10/03/2014

僕の内定と友の転職

10月1日。
4月から始まる日本の年度の半ば、暦を折り返し始めるこの日。
会社では様々なシステムの改変があったり、人事異動があったりするこの日。
夏の暑さも気づけば和らぎ、カチッと音を立てるように季節の移り変わりを感じるこの日。
学生である僕にとってのこの日は、正式に内定を頂いた(この言い方も少しおかしいのだけれど)日であった。

「今後、様々なキャリアを歩むと思いますが、内定式は一生で一度です。」
内定式の中で、会社の方がスピーチでそうおっしゃった。
そうか、内定式は人生で一度きりなんだ…と、記念日なんかに鈍感な僕はそのときにハッと気がついた。長い長い社会人人生。転職も、休職も、退職もきっとある。それでも、そんな節目の次に訪れるスタートには、こんな初々しさと、その期待に発破をかけるようなセレモニーは、きっともうない。だから、緊張しながら両手で頂いた内定通知書は、ただの一枚の紙であるけれど、すごく意味のあるものなんだと思う。
でも…。今、この内定のときに感じた期待だけを燃料にして残りの人生を走り切るには無理があると、僕は自分の経験と、そして親友の決断から感じていたりもする。


僕は大学に入学したとき(既に6年前になる)に、大学4年間をテニスに捧げるつもりでいた。
本気で楽しくテニスをやっているチームに入って、練習にしっかり参加して、自発的に活動して、今、自分がいる場所でのベストを尽くそうとした。
でも、僕はそのチームを1年も経たずに辞め、テニスから遠ざかっていった。その理由は、大学1年生の夏に初めて訪れた海外での経験。1周間、友達についていってアメリカ・ニューヨークを観光しただけだったけれど、それが僕にとってはその後の大学生活を変えるターニング・ポイントだった。こんな僕の知らない世界があるのか…。
もっと海外を知りたい。留学をしたい。そのためには足りなすぎる語学力を高めるために予備校に通う必要性を感じて、辞める決断をした。
今でも、ふと、辞めたことを後悔したりする。先輩や同期に迷惑をかけたこと、そのまま頑張って続けていたら得られたであろうたくさんの仲間と絆。自分自身に甘くなって、色々なことに面倒くさくなって、逃げてしまった。なんであのとき頑張らなかったんだろうと、自己嫌悪に陥ったりもする。


しかし、今こうやって学生生活を振り返ってみると、あのとき辞める決断をしたからこそ得られた様々なものが僕には残っている。留学での日々、そこで出会った心からの友、価値観の変化、語学力、多様性の大切さ、成長。テニスを諦めるときには得られるとは思ってもいなかったものばかり。でも、これらがなければ今の僕はないと言い切れる。そんなとてもとても大切な僕の構成要素を、僕は諦めたから、決心したから、得ることができた。


親友が、転職・退社を考えている。
昨年の4月、彼は現在働いている第一志望の会社の内定をもらったときに、まっさきに僕に電話をかけてその報告をしてくれた。そんな彼が、ものすごく苦しんでいる。辛い、と。辞めたらどうなるか、周りの人にどう思われるか不安でもある、と。


僕がサークルを辞めたこととは次元が違う悩みであることは承知している。
それでも、僕はこう思う。「やめていいんじゃない?」と。なぜなら、辞める決断をしたその先、きっと5年後とか10年後とかに、その決断をしたがゆえに得られるたくさんの成長と出会いがある。そしてそのことがきっと違った次元でものごとを見る目を養い、人間としての奥深さを与えてくれる。
もちろん、哀しみが伴うことも彼には伝えた。僕がサークルを辞めたことを今でも後悔しているように、「なんであのとき…」と、振り返り悲しむこともある。


人生は不可逆的だ。時間は戻らない。決断は覆せない。
そうであるならば、前を向いて生きていきたい。自らの失敗だったとしても、天を仰ぎたくなるような不運に見舞われたとしても、後悔の念を忘れずに、それを糧にして、とにかく、前へ。

その進む先には考えもしない未来がある。そう信じて。
真の楽観は、気分ではなく、悲観や後悔を土台にした意思によって得られる。


僕の内定と親友の転職。
始まりと終わり、期待と失望。
たくさんの気持ちが交差したそんな日に考えた、すごく抽象的なこと。

こうなっていたかもしれないと、
クヨクヨ思い悩むには、人生は短すぎる 
Life is too short, time is too precious, and the stakes are too high to dwell on what might have been.  
-Hillary Clinton

