1/09/2013

ジャイアンは、なぜ歌を歌うのか。

「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」
そんなジャイアニズムを発揮して、自己中で、暴れん坊で、いじめっこな姿を多く描かれるジャイアン。そんな彼の将来の夢は「紅白歌合戦に出場する」こと。音痴でどうしようもないけれど、公園でリサイタルを開いてしまうぐらいジャイアンは歌が、音楽が、大好きで大好きでたまらない。
なぜ、ジャイアンは歌が好きなんだろう…そんな、意味のない質問のこたえを、今日の新聞の中に見つけた。


1月8日付け朝日新聞のオピニオン欄『音楽にできること』の中より引用。
シカゴ交響楽団音楽監督、現在ミラノ・スカラ座音楽監督を努めるダニエル・バレンボイム氏は、今の世界に足りないものの本質を音楽の中に見出し、それを信じ、メッセージを伝える。

「音楽のチカラはふたつある。嫌なことを忘れさせる力、そして世界を理解させる力だ」
「(日中の対立について)音楽が何かを達成できるのは、演奏する人と聞く人がひとつの場所に居合わせている時のみです。日中がそれぞれ何を主張しようと、音楽家と聴衆を出会わせる場所を、まずつくらねばなりません。同じ場所に人々が集い、そこに音楽が生まれるなら、すこしなりとも良き道へ進むことができると私は信じます。」 
「(パレスチナのガザ地区でのイスラエルとの対立に関して)敵対する地域に生まれた私たちの、いったい何が違うのか。違いを知ること。ノーということ。そこからすべてが始まるのだと私たちは信じた。相手がなぜ自分と同じ権利を主張するのかに関心を持ち、話を聞く態度を持つことがすべての一歩であり、その一歩を築く力になれるのが音楽なのだ、と」 
「音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる。好奇心を持つということは、他者の言葉を聞く耳を持つということ。相手の話を聞く姿勢を失っているのが今日のあらゆる政治的な対立の要因です。」 
「真にグローバルな世界とは、あらゆる人が他者の文化に関心を持っている世界のこと。人間の感情で最も大切なものは好奇心であり、好奇心こそが立場の異なる人との出会いのきっかけになるのです。」 
「私は、音楽を聴きたい人々が、理不尽な圧力で聴けなくなる状況を認めたくないのです。(中略)『敵』とみなしている者同士を、まずは『人間』として向き合わせる。そのための素朴な試みに、音楽の可能性を賭けたいのです」

このインタビューの後に、音楽評論家である山田真一さんは「エル・システマ」を引用して以下のように語る。
「南米でエル・システマが向き合った課題は、貧困や犯罪でした。では日本で、それにあたる課題は何か。いじめだ、と私は思います。
オーケストラ活動の中で、まさに子どもたちの人間関係に分け入っていけないでしょうか。なにかしたくて、うずうずしているエネルギーを音楽に持っていってあげられないでしょうか。いじめのボスが、もしかしたら音楽リーダーになれるかもしれないと思うんです。」 
「音楽は人間を変え、社会を変える可能性を持っている。そんな力があるということを、特に公的な立場の方に理解してほしいですね」

山田さんの語る、うずうずしたエネルギーを持て余したいじめのボスという言葉を聞いて、僕にはオレンジ色の服を着たイガ栗坊主の姿が頭に浮かんだ。
いじめっ子の鏡であるジャイアン。漫画版やアニメ版では優しさの押し売りやみんなを怖がらせる悪者キャラであることが多い彼であるけれど、映画版の中では、真っ先に仲間のために命を投げ出す友達思いの面を強く発揮する。
最初に書いたジャイアニズムな言葉の印象が強いけれど、ドラえもんが好きな人は彼の泣きながら発するこんな言葉も記憶に残っているのではないだろうか。
「心の友よ!」
この言葉と涙の中に、僕はジャイアンの孤独と優しさを感じて共感する。
ジャイアンが歌を歌う理由は、実は歌を歌うことで自分自身の有り余るエネルギーを発散したいのかもしれないし、寂しさを和らげたいのかもしれないし、実は自分が歌うことで社会が、世界が、人間が変わることを信じているのかもしれない。そんなことを思った。
もしもドラえもんキャラクター人気投票があったら、迷わず、剛田武に一票。


僕は音楽はなにもできない。楽器だって引けないし、歌だって下手だし、アマとプロの演奏の違いなんかもよくわからないと思う。でも、音楽が好きだし、できたらいいなぁって憧れているし、やっている人を素敵だと思っている。みんながみんなそんな意識を持って音楽をやっているとは思わないけれど、バレンボイム氏の語るような敵対するもの同士が耳を傾けさせるきっかけを与えたり、エル・システマの成功例のように悲しいエネルギーを喜びのエネルギーに変換する可能性を秘めていたりする音楽は、僕はとても崇高なものであると思う。


