。また、僕がチュニジアで知り合った現地の友人は、ロンドンの大学で語学を学んだこともある敬虔なイスラム教徒であるが、「自らの宗教を信じる気持ちが正しいのか、悩むことがある」と、僕に打ち明けてくれた。ロンドンで様々な書籍を読むうちに芽生えた感情で、日本の仏教に惹かれているとも教えてくれた。


さて…


トッド氏のインタビューを読み終え、一日浅草の街の七福神詣をしてきた。
なぜ、神様が7人もいるのだろうか…彼らの所以は何なのだろう…そんな疑問がふつふつと生まれてきた。今年はしっかりと古典籍や思想本、宗教によってもたらされた文化を紐解いてみようと考えている。今日のブログのタイトルは「識字率の上昇は哀しみを増加させる?」なんていうようなトッド氏のロジックとブータンの例から安直に導き出した仮定を書いてみたけれど、学ぶこと・知ることによる悩みが、人々をより高尚なものにさせることがあると僕は思っている。


今年も1年間、気付きと学び、悩みと成長の多い年となりますように。



「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」 ー ジョン・スチュアート・ミル