大好きな珈琲の傍らで起こった、毎日の小さな出来事。 アメリカはSan Franciscoで1年間生活をし、ヨーロッパを周遊。その後もフラッと気の向くままに。日本では定量的な学問に勤しむ傍らで、感覚的に生きることが大事だと思ってる。 考えたこと、感じたことの備忘録。
9/15/2012
メルハバの数だけ心が軽くなってゆく
日本にいるとき、自分は一日に何回あいさつをしているのだろう。
あいさつは大事だ。
「下くんのおはよーはいつも爽やかだね」と、学校の友達やアルバイト先の人からよく言われていた。気持ちの良いあいさむから始まると、なんだか全てが上手く回る気になる。どんなに体調苦しくても、その1秒間は笑顔で、元気に。
もしも本当に何かに困っているときは、そのときの声の調子や雰囲気で周りの人が察してくれる。だからこそ毎日の「おはよう」「こんにちは」、これらは日々欠かさずに言いたい。
あいさつはなにも知り合いどうしで交わすだけのものではない。朝のランニング途中にすれ違う人と、毎日の通学路で出会う人と、行きつけのお店で偶然となりに座った人と。
アメリカにいる頃は、そういった場面にはたいてい"hello"があった。それが大好きで、日本でも、文化が違うから機会は少ないけれど、僕は見知らぬ人にあいさつをすることが多い。
それでもやはり、日本での一日のあいさつの数はそんなに多くない。ざっと数えて10回から20回ほどだろうか。毎日の行動がルーティーン化して合わせる顔に変化がなくなってくると、さらにこの数は減っていく。
いま、トルコにいて、一日のあいさつ回数ランキングを毎日更新している。
「メルハバ」
このトルコ語でのあいさつを日々50回はしているだろうか。道ですれ違う子供たちと、チャイ屋や定食屋のおっちゃんと、バス停で一緒に待つおばちゃんと。
今このブログを書いている瞬間にも、カフェの前を通り過ぎる人々が目を合わせると「メルハバー」と声をかけてくる。
もちろん僕が、旅行者だからあいさつをかけてくれるのだろう。イスタンブールやカッパドキアという観光地では、挨拶の裏側に商売っ気を感じたりしなくもない。
しかしこのちいさな町でのあいさつには下心を感じない。心にすっと染み込んでいく。
この町で、会社員勤めをやめ、アクセサリーショップで働いている女性と出会った。
その人に、「なぜトルコに滞在することにしたの?」と尋ねたら、
「色々な国を旅行したけれど、トルコでは、なんというか、現地の人と一緒に泳いでいるような一体感があった。その他の国では泳いでいる人々を外から見ている感じ。だからそれがなんだか嬉しくて」と。
その人の言っていることが、僕が交わすあいさつの回数を数えてみてもわかる。
暮らしている人とのちいさな接点であるあいさつが多いということは、それだけ、心の障壁が低いということではないだろうか。
「メルハバ」を現地の人と交わせばかわすほど、自然と笑みがこぼれ、心が軽くなっていく。
小さいけれど大事なこと。あいさつ。それをこの街で再認識した。
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