9/18/2014

ウロボロスの蛇

世の中は様々な関係性で成り立っている。
個人はみな何かに属し、自分が属する枠はまたさらに大きな仕組みに組み込まれ、それが社会、世界を建設している。そのような幾重にもなる社会の階層間では様々な問題が生じる。その規模、場所、主張を変えながら。

…しかし、そこには常にいつも同じ構造、光景があるように感じる。
少数派に属する者達の、自分たちの声に耳を傾けろという叫び。
より大きな枠を動かす人達の、視野を広げろという訴え。
そんな姿を見る度に、僕は考える。きっとどこかに、「ウロボロスの蛇」の先端・後端があるはずだ、と。無限発散してしまいそうな大きな問題、一度には見きれない小さな問題。それらがうまく結びつき、問題の構造が循環する仕組み。簡単には見つからないのかもしれないが、それを見つけられない叫びや訴えに意味はないと、少し残酷かもしれないけれど僕はそう思ってしまう。


「ウロボロスの蛇」とは自らの尾を飲み込む蛇の図で、循環性や永続性のサインとして使われてきた。
Wikipedia - ウロボロス
僕がこの概念を知ったのは、昨年アメリカの留学中に素粒子宇宙論の講義でのこと。"Layer structure of nature"として、素粒子、原子、生物、地球、太陽系、銀河系…と、人知を超えるほど大きなものを求める宇宙論という学問の先には、実は世界の構成要素である素粒子・クオークなどの最も小さな構造の解明が関係している。ピラミッド型にただ上層下層にわかれる仕組みではない、循環的な学問の深みとロマンを知った。


さて、僕がフィールドワークで訪れた沖縄、さらにその前に訪れた沖縄の離島である先島(八重山)諸島で知った数々の社会的問題。そこで僕は様々な問題の階層構造、枠と個の矛盾関係を見た。

沖縄県という枠に含まれる先島諸島はかつて、沖縄本島の琉球王国の支配下となり、人頭税など多くの負担を強いられていた。先の大戦では本島が被った「鉄の暴風」のような地上戦を経験せず、牧歌的で美しい自然が残された。
「本島の人はお金しか考えてないんじゃないか」
「もっと、離島のことも考えて欲しい」  
親しくなった石垣島の店主は僕のそう言った。


沖縄本島に住む人はまた違う意見を持つ。上の文脈の枠を日本に、個を沖縄に置き換えてみる。
「内地の人は、もっと沖縄に目を向けるべきだ。」
「日本政府は、沖縄を植民地のようにしか思っていなんじゃないか。」

世界と日本という規模でも同じ構造がある。枠を世界や米国に、個を日本にした様々な議論。
「日本をもっと世界に発信しなければ。」
「日本はアメリカの植民地ではない、押し付けられた憲法を改正しなければ。」

この議論を続けていたら、そのうち、宇宙を見ろ!とか、銀河的に考えて…とか、とにかく大きな枠の中でしかものごとが考えられなってしまう。ピラミッドの頂点から下を眺めることこそが正しいかのような、社会観。階層観。意外とたくさんの人がこの考え方に陥っているように思う。


ウロボロスの蛇のような、循環的な社会観を見つけたい。身につけたい。
小さな個を枠に埋もれさせるのではなく、その個を守ることが枠を守り、形作り、より大きな構造を支える。そんな仕組みを見つけたい。
例えば、僕が沖縄で学んだことの1つに、TPPとさとうきび畑の関係性がある。世界との競争力を高めるためにと議論が進むTPPだが、そこで砂糖の関税が撤廃されれば沖縄の離島のさとうきび畑農家は食べていけない。台風の常襲地帯では他の作物は作れない。農家がさとうきび畑作りを諦め、島を出ていき、無人となれば尖閣諸島のように領土問題の危険が高まる。
「さとうきびが島を守り、島が国土を守る」
そんな言葉が、沖縄のある離島には掲げられているという。
小さな島の小さなサトウキビ畑が、大きな大きな日本と世界のTPPにも関係しているという循環構造の一例である。


大学に入り、留学・バックパック世界旅行と、大きな世界や仕組みを体験し続けてきた。
そのせいか、なまじ日本と世界という狭い階層間だけでものごとを考えてしまい、それが自分やこの国の最重要課題であるかのように錯覚していた(している)。これからはもう少し、日本の中の個を見つめ、そこにある様々な問題に耳を傾けてみようと思う。それはピラミッドの礎を固めるような地味で小さく退屈な行動ではなく、そこで見つけた様々な課題、矛盾、叫びは必ず大きなものとつながる大切な行動である。

