10/20/2012

『小さな恋のメロディ』

映画を見ました。
『小さな恋のメロディ』(原題"Melody", "S.W.A.L.K")



1971年のイギリス映画。実に40年以上前の映画だけれど、素晴らしかった。当然話される英国訛りの英語や、主人公の子供たちが通う学校のギンガムチェックとブレザーの制服、階級社会、ティーカルチャー、宗教のクラス、ダンスパーティー…古き良き時代のロンドンがそこにはあり、当時の人の姿や生き方が上手くまとまっている。
最近は活字にどっぷりつかっており、想像力かきたて考えさせる活字文化の方が映像よりも素晴らしいなぁなんて考えていたのだけれど、映像でしか伝えられないことや雰囲気もあると再認識。もうちょっと、もっと、映画見たいな。

この映画のあらすじを、wikipediaより引用。

舞台はイギリス。伝統的な価値観を受け継ぐパブリック・スクールで、ささやかな対立がはじまっていた。厳格な教えを説く教師たちや子供に干渉する親たちと、それらに従うことなくそれぞれの目的や楽しみを見つけようとする子供たち。
どちらかと言えば気の弱い11歳のダニエルもそんな生徒の一人だったが、同じ学校に通うメロディという少女と出会う。二人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、はじめて心を許す相手を見つけたと感じた。純粋ゆえに恐れを知らない恋の激しさはやがて騒動を巻き起こし、旧弊な大人を狼狽させる。
事情を聴くこともなく押さえつけようとする大人たちに対し、二人は一つの望みを口にする。それは「結婚したい」という驚くべきものだった。「どうして結婚できないのか」と問うが当然親も教師もとりあわない。ある日、教師が授業を始めようとすると教室はほとんどもぬけらの空であった。自分達の手で2人の結婚式を挙げようと同級生らが集団でエスケープしたのである。



この映画を見て、印象に残ったシーンと、感じたこと。

学校を休んで二人で海へ遊びに行くシーン。ダニエルが、メロディに愛の言葉を告げる。その後の会話。
「結婚しよう。」
「いつかね。」
「でも、どうして大人は結婚するとあんなに不幸になるのかな。」
「きっと全部わかっちゃうからかな。」
「両親や大人が、どうあるべきなのか私にはわからないわ…本当に。」
その後、学校を休んだことを咎められた二人。メロディは両親に、なぜ子供が結婚してはならないのかを尋ねる。


「いまダニエルと一緒にいたい。」
「地理も好きだけど、ダニーといるほうがいい。」
「幸福になりたいだけなのになぜ(結婚しては)いけないの?」
お父さん「私は君に幸せになって欲しいと願ってるよ。」
「じゃあなんで助けてくれないの?邪魔をするの?」

子供の、純粋な恋心と質問に、両親は何も答えることができない。


もしも、自分の子供にこんな質問をされたら、自分は、なんて答えればいいのだろう。
法律でそう決まってるから?社会的に許されていないから?養う力が備わっていないから?きっと他にもっと素敵な人がいるから?
大人の理屈や倫理を語る答えならばいくらでもみつかるだろう。けれど、それが本当に子供たちにとって正しいと思ってもらえる答えになるのだろうか。


もっと幼かった時、僕は、周りの大人は本当にわけわからんと思っていた。「なんで僕達の気持ちをわかってくれないんだ…」と。
それが今となっては、そう思っていた年頃よりも、自分の子供がそういった年を向かえる可能性のほうが高い年頃になってしまった。いや、むしろ丁度その中間といったところか。
お金のこと、将来のこと、他人のこと、社会のこと…そういったさまざまなものに配慮してバランスを取った生き方をするのが大人である。しかし、それが子供たちには見えていない。子供は無垢だというけれど、その通り。汚れておらず、純粋である。だから、彼らにそういった大人の論理を押し付けるのは間違っているし、だから、大人の考え方や意図を汲むことができない。いつの時代にも取り扱われる、「大人VS子供」というテーマ。『小さな恋のメロディ』を見て、自分が大人サイドに近づいているのだということを感じる。


小学校のころの友人が、春から先生になった。初めての担任は小学校1年生。彼が先生になってくれるなら安心だ…と心から思える、尊敬できる友の1人。
僕が彼を尊敬できる理由。それは彼が子供から全力で学ぼうとしている姿勢が伝わってくるからだ。先日、会ってゆっくり話をしたときに言っていたこと。
「自分の年の三分の1にも満たない子供を”教える”なんて…って最初は思っていたけれど、今は違う。彼らから”教わる”毎日だよ。」
7歳になったばかりの子供たちの、無限に自由に広がる思想と可能性を前に日々考えている彼は、きっと子供の気持ちを汲める大人にいつかなるだろう。それは物凄く難しくゴールのないものかもしれないけれど、彼なりの答えを導き出してくれると思う。そして彼の出した答えなら信じられる。真面目で、ちょっと適当な部分もあって、笑顔が素敵な変態のイマッチなら。


