4/22/2012

「HOW TO」病の日本

大学の学科に入学した当時から仲がよい、尊敬できる友人がいる。
先日その友達と飯を食べているときに彼が行った言葉。
最近はfacebookやtwitterとかのSNSや、dropboxやevernoteとかの仕事効率化アプリがあふれているけど、それらを使いこなすことを目標にしてる人がたくさんいる。今年の目標はもっとfacebookを使いこなすことです、とか。でもこれっておかしくない?これらは全部何かを達成するためのツールであって、目標にしても意味無いでしょ。
彼が行った言葉に、なるほど、と納得してしまった。
その話の延長(と言ったら言い過ぎだろうか)に、日本を代表する会社の経営方針が重なる。今日の新聞の朝刊に載っていたソニーの平井氏の経営方針説明会に参加した、朝日新聞編集委員安井孝之氏の話。
平井氏は、大写しになったディスプレーを前に、「ソニーを変える。ソニーは変わる」「ソニーが変わるのは今しかない」と語った。だが、40分の熱弁を聞いて「愉快ナル」(「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」というソニー創業者井深大氏が掲げた言葉の一部)商品が次々に出てくるに違いないというワクワク感を、実は持てなかった。
スピーチは現状を分析し、取り組むべき課題を整理した。(中略)「手段」は具体的である。だが、黒字企業になるとして、どんな会社に生まれ変わるのか、という目標、理念は明確には語られなかった、
大赤字を抱えているのに 夢やビジョンを語っている余裕はない。そにかく具体的な政策だ―。そんな思いが多くの企業にも、それを取り巻く市場や有権者にもある。だが、これは組織や人が陥りやすい「手段の目的化」という病ではないだろうか。
イノベーションを生み出す経営について研究する野中郁次郎・一橋大学名誉教授は「現在の日本の経営者は『HOW』ばかりを語り、『WHAT』『WHY』をあまり語らなくなっている」と話す。 
米アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズ氏は発表会の場などでアップルが目指す方向をこう示した。
「我々の心を高鳴らせるのはリベラルアーツ(教養)に結びついたテクノロジーであり、人間愛と結びついたテクノロジーである」(原文:It's in Apple's DNA that technology alone is not enough. It's technology married with liberal arts, married with the humanities, that yields the results that make our hearts sing.)
その言葉の中に「HOW TO」はどこにもない。
(2012年4月22日朝日新聞)
 自分が現在、そしてこれから行なっていく大学での研究は、この「HOW TO」を考える研究である。解析にかかるコスト、タイム、精度を比較検討して最適なシミュレーションを行う。メソッドと理論重視の研究だ。しかし、悩みに悩み選んだこの研究室の教授は、口を酸っぱくして僕達学生に問いかける。
「本質を見失っては駄目だよ。」
と。本質とはつまり、目標。「HOW TO」にばかり集中して「WHAT」をおろそかにしてはいけないよ、ということを教授は知っている。この研究室にして良かったと思う。  

4/21/2012

留学と、本。

朝日新聞のbe内、「お金のミカタ」における岩瀬大輔さんの留学に関する意見より。
岩瀬さんはライフネット生命副社長。大学卒業後、コンサルティング会社を辞めて米ハーバード大ビジネススクールに留学をしている。
どれだけインターネットが発達し世界の現象が鮮明な映像で入ってくる時代であっても、自分の足でその地を踏みしめ、自分の目で建物や風景を見て、現地の人と会話を交わす体験には換えることはできない。でも、留学したからといって、誰もが貴重な経験ができるかといえば違う。
語学を習得するだけであれば「駅前留学」でも十分だ。数年前、カンボジアのアンコール・ワットを訪れた時、観光ガイドの語学力に舌を巻いた。(中略)彼の国では観光は数少ない外貨が稼げる産業であり、日本語の習熟に寄って収入が何倍も変わるのであろう。要はインセンティブ(動機づけ)の問題なのだ。 
私は留学をしたが、行くまでは、ずいぶん自問した。仕事の専門性を高めるなら、何も留学する必要はなかった。貯金をはたいての留学は、お金の面でも、割にあわないことはあきらかだった。 それでも飛ぼうと決めたのは、一足先に渡米した友人の言葉がきっかけだった。「人生は短距離走ではなく、マラソンだ。すぐに成果はないかもしれないが、世界を見ておくことは一生の財産になる」
留学でしかできなことがあるとすれば、世界から日本と自分を見つめなおすことだろう。自分は何者か。どこから来たのか。そしてどこへ向かっているのか。世界の中、歴史の中で自らを相対化することで初めて見えてくるものがある。これまで懸命に学んできたと思っていても、もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはよりよく知る努力を怠ってきたことに気がつく。 
留学を、自分への「投資」になぞらえる人もいるが、仮に投資なら、そこで得られる配当は、自分という人間についてよりよく知ることなのである。
(以上、2012/4/21の朝日新聞記事より抜粋)
自分も、帰国後に友人から「留学はどうだったか」と漠然とした質問を受けることがあるけれど、岩瀬さんがこの記事内で書いてくれたような話をしたり、意見を持つようになった。
特に、

「世界から日本と自分を見つめなおすこと」
「もっとも身近で大切な存在であるはずの自分自身についてはより良く知る努力を怠ってきたこと」

この二つのフレーズは、僕がとくに留学後に強く心に刻み込んだことと全く一致する。
自分自身のアイデンティティを自分が所属する団体やグループで相対的に、客観的に、構築する日本という国。
そこで生まれ育った僕(そして多くの人)は、絶対的な「自分」というものが欠けている、と思う。
有名な大学に通っている、有名企業に務めている、テストのスコアが良い、友達がたくさんいる、歳上の彼女がいる、お洒落である、世間のことをたくさん知っている、お金持ちである、有名人である、名誉がある…
そういった類のアイデンティティは、留学をしていくうちに、そしてその後のバックパックをするうちに、どんどんと失われてゆき、残されたのは自分自身そのものだけであった。そこで、いちばん身近にあり大事であるはずの自分自身の弱さや空(から)であることに気がついた。

それはまるで、眼を引く装幀を持った一冊の白紙の本。周りにある有名で素晴らしい本にまじり、本棚に並ぶ。けれど、その本には何も描かれておらず、本を評価する上で最も大事なストーリーが欠如している。なんと悲しいことか。
帰国後、そして現在も、どうすれば自分自身のストーリーを書くことができるのかということを考えながら日々を生きている。
大事なのは見た目ではない。古くても、汚くても、小さくても、素晴らしいストーリーが綴られた一冊の本。そうなりたい。



4/20/2012

Feverish Imagination



今朝、iTunesでアルバムを購入。Ovallの"Heart Fever".
気に入った曲を聴いて、すぐその場で音楽を購入して、それをかけながら走りだすことができる。すぐに。
便利で、早くて、すこしだけ物悲しい世の中。

I'll get the door and out to the world.
There's no guide, feel every moment
So many times I have feverish imagination
Let me know what you think
Show me how you feel