9/11/2014

文化のある場所

文化はどこか特別な位置にあるのではなく、日常生活のごく近辺にありうるものだということを、2週間の沖縄滞在で感じた。
美術館や博物館の展示品、歴史ある建物、ランドマークなどの「モノ」のなかにではない。時間の流れ方、笑顔の作り方、自然との接し方、そして人々の心の中にある寂しさ…そんな写真では切り取れない場所にこそ本物の文化はある。沖縄で体験したことを中心に、文化について感じ考えたことを書こうと思う。


沖縄・石垣島を訪れた初日、その夜に僕はこんなことを思った。
「ほとんど見るもの全て見てしまったな…残りの日数どうしよう」
僕は無意識に、沖縄で「見るモノ」を探していた。それは沖縄の前に訪ねていたイタリアでの経験を引きずっていたのかもしれない。町の至るところにある美術館に集められた数々の名画、宝物。何百年も堅牢に立ち続ける協会、家々。綺麗にアーカイブされ、初めての訪問者にもわかりやすい視覚的に理解できる文化。たくさんの写真を撮って、それが文化を経験した「証」として残っていった。
そんな文化の「証」が、沖縄の島々では見つからなかったのだ。あるものは、海、空、山、さとうきび畑に、来襲する台風に耐え続けてきた味気ないコンクリートの家々…。どこにでもありそうな絵が多かったのだ。


見るものがないな…と思った翌日から、僕はたくさんの新たな文化に出会った。それは写真に収められるものではない、人々との接点から見いだすことができた文化。台風などの自然災害と共に生きてきた人が語る「自然には敵わない」という言葉、観光で訪れただけの見知らぬ人である僕に対する島の人々の優しさ、世俗的ではないお金や地位なんかをまったく気にかけない雰囲気、前のブログ(⇒失われるものを唄うこと)で書いた最上級の自然そのもの…そういった日常生活の近辺にあるものだった。
優しさ、時間の流れ方、自然の雄大さと残酷さは、写真には収められない。モノとして触ったりすることもできない。無形の文化。文化とは本来、権力者が一箇所にまとめて愛でたりすることができるものではない。「物」とか「ある」という前提にたって文化を論じてしまうと、沖縄の文化、ひいては日本の文化を理解することはできないように感じる。


琉球朝日放送の記者の方とお会いして、お酒を飲みながら沖縄で体験した面白いエピソードを伺った。(その方は沖縄出身ではなく、千葉県出身)
会社の近くの定食屋を連日訪問して、同じメニューを食していたら、前の日と味が違うことに気がついた。「昨日とは少し味が違うように思うんですが…」そう店主に尋ねたら、こう怒鳴られたという。
「当たり前だろ!!俺は人間なんだ、毎日おんなじ味に料理が作れるかぁ!!」
八重山日報というローカル紙でインターンをしていたときに、朝刊の配達時刻が(2010年当時は。今はわからないとのこと)9時ぐらいで、「配達時間、遅すぎませんか?」と上司に尋ねたときに、言われた言葉。
「どこの誰が朝早くから新聞の細かい字なんて読みたがるんだ。昼すぎののんびりした時間に読むもんだ、離島の新聞は。」

この2つのエピソードからもわかる。「ヒト」主体で沖縄の文化が動いているということ。東京に住み暮らし、知らず知らずの間に西欧的な物質主義であったり、多様な人々の中でひどく簡単に価値を見いだせる「カネ」に重きを置く生き方をしてしまっていたことに、ふと気がついた。場所、モノ、カネ…それらは全て泉から湧き出る水のような栄枯盛衰する表層的なものであり、その源泉となりうるものは「自然」とその中で暮らす「ヒト」でしかない。あまりに日本的かもしれないけれど、文化とは、建設的に積み重ねられていくものではなく、輪廻のごとく移り変わり、惑い、時に滅びて忘れ去られていくまさにその様子であるのかもしれない。


時間、唄、空気、ヒトの生き方…
沖縄。築いては滅びていくことが当然となり、あまりに人間的・自然的な無形の文化が残る場所。また、ただ感じるままに訪れたい。そんな場所、旅だった。






9/01/2014

失われるものを唄うこと

「自然を大切にしよう」
沖縄出身のアーティストは、そんなメッセージを含む唄を多くつくり伝える。
「緑を増やして豊かな暮らしを…」似たような言葉は大都市に生まれ暮らす人も訴えるけれど、それはただのないものねだり。
ないものを欲しがる人の気持ちと、あるものが失われていく悲しさは、表現は似ていてもその実は大きく異なる。

悲しみは喜びよりも深く、強く、心に刻まれる。失うものが豊かで、美しく、そしてもう帰らないものだと知るほどに残る傷跡は、辛い。失恋ソングは巷に溢れているけれど、恋愛成就はあまり歌われない。恋と自然の源流は似ていて、安心感や豊かさを与えてくれるけれど、大切さは失うときまで気がつかなかったりする。沖縄の人々は失われゆくものの大切さを敏感に感じ、そうはさせまいと、行動する。唄う。