音楽に限らない。恋愛も、ビジネスも、趣味も、仕事も、みんなそれに没頭している人はみんな素晴らしいと僕は思う。なぜなら、みんなただ単純に信じてそれをやっているだけではなくて、その中に、色々な不安を抱えているけどそれらをみんな飲み込んで頑張ってるから素敵なんだ。


Youtubeやニコニコ動画、vimeoなんかで世間一般ではそんなに知られていないけれど、なんだか楽しそうに音楽をやっている人を見つけたり、すごく綺麗な音楽を奏でている人をみつけたりするとなんだか嬉しくなる。
きっとジャイアンがこのインターネット時代に生まれていたら、皆を無理やり公園に連れて行ったりするのではなくて、自分の歌う動画をウェブ上で共有したりしていたのかな。音痴なことはしかたがないけど、それだったら僕は彼の歌をちょっと聞いてみたい。そう思っている。





1/03/2013

「人間は考える葦である」

カンボジア、シェムリアップ郊外。世界遺跡に登録されるアンコールワット遺跡群から車で1時間ほどいったBeng Mealeaにて。
現在も修復が施されないまま森の中にひっそりと眠る巨大寺院。今から約800年前に創建されたとみられているが定かではないらしい。かつての巨大寺院も、年月の経過とともに崩壊が進んで深い森に包み込まれ遺跡となった。
苔むした屋根。崩れ落ちた回廊。南国の鳥の鳴き声。不自然なまでに綺麗に残る彫刻。
人造物と自然が入り混じり、静かに眠る。














弟と一緒に、「なんだか天空の城ラピュタにいるみたいだね」なんて話をしながら、ガイドさんの案内に従って1時間ほど内外を見て回った。飛行石やロボットが崩れた壁の影、木の根の中から見つかりそう。本当にそう思わせてしまうような地であった。
廃れてしまった古の文明の存在を、5感で感じた。


旅行の最中に読んだ本、「武器としての決断思考」(瀧本哲史著、世界社新書)の中で、著者が一つの話を引用していた。17世紀のフランスの思想家・哲学者であるブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」という有名な言葉。

「人間は自然の中で最弱の一本の葦にすぎない。
しかしそれは、考える葦である。
これを押し潰すのに、自然は何の武器もいらない。風のひと吹き、水のひとしずくで、簡単に潰すことができる。しかし、自然がこれを押し潰すとき、人間は、自然よりも高貴であろう。
なぜなら、人間は、自分が死ぬこと、そして自然の力が人間の力に優っていることをよく知っているからだ。自然はそのことを何も知らない。
だから、私たち人間の貴さは、「思考」のなかにこそある。
私たちが拠って立つべき基盤は思考にあって、私たちが満たしきることのできない空間や時間にあるのではない。
だから、私たちはよく考えるように努力しなければならない。そこに、道徳の本質があるのだから。」

自然の力に、人間は敵わない。
800年前の文明が築き上げた荘厳な建造物が苔むし木の蔓に侵食された様をみて、そんなことを強く感じた。しかし、パスカルが語るように、僕らがその自然と比べて高貴でいられるのは「考える」ことができるからだと言う。



2013年、今年の僕の目標は「考える」ことにした。
今までの僕は、考えたふりをして実は考えていなかったり、忙しさを言い訳にして考えるという行動から避けてきていた。そんなことを痛感した2012年だった。アルバイトを辞めて、比較的時間に余裕のある研究室に所属して、学ぶことに注力しようとしも今までの僕の「考えることから逃げ出すクセ」は簡単には抜け切らない。


でも、徐々に考えることが上手になってきているかな、と感じることもある。それは先ず僕が何も考えてなかったんだということに気がつけたこと。そして、このブログを通じて何らかの情報をアウトプットすることができていること。言葉を発することは自らの稚拙さを披露することにもなるけれど、同時にそれを指摘してくれる人との話し合い=思考の摺り寄せによって、僕の考えるという行動を鍛える手段にもなる。寡黙なバカより、おしゃべりなバカでいたい。
さらに幸運であるのが、僕の苦手な論理的思考に強い友達、先生、後輩、同期に囲まれた環境で学べているということ。例えば僕の苦手なプログラミングも、研究も、考えるというスキルを養うのに最適な場所にあると思う。



急速に変化する時代に僕たちは生きている。考えすぎたがゆえに行動できない、時代の変化に適応できないとなってしまっては意味が無い。そうであるならば、感じる、考える、学ぶ、行動する、それらを自律的に組み合わせて苦しみもがき、楽しみ騒いでいきたい。


100年後に今僕達が生きている時代を振り返れば、それはおそらくITの時代と形容されるだろう。今後、アナログとデジタル、アトムとビット、ヒューマンとマシーンの境はどんどんなくなっていく。
IT文明。機械文明。電脳世界。歴史は繰り返すというけれど、僕らの文明もいつかはジャングルの中で静かに苔むし、次の世代が観光で訪れるような土地となるのだろうか。天空の城のように、その当時の世代は持たない革新的な技術を抱え彷徨う秘境となるのだろうか。