「シモと違って世界を見ていないから―」
そんなことを彼は言っていた(たしか)けれど、世界を見ている僕が凄いとはまったく思わない。日本にいようが、地元にいようが、働いていようが遊んでいようが、感じて考えられる人が僕は凄いと思う。
子どもという可愛く、厄介で、自由で、無限の世界を日々みて感じて考えている彼の放つ言葉の方が光り輝き生きている。僕も負けないでいたい。


子供を持ってもおかしくなくなった、あるいは既にもっている僕の友人達へ。
もしもメロディの純粋な質問、
「幸せになりたいだけなのに、どうして私たちは結婚できないの?どうしてそれを大人は邪魔するの?」
この質問をされたら、どう答えますか。
結婚という言葉をさまざまな自分がやりたいコトと置き換えて、大人という言葉を社会と書き換えてみる。みんなが常々抱いている気持ちに近いものが出来上がる。


だれもが昔は子供だった。この質問に対して考えることは、自分の中の子どもの気持ちと素直になって会話することだと僕は思う。無限に広がる可能性を摘むのは、いつの時代でも皮肉な笑顔をつくる大人と決まっている。
僕の笑顔は、まだ純粋か、それともすでに皮肉さに冒されているのか。子供たちと自分自身の写真を見かえし、質問の答えを考えてみる。


追記:以前見た映画の感想記は、これ。






10/16/2012

感情の言語化と数値化

東証一部の最年少上場記録を更新して、一躍時の人となったリブセンス代表の村上太一さん。
出身高校が一緒で、代はかぶっていなかったけれど同じテニス部で同じくキャプテンを務めていた。顧問の先生から、「下山ぁ、お前の雰囲気とかプレースタイルは村上太一っていうお前の3個上の代のキャプテンと似ててなぁー…」って話を何度も何度も何度も言われていて、面識はないけれど名前は知っていた。
(村上太一さんが、学院テニス部のことを話している記事を見つけました→<早稲田大学高等学院へ>


そんな村上さんが、今朝聞いていたラジオのインタービューで答えていた内容に関して。DJの質問に対しててきぱきと、25歳とは思えない口調と考え方で話す村上さんが、会社の経営理念や自らの信念というものを語る中でこう答えていた。
「社長になりたいという漠然とした考えはあったけれど、それが明確になったのは19歳のとき。感情の言語化ができて、ぶれなくなった。」


「感情の言語化ができると、ぶれなくなる。」
最近、その事実をものすごく感じる。僕はもともと「何かを書く」というのが物凄く苦手で、下手だった。「これいいな…」と思うことはあっても、それをアウトプットすることなく、上手く伝えられず、そして時間が過ぎるにつれて忘れていったり、ただそういった考え方を持っているだけで満足していた。しかし、それではいけないと最近になってやっと思い始めた。
人の感情は日々、時々刻々、移ろいそして忘れていくもの。この瞬間に大事であると思ったことやいいなぁと感じたこともいつかは失われる。だから、それらをしっかりと記録しておくこと。そして誰かにそれを伝えようとすること。備忘録ブログという形ですすめているこのブログを書いていることで、自分の中に生まれてきたさまざまなアイデアを再構築して、言語化することができている。結果、僕のなかのアイデアの間違いや矛盾点を見つけたりでき、ロジカルに話の流れをつくることができ、村上さんの言う「ぶれない」意見を持つことができるようになってきた。


この「ぶれない」意見は、おそらく間違ったモノのほうが多いと思う。それでも、こういった形でアウトプットをすることで、少なからず誰かが見ていてくれているし、そして自分でも何度も自分の記事を読み返すことで、間違いを正すチャンスを増やすことができている。アウトプットしてハイ終わりではなくて、その後のフィードバックを得るという点でも、できる限りこのブログは続けていきたいと思っている。


「読み書きソロバン」という言葉がある通り、昔から読み書きという「言語化」や、そろばんという「数値化」は大事なものとみなされていた。人間の文明がここまで発展できたのも、おそらく過去の過ちを言語化して忘れることなく記憶することができ、感覚に頼るのではなく定量的にものごとを判断することができたからであろう。「言語化」と「数値化」、さらに今後は「視覚化」や「意識化」なんていうものも社会のバズタームとなってくるかもしれない。