これ以上はないという、最上の自然を沖縄・西表島で見た。
ツアーには参加せず、島の人が勧めてくれた海に潜り、トレッキングを歩き、昼と夜の空を眺めた。海も、空も、山も、今まで僕が出会った自然の中でも最も雄大な姿を見せてくれたように思う。







宿で出会った素敵な人達に誘われて、滞在を延ばし、浜辺での音楽祭に参加した。
野外に組まれたステージからの音楽は、ときに愉快で、ときに悲しい。



「子供達に残そう、豊かな自然を」
決して優れた音響セット組まれているわけではなかった。
それなのに、言葉と音楽は、三線の調べにのり、強く響きわたる。
海と、山と、空に囲まれたステージ。自然が音を運んでいた。





8/31/2014

自衛隊が守る"国民"と"沖縄の人”について

先週末、金曜日の夜10:00のこと。
研究室で後輩との勉強会を終え、暑中見舞いで届いたビールを飲んでいた(そんな、いつも飲んでいるわけではありません)ときのこと。携帯電話が鳴った。
「明日の早朝、富士山の麓に自衛隊の総合火力演習見に行くんだけど、一緒に行かない?かなり貴重なチケットを、親父からもらったんだよね。」
地元の友達からの誘いだった。 特に予定もなかった僕は、どのような催しかを確認することなく、ふたつ返事で「行く!」と伝えた。


翌朝、4時。友達の車に揺られながら、総合火力演習がどのようなものかを友達から聞き、インターネットで調べてみた。年に一度、陸上自衛隊が開催する催しで、実弾を用いた国内最大の火力演習であるという。(⇒陸上自衛隊:富士総合火力演習 - 防衛省
一般に開放されるのだが、その入場チケットの倍率は24倍。友達が手に入れたチケットは、土曜日に行われる関係者向けの演習であるらしく、会場には自衛隊学校の生徒が半数を占めていた。




これが、本当に、物凄かった。実弾を撃つ戦車が目の前数百メートルの場所で演習を行う。砲弾を撃つときには、思わず見が縮むほどの爆音と衝撃波を全身に感じる。テレビでしか見たことがなかった「武力」が、目の前にあった。演習の後半(専門用語なのか、後段と呼ばれる)では、戦闘様相を展示し、「島しょ部に対する攻撃の対応」という名目でヘリからの攻撃や戦車が一斉に展開する様子が披露された。



僕は、圧倒され、様々な現実を目の当たりにした。
まず、日本がこんな「武力」を持っていたという実感。自衛隊で働く人々は、万が一の事態や戦闘を想定して訓練し、それに必要な武力を備えている。パンフレットにも、自衛隊の活動意義にも、「国民の生命と財産を守るため」、日々訓練を重ねているとある。これ事態は僕はとても大切なことであり、正しいことであると僕は思う。

しかし、ここで自衛隊や各国の軍隊が守る「国民」というものに、僕は違和感を感じたりもする。一体、「国民」とは誰なのか。自衛隊がその存在の拠り所とする国民というものは、高度に抽象化された国民であって、僕や、あなたや、例えば沖縄の人々という具体的な国民ではないじゃないか…という違和感。それを、後に引用する司馬遼太郎の本を読んで気がついた。平均的な人間というものが存在しないように、人を具体的に、個人的に見るとみなそれぞれ特徴があり、優れたところと劣ったところがあり、それぞれの人格や主張を為す。平均な人や意見というものはありえない。

でも、たくさんの人が共同で生活をする際には、皆がなんとなく納得する統計的に平均された「人間」、抽象的な国民をペルソナとして考え、それらを守るための理論で物事がすすめられる。決められる。多数決の原理。民主主義が抱える「数派の専制」という問題が発生しうる。

今、僕は沖縄にいて、そして沖縄の問題を考えるときに直面するのは、この"国民のため"という抽象化された必要に対して、沖縄という具体的な人々が犠牲になってしまっている矛盾である。日本の米軍使用基地の74%が沖縄に集中している。人口1500人の与那国島には新たに300人規模の自衛隊基地が設置される。基地移設問題で、辺野古の海が埋め立てられる…。これらはすべて、沖縄の人々のためというよりかは、”国民のため”の処置である。

さらに、矛盾を強調させてしまうのが、沖縄と日本の関係性。歴史を紐解けば、沖縄が”日本”になったのはとても新しい出来事であり、だからこそいまだに土地の人が使う言葉の中には内地という本土の表し方が残っていたりする。そして、第二次世界大戦末期の沖縄戦において、"国民" のために"沖縄の人"が実際に25万人も犠牲になった。日本で唯一、"日本からの独立論"がずーっと存在する土地。存在してしまう土地。それが、沖縄なのである。



いろいろ書いたけれど、この問題を土地の人と話してみても、「難しい問題」という言葉で締めくくられる。どれだけ掘り下げても、明確な答えがない。けれど、自分自身が生まれ住む土地にある問題を、一国民として僕は感じ、考え、自分なりの答えを見つけてみたいと思う。
司馬遼太郎の「 街道をゆく 6 沖縄・先島への道 」の中の印象的だった言葉を引いて終える。
軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか。