7/04/2016

"LIFE!", 「人生の真髄」について

映画を見ました。

「LIFE!」(原題:The Secret Life of Walter Mitty)


2014年日本公開の映画、以前に予告編を見て、きっと自分の好きなジャンルの映画だろうなぁ見たいなぁと思い続けていて、やっと見ることができた。そして想像通り、自分自身の心に刺さる映画でした。

「LIFE」は僕もそのロゴに見覚えがあるアメリカの雑誌。1936年から2007年まで刊行され、その表紙に代表される素晴らしい写真を使用し、アメリカの思想・政治・外交を世界に魅力的に伝える「グラフ雑誌」であったという。(出展:Wikipedia-ライフ(雑誌)
2007年に刊行を終了、現在はオンラインに移行している。(→LIFE | TIME

映画はその移行期を描いているようで、体制の変更、社員の首切り、いけ好かない再編担当者を前にして、主人公である冴えないサラリーマン、LIFE社の写真ネガ管理部のWalter Mittyが最終号の表紙となる「25番」のネガとその撮影者であるカメラマンを探すというストーリー。

この映画はコメディタッチになっていて、主人公の妄想が随所にはいってくる。
笑い要素も多いのだけれど、芯に据えられていつのは以下の「LIFE」誌のモットー。
「To see the world,
Things dangerous to come to,
To see behind walls,
To draw closer,
To find each other and to feel.
That is the purpose of life.」 
「世界を見よう
危険でも立ち向かおう
壁の裏側を覗こう
もっと近づこう
もっとお互いを知ろう
そして感じよう
それが人生の目的だから」 
この言葉を、純粋に多くの人に伝えたい、広げたい。撮影者達や原作者はそんな心意気を抱いてこの映画の作成に臨んだように思われる。

旅、写真、冒険、雑誌、ジャーナル、絶景、自然…
一歩を踏み出すことで得られるものの素晴らしさ(あと、少しの痛み、悲しさ、孤独)を知り、それを心に届けてくれる/とどめてくれるツール達を愛してやまない人たちにとって、この映画はきっと心に残るものだと思う。
映画のキーワードであり、最後のオチにもつながっているように僕には思える言葉、"Quintessence of Life", 「人生の真髄」。
何が「人生の真髄」であるかについての素晴らしい模範解答を提示してくれる作品でもある。

是非、見てみてください。

そして旅について、人生について、話しましょう。
To be a man is to be responsible: to be ashamed of miseries you did not cause; to be proud of your comrades' victories; to be aware, when
setting one stone, that you are building a world.
−Antoine de Saint Exupéry

4/01/2016

社会人2年目、三現主義、挑戦する姿勢

社会人生活の1年目が終わり、今日から2年目となりました。


1年間、エンジニアとして必要な知識を学ぶ座学と天然ガス生産の現場・LNG受け入れ基地でのOJTが続いた。お金を生み出すような仕事はほとんど行わなかったけれど、振り返ってみれば、昨年の今頃は知り得なかった様々な知識・経験を積むことができた。

もっと実務に携わりたいなぁと少し腐っていた時期もあったし、これが自分自身の描いていた社会人像なのだろうか?と考えた時期もあった。
けれど、お金をもらいながら学ばせてもらえている環境に感謝して、積極的に学ぶ姿勢を保ち続けようと努力することができたように思う。
残り少しのOJT期間もこの気持を抱き続けていきたい。


先日、5月以降の配属に関する面談があった。
専門はどうするか、勤務地はどこを希望するか、中長期的にどのように仕事に携わりたいか…。事務系であっても技術系であっても、どのような会社であっても、人事面談で聞かれることに大きな違いはないと思う。

面談に臨んで、思い出した言葉が2つある。

1つは、僕の会社の技術系の役員さんが入社後に伝えてくれた言葉、「三現主義」。
「三現主義」とはトヨタやホンダなどのものづくり企業が実践している考え方であり、
  1. 現場
  2. 現物
  3. 現実
の頭文字からとったもの。
机上の空論ではなく、実際に「現場」に赴き、「現物」を確認し、「現実」を認識した上で問題解決を図る
そんな考え方や行動の仕方。

僕は大学院を出て、工学の修士を得ているけれど、圧倒的に経験値が足りない。(さらに言えば「工学」に関する知識も足りない)
学歴があるぶん頭でっかちになって、実際の現場を見もせず机上の空論を振りかざしてばかり。無意味な提案をする。現場に迷惑をかける。
このままOJT研修を終えて、再びスーツを来て、デスクワーク中心の生活に戻ってしまったらいずれそんな嫌な先輩・上司に自分がなってしまうように思えた。
そうなりたくはなかった。

もう1つは、大学院のときに受講した「技術系経営幹部講話」という講義の中での言葉。
この授業は技術系のバックグラウンドを有した経営幹部が、自身のキャリアアップの跡をたどりながら、それぞれのレベルでの目標の立て方や課題への取り組み方などを教授する科目。
様々な大企業の経営幹部の方々の話の中で、印象に残ったある企業の社長の言葉。
「私は、なるべく本社から離れた現場で仕事がしたかったんですよ。ふりかえると、田舎の工場長だった時代が一番楽しかったですね。本社のうるさいルールに縛られずに、色々なことに挑戦できた。失敗しても本社の権力から離れていたから許されたことも多かった。だから若いあなた達にも、工場長を目指してたくさん失敗してほしい(笑)」
ひょうひょうと話すその姿には威圧的な雰囲気はなく、人を引き付ける魅力があった。
そうなりたいと思った。


