San Franciscoでの留学の最後の週末、念願だったヨセミテ国立公園へキャンプに行って来た。
大好きな珈琲の傍らで起こった、毎日の小さな出来事。 アメリカはSan Franciscoで1年間生活をし、ヨーロッパを周遊。その後もフラッと気の向くままに。日本では定量的な学問に勤しむ傍らで、感覚的に生きることが大事だと思ってる。 考えたこと、感じたことの備忘録。
6/06/2011
6/03/2011
Consulate-Genaral of Japan
自分が参加していた震災地への義援金ボランティア活動で集まった募金を、日本の総領事館に持っていった。
活動代表の友人が電話でアポイントメントをとったら、以前に面識のあった猪俣総領事に直接お会いしてお渡しするように手配していただけた。
活動代表の友人が電話でアポイントメントをとったら、以前に面識のあった猪俣総領事に直接お会いしてお渡しするように手配していただけた。
6/01/2011
Last week in SF
来週の月曜日に、San Franciscoを旅立つ。
この一週間が文字通り、last weekとなる。
サンフランシスコが、自分にとってこんなに思い入れ深い街になるとは留学前は思ってもいなかった。
先輩がここに留学しており、アメリカの中でも特に多様な街であるという情報だけで決定したこの街。
来た当時はスペルすらままならなかった記憶がある。
しかしここは、生まれ育った東京とは全く違う、極端に言えば正反対の性質を多く持つ街。
人々はみなリラックスしており、仕事や勉強よりも日々の生活や家族との時間の充実に重きを置く。
人種は本当に多様であり、Asian, European, American, Hispanicが入交る。バイリンガル、トリリンガルは当たり前。
この一週間は荷造り等に追われながらもなるべく外出して、ゆっくりと街を歩いたりバスに乗ったり。
聞きなれたバスのアナウンスも、ほら、英語、中国語、スペイン語の3ヶ国語だ。
この一週間が文字通り、last weekとなる。
サンフランシスコが、自分にとってこんなに思い入れ深い街になるとは留学前は思ってもいなかった。
先輩がここに留学しており、アメリカの中でも特に多様な街であるという情報だけで決定したこの街。
来た当時はスペルすらままならなかった記憶がある。
しかしここは、生まれ育った東京とは全く違う、極端に言えば正反対の性質を多く持つ街。
人々はみなリラックスしており、仕事や勉強よりも日々の生活や家族との時間の充実に重きを置く。
人種は本当に多様であり、Asian, European, American, Hispanicが入交る。バイリンガル、トリリンガルは当たり前。
この一週間は荷造り等に追われながらもなるべく外出して、ゆっくりと街を歩いたりバスに乗ったり。
聞きなれたバスのアナウンスも、ほら、英語、中国語、スペイン語の3ヶ国語だ。
登録:
投稿 (Atom)