マイノリティの声に耳を傾け、彼らの存在と世界の建設を結びつける。
ジャーナリストの使命の1つでもあるこの考え方を、これからも、ずっと、持ち続けていたい。

9/11/2014

文化のある場所

文化はどこか特別な位置にあるのではなく、日常生活のごく近辺にありうるものだということを、2週間の沖縄滞在で感じた。
美術館や博物館の展示品、歴史ある建物、ランドマークなどの「モノ」のなかにではない。時間の流れ方、笑顔の作り方、自然との接し方、そして人々の心の中にある寂しさ…そんな写真では切り取れない場所にこそ本物の文化はある。沖縄で体験したことを中心に、文化について感じ考えたことを書こうと思う。


沖縄・石垣島を訪れた初日、その夜に僕はこんなことを思った。
「ほとんど見るもの全て見てしまったな…残りの日数どうしよう」
僕は無意識に、沖縄で「見るモノ」を探していた。それは沖縄の前に訪ねていたイタリアでの経験を引きずっていたのかもしれない。町の至るところにある美術館に集められた数々の名画、宝物。何百年も堅牢に立ち続ける協会、家々。綺麗にアーカイブされ、初めての訪問者にもわかりやすい視覚的に理解できる文化。たくさんの写真を撮って、それが文化を経験した「証」として残っていった。
そんな文化の「証」が、沖縄の島々では見つからなかったのだ。あるものは、海、空、山、さとうきび畑に、来襲する台風に耐え続けてきた味気ないコンクリートの家々…。どこにでもありそうな絵が多かったのだ。


見るものがないな…と思った翌日から、僕はたくさんの新たな文化に出会った。それは写真に収められるものではない、人々との接点から見いだすことができた文化。台風などの自然災害と共に生きてきた人が語る「自然には敵わない」という言葉、観光で訪れただけの見知らぬ人である僕に対する島の人々の優しさ、世俗的ではないお金や地位なんかをまったく気にかけない雰囲気、前のブログ(⇒失われるものを唄うこと)で書いた最上級の自然そのもの…そういった日常生活の近辺にあるものだった。
優しさ、時間の流れ方、自然の雄大さと残酷さは、写真には収められない。モノとして触ったりすることもできない。無形の文化。文化とは本来、権力者が一箇所にまとめて愛でたりすることができるものではない。「物」とか「ある」という前提にたって文化を論じてしまうと、沖縄の文化、ひいては日本の文化を理解することはできないように感じる。


琉球朝日放送の記者の方とお会いして、お酒を飲みながら沖縄で体験した面白いエピソードを伺った。(その方は沖縄出身ではなく、千葉県出身)
会社の近くの定食屋を連日訪問して、同じメニューを食していたら、前の日と味が違うことに気がついた。「昨日とは少し味が違うように思うんですが…」そう店主に尋ねたら、こう怒鳴られたという。
「当たり前だろ!!俺は人間なんだ、毎日おんなじ味に料理が作れるかぁ!!」
八重山日報というローカル紙でインターンをしていたときに、朝刊の配達時刻が(2010年当時は。今はわからないとのこと)9時ぐらいで、「配達時間、遅すぎませんか?」と上司に尋ねたときに、言われた言葉。
「どこの誰が朝早くから新聞の細かい字なんて読みたがるんだ。昼すぎののんびりした時間に読むもんだ、離島の新聞は。」

この2つのエピソードからもわかる。「ヒト」主体で沖縄の文化が動いているということ。東京に住み暮らし、知らず知らずの間に西欧的な物質主義であったり、多様な人々の中でひどく簡単に価値を見いだせる「カネ」に重きを置く生き方をしてしまっていたことに、ふと気がついた。場所、モノ、カネ…それらは全て泉から湧き出る水のような栄枯盛衰する表層的なものであり、その源泉となりうるものは「自然」とその中で暮らす「ヒト」でしかない。あまりに日本的かもしれないけれど、文化とは、建設的に積み重ねられていくものではなく、輪廻のごとく移り変わり、惑い、時に滅びて忘れ去られていくまさにその様子であるのかもしれない。


時間、唄、空気、ヒトの生き方…
沖縄。築いては滅びていくことが当然となり、あまりに人間的・自然的な無形の文化が残る場所。また、ただ感じるままに訪れたい。そんな場所、旅だった。