2つの言葉を思い返しながら、面談で希望を伝えた。
都会の綺麗なオフィスでの業務や、海外出張・勤務に憧れる気持ちもある。
けれど、若いのだからなるべく現場に近い場所で経験値を積みたい。
泥臭く仕事をしてみたい。

「三現主義」と「挑戦・失敗する姿勢」を常に持ち続け、いざ2年目。


3/24/2016

「倫理と科学」

卒業した大学のOB/OGに届くメールに、心に残る随想が寄稿されていた。
本文中に出てくる小貫天先生は、僕の指導教授の恩師でもある。
「倫理と技術」について同様の言葉を先生から飲み会の席で伺ったことがある。

科学技術の進歩を、人を殺める道具の進化を例にして考えてみる。
投石から始まり、弓矢、刀、鉄砲、爆弾、核兵器、化学兵器…より残虐性を増し、より多くの人を殺傷する能力を高めるようになっていく。
これらは科学技術の進歩によるものであり、ほぼ不可逆的なものである。
だれも弓矢や刀という古い技術を、運動エネルギーを用いようとはしない。

しかし、それを扱う人間はどうだろう。
弓矢を用いて争っていた人々と比べて、現代に生きる僕たちは進化しているのだろうか。
一瞬の感情の昂ぶりを抑えるだけの道徳心を、僕たちは涵養してきているのだろうか。
他者を思いやる気持ちを、僕たちは広く共有できているのだろうか。
下のエッセーにあるとおり、僕ら人間の倫理・道徳は科学技術とは異なり蓄積されない。

「あいつムカつくな、やっつけてやろうぜ」
そんな気持ちから振り下ろした腕によって、石が投げられる時代から、ミサイルが飛び交う時代を僕らは暮らしているのだ。

僕らが優先的に行わなければならないのは、テストで良い点数を叩き出す公式を覚えることや大金を稼ぐノウハウを蓄積することではなく、道徳心を磨くことなのではないだろうか。
無慈悲なテロのニュースを見るたびにそんなことを、ふと考える。


以下に、全文を引用させて頂きます。
矢幡明樹様(1964年電気工学科卒)
「倫理と技術」 
 もう随分昔の話になるが、私は大学院時代の恩師(小貫天先生)の最終講義に行って、非常に感銘を受けた話を聴くことができた。その恩師も、「実はこの話は大学時代に高木純一先生から聴いた」と言われていた。私も大学の教壇に立っていたときに学生にしばしばこの話をした。この話の主旨は次のようなものである。 
 「技術は蓄積であり、ある人が発明・発見・開発した技術を基礎として次の人が成果を積み重ねるので、どんどん進歩していく。しかし、倫理とか道徳というものは個人に属すものであって、その人が亡くなれば、その人の倫理観とか道徳観は無くなってしまい、積み重ねができない」 私なりの理解も含めて、もう少し話を展開して見る。 
 人間の行動原理は「本能」、「感情」、「利害」がベースとなり、それに「倫理・道徳」と「社会的制度・慣習」が影響を及ぼしている、と言ってよいのではなかろうか。「倫理・道徳」は「利害」とは無関係に、人を自由意志による社会的行動に導く。「社会的制度・慣習」には、刑罰・報償などの実際的な損得で行動を規制・誘導する「法律」等と、天国・地獄やご利益(りやく)・罰(ばち)などの抽象的な損得で行動を規制・誘導する「宗教」が考えられるが、行動に影響を与える要素としては「利害」の下位の要素としてもよい。 
 さて、「倫理・道徳」は社会において蓄積されて進歩していくものであろうか。教育などによって作られる社会全体の道徳的規範というものはあろう。その規範は時代や民族・文化によって異なったものになるが、現代人が昔の人より道徳的に優れているとは決して言えない。法律を厳しくして、反道徳行為を少なくなったとしても道徳観が進歩した訳ではない。親の生活態度が子供に影響を与えることはあるが、親が道徳的に優れていても子供がそうなるとは限らない。人は育つ環境や教育などの社会の影響を受けて、「倫理観・道徳観」を生まれたときから自分の中に育てていく。 
 一方、技術は過去の成果を基礎として進歩していく。技術の進歩は一方向性で、退歩することはない。公害の原因となるような好ましくない技術もあるが、そういう技術は使われなくなるか、それを克服する新しい技術が出てくるだけで、技術が退歩する訳ではない。 
 問題は、限りなく進歩を続ける「技術」を扱う人間の「倫理・道徳」の進歩は本質的に期待できないことである。つまり、一人の不心得者の「技術」の悪意の使用により、世界が破滅や破綻するような可能性がどんどん増えていくことであり、それを止める手立ては残念ながら見あたらない。理工系人間は社会に対して大きな責任を負っているのである。 
以 上