しかし、忘れないでいたいのは「言語化」の罠や、「数値化」の非道徳性だ。
「言語化」は、優れた表現方法をもっていると、そこにある感情や考えが優れているような錯覚をもたらす。ロジカルに話をすすめていくとその考え方が強く正しいように聞こえてしまうけれど、その論の発端となったアイデアが実は間違っていたりすることがある。言葉は万能ではない。広辞苑や多種様々な辞書を用いれば、この世の全ての事象を説明することができるのか。そんなことはない。「空は青い」と昔から語り継がれていて、僕たちは空を描くときには青色鉛筆を手に取るけれど、空は本当に青一色なのだろうか。そんなことはない。世の中には言葉で表せないものがたくさんある。


「数値化」にも「言語化」と同じくらいの罠と、そしてそれがもたらす非道徳性がある。「データがこのように示してますから。」おそらく社会に出ればそういった言葉を何度も聞くことになると思う。数値ほど明確でわかりやすい指標はない。それがゆえに数を出されると妙な説得力が増す。けれど、そのために、すべての考えや出来事を数値で表現する―これはつまり、みんなが最も理解しやすい数値、オカネに換算することが多い―と、非道徳的な考え方がまかり通るようになる。ベストセラーになった「それをお金で買いますか」の中でMicheal J. Sandelが説明するように市場原理が経済の範囲を越えて社会にまで及ぶと人間の非道徳性が増す。例えば、これは極論であるけれど、誰かがなくなった時に、悲しいという感情の前にその人の機会損失やどうやってその抜けた穴を補おうとか、「死亡者1人」としてしか処理できなくなってしまうこと。朝の通勤電車で自殺や死亡事故に巡りあって長い遅延を被ることがある。そんなときに「あーあ、なんでまたこんな時間に飛び込むんだよ。おかげで遅刻だよ…」って感情が亡くなった人を思い弔うよりまえに訪れること。僕たちは既に充分に道徳心が弱まっていて、数値化や市場化がすすむとその傾向には拍車がかかる。


感情を言語化したり、数値化することは大事であると思う。その結果、人は感情を誰かに伝えられるようになり、そのために思い悩み、間違いを正される機会を得て、ぶれなくなる。ただしそれらが完璧ではないということ、それらはあくまでもツールでしかないということを頭の片隅に入れておきたい。
「オーラ」、「音楽」、「美術」、「宗教」…そういった、感覚を数値や言語を用いないで表現するものが近年再認識されていたり、多くの人を魅了しているのも、きっと言語化や数値化につかれた人の無意識の選択なのかもしれない。

10/13/2012

Dear my friends from/in Europe,

Nobel Peace Prize 2012


Dear my friends from/in Europe,

Congratulations on your Nobel Peace Prize winning!
I know that there are so many problems happening among you guys, and some of you may doubt if EU has a right to get awarded at this moment. 
But I just want to say "Good Job!!" for the EU's decades-long historical role in promoting reconciliation, and PEACE.

I remember the conversation of exactly two years ago.
I have traveled to Vancouver with my study-abroad Engineering-Major friends Timo from Germany and Giorgio from Italy.
We were on the way to Vancouver on Route 5, Giorgio and Timo driving, I acting as a guide.
We talked a lot, from our backgrounds to future dreams, how weird and nice it is to study in states where our grandpa's generation battled against and lost to, and our nationalities.
I asked them,
"What do you think about EU? Do you guys have any idea about being a member of EU?"
Timo or Giorgio(I forgot who said) told me,
"Yes... I think I have a feeling that I'm a member of Europe over my nationality, and this kind of feeling among our age should be stronger than our father's age."
From this comment, one strong feeling came up in my mind that I'm a member of world which is changing at a slow speed, is wandering up and down, and is trying to get together.

Two years have passed since then, and found that it is not so easy to be one than I thought. Euro Crisis, Conflicts between countries, religious and tribe problems... those on-going problems are insinuating that world cannot be a global, but be a international.
However, I believe that the world will be a global in the future. It could be a 50 years later, 100years later, or 1000 years later. But I hope and believe that we can achieve it.
EU is a very first step of that. It could be a step in the wrong direction, but it is okay. We can step back and think about it again and again.

“The EU helped transform Europe from a continent of war to a continent of peace.”
Thorbjoern Jagland, Council of Europe Secretary-General, said.
I don't know politics much, I'm not an International Relation or Economics Major student, and I don't care who will pick up the gold medal of the Nobel Peace Prize.
I'm just happy to hear that EU got awarded, because there are my friends in EU members of 500 millions.

Again, congratulations! I would like to see you guys someday again;)
Take care, and peace,

Ryu