そんな意味のないSFチックなことを考えること。それも、きっと、自然より人間が高貴でいられる大事な「思考」のひとつかもしれない。

1/01/2013

東南アジアで迎えた新年

2013年、あけましておめでとうございます。


新年を、タイのバンコクで迎えた。初めての海外家族旅行でタイはバンコクと、カンボジアはシェムリアップ(アンコールワット)へ。カンボジアではツアーで連れ回されて毎日忙しく、バンコクに戻ってきてやっとのんびり。母と弟は体調崩してホテルで療養中。
一人旅が板についてきてしまったので、家族との旅行やツアーでの行動というのは、正直、行動に制限がかかってしまって辛いものがある。貧困を目の当たりにしても、目線を下げることも立ち止まる事もできず、ただただ冷房の効いたバスで通り過ぎていく。自ら考えて行く場所を決めたわけでもなく、受動的な行動が続く。その結果、ガイドさんの言葉もあまり頭に入らずぼーっと過ごしてしまうこともあった。


僕は若干アメリカナイズされ英語ぶっているけれど、僕の家族はまったくインターナショナルではない。家族は英語では意思疎通できないし(母さんはおばちゃん根性でなんとなく現地の人と話してるけど)、海外旅行だってほとんど行ったことがない。父さんの仕事は日本オンリー。母さんと弟は海外滞在経験ゼロ。僕自身、初めての海外経験は大学1年生の夏である。その時の英語力は下の上ぐらい。今でも中の上ぐらい。
そんな下山家でも、ツアーや観光というかたちであるけれど、新年を海外で過ごすようになったというのは、我が家がお金持ちになったとか家族が海外志向になったというわけではないと思う。その反対で、世界や海外が近くなったということ。


日本人が中から外に意識を向ける力よりも、早く、強く、アジアや世界は変化していく。アジアという僕らにとっての”外”と感じるものが日本を融合していく力、あるいは日本を仲間はずれにする力は僕らが思い憂いるよりはるかに大きいのかもしれない。日本とアジアではなくて、アジアの中での日本。日本なしのアジア。事実、ここタイの首都バンコクの中心部を歩いていると、街を行き交う人々の肌の色は現地・隣国東南アジアの人びとの少し褐色の肌、駐在かホリデーで訪れている白色の肌、もともと華僑が多いために数多く感じる肌色、サリーや民族衣装ですぐにわかるインド人の濃い褐色の肌…日本の中心部で見るよりもっとカラフルな肌の色とたくさん出会う。東南アジアの先鋒であるタイは、アメリカ大統領がアジアを外交の中心地と選び初の外交で訪れたことが証明するように、今後の世界で大きな役割を担っていく。そんな様子を強く感じ取った。
今朝のホテルでもらった英字新聞”International Herald Tribune”の国際面での地域写真で見た日本は、アジアの中でもとても小さく、端っこにポツンと存在するなんだか弱々しい島国に見えた。


日本は島国だから、海外を遠く感じる。言語も違うし、なんだかうまくやっていけそうにない。そんな意識を僕も海外経験を積み重ねる前までは抱いていた。でも、今はそうは思わない。
昨日の夜から今日、2012年から2013年に変わっていった。この西暦が変化するというのは世界中どこにいても普遍のことであり、なんとなくめでたいもの。ホテルのエレベーターで乗り合わせた高貴な雰囲気の白人老夫婦と、朝食のバイキングで美味しいスクランブルエッグを作ってくれたタイ人の従業員と、市内のスタバでコーヒーを渡してくれた人に、初対面であるけれど挨拶をする。
”Hello, thank you, Happy New Year!”
すると、ものすごく大きな笑顔であいさつを返してくれる。
”Happy New Year!"


肌の色や、思想や、持っているお金の量が異なっていても、共有できるものはたくさんある。安くて美味いものを食ったときの幸福感、美しい風景に出会ったときの感動、小さく弱気ものを守ってあげたいと涙流せる感受性、誰かに負けたくないな悔しいな頑張ろうという努力やヤル気、誰かと心通じた時に自然とこぼれる笑顔。そういったものを大切にしていけば、日本とか世界とかそういった垣根は僕らが思っているよりも小さくなると僕は思う。日本のみを見ず、世界だけを見ず、一人の人間としてしっかりと地に足を着けて、シンプルに丁寧に日々を過ごしていきたい。

Think globally, act locally, and live simply.
Today is the first day of the rest of your life.
I'm a part of all that I have met.

2013年、夢もなく、将来の目標も定まっていないブレブレの人生だけれど、良い年となりますように。進化する東南アジアで新年を迎えられたことに感謝。僕自身もこの国の成長スピードに負けないように一歩一歩、成長のできる年となりますように。
今年もみなさま、よろしくお願い致します。